眩暈

(5)

結局三日間、ロザリアが自邸で休んでいた間、オスカーはご丁寧にも毎日彼女を訪ねた。

「補佐官殿がきちんと休んでいるかどうかを確認する必要があるからな」と口では言っていたが、誰かが別に頼んだわけでもなかったので、オリヴィエなどは「やっぱりチャンスだって思ってんだよ、あのバカ!」と呆れたように公言し、リュミエールに諌められていた。

だが、一番不思議に思っていたのは、実はオスカー自身だった。

苦しんでいる女性をほうって置けない性格なのは自分でもわかっていたが、別にロザリアは苦しんでも悩んでもいなかった。

ただ疲労が溜まっていただけで、屋敷では使用人達が、それこそかいがいしく世話をしてくれていたし、二日目の午後にはすでにロザリアの顔に生気が戻っていた。それでもオスカーは、真面目に通い続けた。

なぜだか自分でもわからない。

ただ、彼女の顔が見たい。彼女に、会いたい。

それだけで、オスカーは毎日病床のロザリアを見舞っていたのだった。

 

「あの……オスカー?」

ロザリアは読みかけの本から顔を上げると、テラスから外を眺めていたオスカーに声をかけた。オスカーは振り返ると「ああ」と小さく呟き、開け放たれていたテラスへと通じる窓を閉じる。

「風が吹き込んで寒かったか? すまない」

「いいえ……」

パチンと音を立てて鍵を締めると、レースのカーテンをさっと引いてベッドサイドに歩み寄った。

「他に用があれば言ってくれよ。……そうだ。何か飲み物でも?」

「今は結構ですわ。ありがとうございます」

大きめのクッションに寄りかかるようにして上半身を起こしているロザリアが穏やかに微笑むと、オスカーはベッドの脇にあった椅子に座った。それを待っていたように、ロザリアは再び問い掛けた。

「オスカー……」

「ん?」

「この三日間、気に掛けてわざわざ足を運んで下さって、本当にありがとうございました」

「いや。迷惑じゃなかったのならいいんだが」

オスカーが珍しく照れたように答えると、ロザリアは軽く首を振った。

「迷惑だなんてそんな……。一人で休んでいると、ついあれこれ考えてしまいますから、貴方が来て下さってよかったですわ」

「そう言ってもらえるとありがたいな」

オスカーが軽く微笑むと、ロザリアもすっと目を細めた。そして視線を落として微かに躊躇った後、意を決したように顔を上げる。

「あの、オスカー。お見舞いに来ていただいているのに、こんな不躾なことを伺って申し訳ないのだけれど……」

「ん?」

「あの……どうしてなんですの?」

「どうして……とは?」

オスカーが首を傾げると、ロザリアは軽く一息ついて先を続ける。

「わたくし、貴方に対してずいぶん失礼な態度をとってしまいました。せっかく送って下さったのに、あんな憎まれ口ばかり言ってしまって。……今思い出すと、本当に大層傲慢な態度だったと。……ごめんなさい」

オスカーが黙って見つめる前で、ロザリアは小さく頭を下げた。そして改めてオスカーを見上げる。

「なのに、貴方は怒りもせずに、こうして毎日訪ねてきて下さって。大人なのだなって……今さらながらわかりましたの。口さがない人々の噂や思い込みだけで、貴方という方を決めつけていたのかもしれないって……」

