眩暈

(3)

「来週、楽しみですわね」

「……ああ」

ロザリアは馬車の中で、珍しく子供のようにはしゃいでいた。その屈託ない笑顔に、オスカーは少々複雑な思いを抱いていた。が、それを口に出そうとはしなかった。

「そうだわ! わたくし、お弁当を作りますわ。ねぇ、オスカー。何かリクエストはあって?」

「なんでも……。君が作ってくれるものなら、なんでも大好物だ」

オスカーの返事に、ロザリアは笑顔を引っ込めて、少々拗ねたように眉を顰めた。

「もうっ! ちゃんとわたくしの話を聞いて下さってますの!?」

「聞いているさ。来週、ジュリアス様と三人で遠乗りに出かけるんだろう? そしてその時に、君は弁当を持って行くつもりなんだろう」

オスカーがすらすらと答えると、ロザリアはばつが悪そうに身体を引いた。

「……聞いていて下さったのならいいんですけど。なんだか……気のない返事ばかりなさるんですもの」

「そんなことはないさ。君のそんなはしゃいだ姿は久しぶりだから、何だか不思議な気分がしているだけだ」

言うとオスカーは、ロザリアを安心させるように微笑んだ。するとロザリアは頬を薄紅色に染めて顔を伏せ、上目遣いにオスカーを見上げて小さく呟いた。

「わたくし……そんなにはしゃいでいました?」

「ああ、とても。でも、そんな風に振る舞う君も新鮮で可愛いぜ」

「もう。そうやってすぐ子供扱いなさるんだから」

ロザリアの拗ねた顔を見つめながら、オスカーは苦笑する。

「そんなつもりはないんだがな……」

「でも、ジュリアスにも言われましたわ」

ロザリアが何気なく言ったひと言に、オスカーの身体が一瞬ぴくりと反応した。が、すぐに何事もなかったように平静な表情を浮かべる。

「なんて言われたんだ?」

「そんなに喜んでもらえたのなら誘った甲斐があったと。ふふっ、以前のジュリアスだったら、絶対言って下さらないような言葉だと思いません?」

「そうだな」

オスカーが微笑むと、ロザリアも嬉しげに笑う。

「皆さん、少しずつ変わっていくのですね。わたくしも、良い方向に変わっているのだと良いのだけれど……」

「君は大丈夫だ」

「本当ですの?」

「俺が保証してるんだぜ? 本当に決まってる」

「……よかった」

ロザリアが安堵の息を漏らした。と同時に馬車が緩やかに速度を落とし、やがてゆっくりと止まった。

「着いたみたいだな」

オスカーが呟くと、ロザリアはゆっくりと立ち上がる。

「それでは、オスカー。また……明日ね」

言って馬車の扉に手をかけると、そのロザリアの手にオスカーの手が素早く重なった。

「……オスカー?」

腰を屈めたまま、怪訝そうに振り返ったロザリアが見たものは、いつになく真剣な表情でじっと自分を見つめるオスカーの顔だった。

「……ロザリア」

押し殺したようなオスカーの声が響く。

「どうなさったの?」

答えるロザリアの声は、オスカーの声に圧倒されたのか、微かに震えていた。

「今から……俺の屋敷に来ないか?」

そう言うと、オスカーはロザリアの手に触れていた手に力を込め、彼女の指をすっと撫でた。

「今夜、泊まっていくといい」

ロザリアはびくっと身体を震わせた。が、すぐにオスカーの手をそっと外させると、素早く扉を開けて外に出てしまった。そして手を胸の前でぎゅっと握りしめて俯く。

「……ごめんなさい、オスカー。わたくし……まだ……」

そう呟くと、ロザリアはすっと顔を背ける。

やがてオスカーは深いため息をついた。が、すぐに小さく首を振ると、微笑みを浮かべる。

「いや……いいんだ。わかってる……。俺の方こそ、すまなかったな」

「……ごめんなさい」

ロザリアが俯いたまま呟くと、ふわりと温かい手が彼女の頭に乗せられた。

「お嬢ちゃんがまだ子供だって事を忘れていたぜ……驚かせて悪かった」

「わっ、わたくしはもう子供ではありませんわよ!」

途端に食ってかかってくるロザリアの態度に、オスカーはアハハと笑いながら身体を引っ込めた。そして馬車の扉に手をかけると、ロザリアにウインクをして見せる。

「そうやってすぐムキになるところが、まだまだネンネだって事だぜ、お嬢ちゃん?」

「もうっ!」

拗ねながらも、もういつもと同じオスカーに戻っていることに安心したのか、ロザリアは呆れたように溜息をついた後、小さく笑った。

「それじゃあ、オスカー。送って下さってありがとう」

「ああ……」

呟くとオスカーは、再びすっと身を乗り出して、ロザリアの頬に軽くキスをした。

「お休み……よい夢を」

「……お休みなさい」

 

馬車の扉を閉じると、オスカーは小窓を軽く叩いて御者に合図を送る。そして、ガラガラと音を立てて走り始めた馬車の中で、背もたれに軽く身体を預けて目を閉じた。

我ながら、らしくない態度だったと思った。

彼女の美しい瞳におびえの色が浮かんでいたのを思い出して、オスカーはぎゅっと手を握りしめる。

焦らないと……決めていたはずだ。

彼女は今、あたり前のように自分の側にいてくれる。

望めば、いつも柔らかな笑みを向けてくれる。

手を差し伸べれば、躊躇うことなくその手をとってくれる。

それだけで、十分満たされていたはずなのに。

だが、ジュリアスと談笑しているロザリアを見て、オスカーは激しい焦燥感に襲われた。

オスカーがそこにいることを知らずに見せていたロザリアの笑顔に、怒りとも焦りともつかない、熱い炎のようなものが一瞬にして胸の内に燃え上がったのを感じた。

おそらく、あの笑顔の先に居た者がジュリアスでなければ、そんな感情は起きなかったと思う。

他の守護聖と談笑するなどよく見かけることだし、例えばオリヴィエ辺りが馴れ馴れしくロザリアに迫っていたとしても(オスカーにはそう見える)、あっという間に彼女を攫ってしまうなど簡単なことだ。

第一、彼女が他の男と接したり話をするのをいちいち気にしていたら、それこそロザリアを無理やり自分の屋敷に連れ帰って、一歩も外に出さないようにでもしなければならなくなる。そこまで自分は猟奇的ではない、とオスカーは思っていた。

が、相手がジュリアスとなると違うらしい。ジュリアスに向けられていたロザリアの笑顔を思い出し、オスカーは苦しげにぎゅっと自分の胸元を掴んだ。