乳母からロザリアが行方不明になったという連絡を受けて、聖殿や王立研究院は上を下への大騒ぎとなった。
さっそく研究院は飛空都市内の人物データを洗い直し、日にちを遡って下界との行き来をした人間を調べ、回廊の使用に関してのチェック体制を強化し始めた。
もちろん守護聖達も驚き騒然となったが、中でも炎の守護聖の驚愕は激しかった。と言っても、彼はそういう感情を出来るだけ表面に出さない習性が昔からついていたので、彼の動揺を感じたのは、相反する力を持つ水の守護聖リュミエールと、リュミエールの視線に気がついた夢の守護聖オリヴィエだけだった。
「……オスカー様。…もうっ、オスカー様ってば!」
ぐいっと後ろからマントを引っ張られ、ようやくオスカーは我に返って振り返った。
「なんだ、お嬢ちゃんか」
「なんだじゃないです。さっきからずーっと呼んでるのに全然気がついてくれないんですから」
むうっと膨れっ面をするアンジェリークを見下ろし、オスカーは苦笑すると彼女の頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「すまなかった。これからの段取りとか仕事の手配の事なんかを考えてたんでな。だが、お嬢ちゃんの鈴の音を転がすような心地良い声を何度も聞き逃すなんて、つくづく勿体ないことをしてしまったぜ」
「もーっ、わたしへのお世辞はいいですよぉ」
拗ねた口調は変わらないが、アンジェリークの頬は赤く染まっているので、もう口ほどには怒っていないらしい。その事に安心したオスカーは小さく笑うと、アンジェリークの顔の高さまで腰をかがめ、改めて彼女の顔を覗き込んだ。
「で、俺になんの用かな、愛らしいお嬢ちゃん。デートの誘いなら、ありがたくお受けするが?」
「ちっ、違いますっ!」
アンジェリークは至近距離にあるオスカーの顔に驚き、慌てて後ずさった。そして、そんな反応に笑みを浮かべるオスカーの目の前にずいっと手を伸ばした。
「この子、預かって下さい!」
「ん? なんだ?」
押し付けられた布の塊をオスカーが手に取ると、布がもぞっと動いたような気がした。
「なっ!?」
一瞬手を引っ込めそうになったが、すぐに気を取り直して平静を装うと、オスカーはそろそろと布を解きほどき、そこからひょこっと顔を出した物を見て、驚いてまた手を引っ込めそうになった。
「にゃあ!」
「ね、ねこ……?」
呆然と呟くオスカーを見上げた白い子猫はしばらくオスカーを見ていたかと思うと、急に我に返ったように後ろを振り返り、先程とはうって変わってにこにこと笑みを浮かべているアンジェリークに向かって抗議をするように鳴き叫んだ。
「にゃあにゃあにゃにゃにゃにゃあっっっ!!!」
「オスカー様、この子ロザリアが飼ってたんです」
「ロザリアが?」
しっかりと捕まえていないと、今にもアンジェリークに飛びかかりそうな勢いの子猫を持ったまま、オスカーは顔を上げた。
「しかし、俺はそんな話をあのお嬢ちゃんから聞いたことがないぞ?」
「そりゃあ、内緒で飼っていたんですもん。わたしたちは女王試験を受けるためにここに来たんだからって。でも、寒さに震えていたこの子をそのままには出来なくて、つい連れてきてしまっただけじゃなく、そのまま飼ってしまったなんてとても言えないって」
言いつつアンジェリークは、そっと目頭を押さえた。
「……ほう」
どうにもアンジェリークの言葉は嘘臭いのだが、嘘だと言い切る確証もないオスカーは目を細めて無感動な相槌をうってから、まだ暴れている子猫をひょいっと自分の顔の高さまで持ち上げて、その目を覗き込んだ。
「それにしても賑やかなお嬢ちゃんだ。本当にあのロザリアが飼っていたのか? それにしては品がないような……」
「……にゃーおっ!」
子猫はそう言われた途端、きっとオスカーを睨みつけてその顔を引っ掻こうとじたばたと足掻き始めた。
「ふにゃっうにゃっむきゃーっ!!」
「……この気の強さは、確かにあのお嬢ちゃんに似てるな」
オスカーはそう言って笑うと、子猫の爪が顔に届かないギリギリの状態で持ったまま、アンジェリークの方へ顔を向けた。
「お嬢ちゃん、どうやらこの子は俺のことがお気に召さないらしいが。君が面倒を見た方が良いんじゃないか?」
「それは無理ですよ。だってその子の面倒を見てる暇はないですもの。わたしはとーっても忙しい女王候補なんですから」
「けっこう気楽に毎日を過しているように思えるが……」と言いかけたが、オスカーは流石にその言葉を飲み込む。そして「仕方がないな」と肩をすくめると、騒ぎ疲れてぐったりした子猫を布で包み直し、そっと胸元に抱え込んだ。
「!!――」
包み込まれるように抱きしめられた子猫=ロザリアが真っ赤になって硬直していることに気がつかないオスカーは、ようやくおとなしくなった布の中の生き物を見下しながら溜息をついた。
「ひとまずこのお嬢ちゃんは俺が引き取ろう。が、面倒を見るかどうかは、明日にでもジュリアス様にご報告して……」
「オスカー様が見てあげて下さい!」
アンジェリークの強い口調に、オスカーは思わず目をしばたたせた。
「この子、オスカー様がだっこしたらおとなしくなったでしょう? オスカー様の側にいると安心するんです。オスカー様のことが大好きなんです!」
「だがな、お嬢ちゃん。俺は猫なんか飼ったことはないし……」
「それでもいいんですっ! この子はロザリアが飼っていた猫で、だからロザリアにとっても似ててっ、だからオスカー様のことが大好きで、だからだからっ……オスカー様が面倒を見てあげて下さい、お願いしますっ!」
そう一気に叫ぶと、アンジェリークはぺこりと頭を下げ、唖然としているオスカーを残してあっという間に走り去っていった。
「……なんなんだ、いったい?」
わけがわからず呟くと、オスカーは腕の中の子猫に視線を移し、やがて深い溜息をついた。