「ロザリア……」

「でも……貴方がわたくしの思っていたような方じゃないとわかった今でも……まだわからないことがありますの」

そう言うと、ロザリアは軽く首を傾げた。

「貴方がこうしてわたくしを訪ねて下さることの意味が……。どうしてなんですの?」

「……決まっている。補佐官殿が心配だからさ」

「ちゃんと休んでいるかどうかがですか?」

言うとロザリアは軽く溜息をついて、少し拗ねたように視線を逸らした。

「わたくし、よほど信用がありませんのね。放っておいたら、逃げ出してでも仕事をしてしまうとでも思われているのかしら」

「まさか」

オスカーは軽く吹き出した。

「本当に心配しているだけだ。……他に含みはないぜ」

「本当ですの?」

ロザリアが疑わしそうに横目で見つめてくる様子に、オスカーはくすっと軽く笑った。

「ああ……」

「それなら、いいんですけれど」

そう言ってロザリアは微笑んだ。そして手元にあった本を開こうとしたところで、オスカーが伸ばしてきた手に止められた。

「さぁ、お喋りはおしまいだ。そろそろ眠り姫に戻る時間だぜ」

言ってロザリアの手から本を取り上げた。その本の行方を追って、ロザリアが抗議の声を上げる。

「もう大丈夫ですわ。これ以上休んだら、逆に具合が悪くなってしまいます」

「駄目だ。三日間はしっかり休むと陛下と約束しただろう? ……絶交されてもいいのか?」

オスカーの笑いを含んだ言葉に、ロザリアはむうっと口を噤むと、上目遣いにオスカーを睨み上げてぽつりと呟いた。

「……いじわる」

初めて聞いたロザリアの甘えるような言葉にオスカーが驚いている隙に、ロザリアはすばやく上掛けを掴んでベッドに潜り込んでしまった。

やがてオスカーは椅子から立ち上がると、そっと身体を屈めて横を向いたロザリアの顔を覗き込んだ。

「ロザリア」

「休めばいいんでしょう。ご心配なさらなくともちゃんと休みますから」

「……まったくこの姫君は。……いいから、ちょっとこっちを見てくれないか?」

「なんですの? もうっ!」

ロザリアが眉を顰めてくるりと振り返ると、オスカーは軽く微笑んだ。そして彼女の額にそっとキスを贈る。

「これはおやすみのキスだ。それから……」

言ってオスカーはロザリアの頬を右手の指でそっと撫でると、軽く開いた唇に自分の唇を重ねた。

「これは……特別」

ふわりと落とされたキスに、ロザリアは軽く瞳を閉じた。そして感触が離れるとそっと瞼を上げ、オスカーを見上げて囁いた。

「このキスも……なんの含みもありませんの?」

するとオスカーは、目を細めて微笑んだ。

「大有りかも……な」

「……呆れた」

言うとロザリアは、困ったような笑みを浮かべた。

 

その時から何となく、二人で一緒にいる時間が多くなり、周りもそれに気がついたのか、二人が一緒にいるときはそっと遠巻きに見守ったり、さりげなく席を外すようになった。

どちらかが先に執務が終われば、仕事の残っている相手の部屋を訪ねた。そのまま一緒に帰れるようならば共に聖殿を後にし、時間が早ければカフェテラスへ寄ったり庭園を散歩したりした。

それが無理でも、帰り道の僅かな時間を馬車の中で語り合いながら、それぞれの家路についた。

オスカーは以前は単身馬で聖殿に出仕していたが、最近は馬車を利用することが多くなった。何度か馬で出仕した時に「送ってやるよ」とロザリアに言ったのだが、オスカーと同じ馬に二人乗りをしている姿を周りに見られることを嫌う彼女が、頑としてそれを拒んだからだ。

 

ある時、リュミエールの執務室を訪ねたオスカーは、そこでちょうど居合わせたオリヴィエに掴まって詰問されたことがある。彼はロザリアがお気に入りだったのだが、その彼女が最近、あまり女性関係の風評の良くないオスカーとなんとなくいい雰囲気なのが気に入らなかったのだ。

「遊びなのならやめておきな。彼女はアンタが今まで付き合っていたようなタイプとは違うんだから」と忠告するオリヴィエに、オスカーは珍しく真面目な表情で答えた。

「ああ、確かに今までとは全然違うな」

「それって本気、ってこと?」

「いや……わからない。でも、遊びでないことは確かだ」

「はぁ?」

オスカーの答えに、オリヴィエは眉をひそめた。

「なんなんだい、それ。つまり本気ってことじゃないの?」

本気とか遊びとか、そういう次元とは違う気がする。

彼女が側にいるのが自然で、それが心地いい。二人で過ごしている穏やかな時間が、ずっと続けばいいと思っている自分がいる。

恋愛とは、一瞬にして燃え上がり、自分も相手もすべてを燃え尽くすような情熱を注ぎあうものだと思っていたオスカーにとっては、いまロザリアと築いている関係は、その定義からは大きく外れているのだ。

だから、オリヴィエの言うような“オスカーにとっての本気”ではないような気がする。といって、もちろん“遊び”などとはまるで違う。

オスカーが黙り込むと、オリヴィエは一瞬驚いたような表情を浮かべた。この男が、オリヴィエの言葉に負けて押し黙ることなど、今までなかったことだからだ。

「オスカー? アンタ、大丈夫?」

オリヴィエの怪訝そうな声に、オスカーはふと我に返る。そして顔を上げると、疑わしそうな目を向けているオリヴィエと心配そうに眉をひそめているリュミエールを交互に見つめ、ふっと苦笑した。

「ああ……悪いな、少し考え込んじまった」

言うとオスカーは「まだ仕事が残ってるんで、そろそろ失礼するぜ」と呟き、扉へと向かった。そしてドアノブに手をかけたところで動きを止め、微かに後ろを振り返った。

「オリヴィエ」

「んー?」

「答えを出すために彼女の側にいる、ってのじゃダメか?」

「……なにそれ?」

オリヴィエの不機嫌そうな声を聞いて、オスカー自身も自分の言葉におかしくなって軽く笑った。そして改めて身体ごと振り返ると、二人の同僚をしっかり見つめて言った。

「今は何とも言えない。だが、この答えを出せるのは彼女だけだと思う。いや……彼女でなければ、俺に答えを与えてはくれない。……そんな気がするんだ。俺は、今初めて自分に与えられた永い時間に感謝しているよ。じっくりと腰を据えて、答えを見つけられるんだからな」

 

パタンと音を立てて扉が閉じられた。その重厚な扉の向こうを、まるで透視でもしそうな勢いでじっと見つめていたオリヴィエだったが、やがてはぁっと肩の力を抜いて、どすんとソファに座り込んだ。そして苦笑する。

「あいつ、バカだバカだと思ってたけど、ほんんっっっっとうにバカだったとはねぇ。………バッチリこれ以上ないってくらいに“本気”になってるっての、気がついてないんだもん」

「ねぇリュミちゃん?」と同意を求めてくるオリヴィエに、リュミエールは複雑な笑みで答えた。