眩暈

(7)

「……ジュリアス様」

ロザリアを屋敷に送った後、ここまで言葉少なだったオスカーが、意を決したように口を開いた。そしてジュリアスの馬に並ぶと、歩調を合わせるように手綱を取りながらジュリアスを見つめる。その表情は真剣で、思わずジュリアスが何事かと眉をひそめたほどだ。

「どうした?」

しばらくの沈黙の後、オスカーは笑みも浮かべずに言葉を紡いだ。

「ジュリアス様は……誰かを愛したことがおありですか?」

「なんだと?」

思いがけない言葉に、ジュリアスの声がつい高くなる。だが、問うたオスカーは笑いもしなければ説明しようともしない。ただ真剣な眼差しでジュリアスを見据えている。

「私は……いや、俺は、今まで、望むものは大抵なんでも手に入れてきました。そして、俺にはそれだけの力があると自惚れていました。けれど……」

オスカーは一旦言葉を切った。そしてジュリアスから視線を外すと、唇をぎりっと噛んだ。

「……オスカー」

ジュリアスが声を掛ける。するとオスカーは顔を上げ、再びジュリアスを見る。

「ご存知でしたか? 彼女は……貴方に想いを寄せていたんですよ」

ジュリアスが思わず言葉を失っているのを見て、オスカーは切なげに微笑んだ。

「ジュリアス様……貴方がひと言。そう、たったひと言、真実の言葉を述べていれば……今、彼女の隣にいたのは貴方だったはずだ」

「オスカー、そなた……」

ジュリアスが驚いて目を見張るとオスカーは小さく頷き、手綱をぎゅっと握りしめて自嘲気味な笑みを浮かべる。

「俺が知らないとでもお思いでしたか? そう……俺は知っていました。彼女の想いも、そして……貴方の想いも」

しばらくジュリアスはオスカーを見つめていた。が、やがて彼の中の衝撃が徐々に治まると、自分を落ち着かせるように深く息を吐いた。

そして、己の動揺が伝わらぬようにレグルスの首筋を優しく撫でて顔を上げた時、もういつものジュリアスの表情に戻っていた。

「……そうだな。確かに私は、彼女を、いやロザリアを……愛していた」

自分が引きだした言葉だとはいえ、いざこうやってジュリアスの口から改めて告げられるとやはり衝撃は大きい。

オスカーはぐっと息を詰め、心臓を逆撫でされたような不快な感情に堪えるようにして、手綱を掴む手に力を込めた。

「だが……私にはその想いを貫き通す勇気がなかった。守護聖と女王候補という立場に縛られていてな。いや……あるいはそれを理由にして、逃げていただけかもしれぬ」

「……逃げる?」

オスカーが思わずジュリアスを見つめ返すと、正面を向いたままのジュリアスは、こちらを見ようとはしないで苦笑を浮かべた。

「そうだ。初めて感じたその感情に……私は戸惑うばかりだった。どうしていいかわからなかった。だから……逃げたのだ」

そしてジュリアスは改めてオスカーの方へ首を巡らした。

「私と彼女は、あまりにも似すぎていたのだ。だからこそ魅かれあったのだろう」

オスカーは目を逸らさなかった。ただじっとジュリアスを見つめ、彼の言葉を寸分漏らさず聞き届けようとしていた。

「どちらも相手に弱い部分を見せず、いつも良いところだけを、最高の自分だけを見せようと努力していた。そしてその結果……お互いへの想いにそれぞれが疲れてしまったのだと思うのだ」

ほうっと小さく息をつくと、ジュリアスは羨望するような眼差しをオスカーに向ける。

「今日、それがよくわかった。私には、あんな風に彼女を微笑ませることは出来なかった。彼女のあんな和らいだ表情を見るのは初めてだ。あれは……オスカー、そなたが側にいるからこそなのだぞ」

「……ジュリアス様」

「私がこんなことを言える義理ではないのだが……敢えて言わせて欲しい。オスカー、彼女を……ロザリアを幸せにしてやってくれ。今の私は……ただ彼女の幸せを祈るばかりだ」

言うとジュリアスは、晴れ晴れとした笑顔を浮かべた。それは、長年側に仕えてきたと思っているオスカーですら、今までに見たこともないような笑顔だった。

やがてオスカーは、諦めたような吐息を漏らした。そして髪を軽くかき上げ、呆れたような笑みを浮かべる。

「ジュリアス様……ひと言言わせていただいてもいいでしょうか?」

「なんだ? なんでも申してみるがよい」

ジュリアスは笑顔を治めると、突然の申し出に怪訝そうに首を傾げた。するとオスカーは「では、ご無礼申し上げます」と改めて断り、朗らかに笑った。

「貴方は……ずるいです、ジュリアス様」

「なんだと?」

「それでは、俺は貴方に勝てませんよ。彼女の中で、貴方の存在はどこまでも理想のままだ。対して、俺は彼女の前で無様な姿を見せることだってあります。醜態をさらしたり、彼女を怒らせたりもするでしょう。長い月日を重ねれば重ねるだけ、理想の貴方と現実の俺の差は開くばかりだ。これじゃあ、俺は一生かかっても、彼女の中の貴方には勝てっこありませんよ」

「では、私に醜態をさらせと?」

呆れたようにジュリアスが呟くと、オスカーはゆっくりと首を振った。

「まさか。貴方にそんなことをさせられるはずはありません。ですから……俺は諦めます」

「諦める……だと? 何を言いだすのだ!」

驚いてジュリアスが思わず馬の手綱を引いた。するとオスカーも素早くアグネシカを踏みとどまらせ、早合点して怒りだすジュリアスに向かってくすっと軽く笑った。

「ええ。彼女の中の貴方に勝つのは諦めます。その代わり……」

言うとオスカーは、口角を微かに上げて微笑んだ。それは彼が何かを決意したとき、あるいは宣戦布告をする時に浮かべる表情だということを、ジュリアスは知らない。

「貴方の思い出ごと、俺は彼女を抱きしめます。いえ、貴方の事を思い出す余裕もないほど、俺のすべてで彼女を埋め尽くしてみせますよ」