女王宮からアンジェリークを連れ出すのは簡単だった。
女王宮付きの侍女達からの信用厚い補佐官が「ちょっとした恒星のトラブルが発生した」と告げ、アンジェリークと共に聖殿に行くと伝えたところで、「大変でございますね」と同情こそされたものの、不審を抱くものは誰もいなかった。
むしろ、連れ出されたほうのアンジェリークの方がどこかおびえたような表情を浮かべていたのが、逆にロザリアは気にかかった。
「アンジェリーク。そんな顔をしては駄目よ。いつもと同じ……いいわね?」
「う……うん」
女王宮を抜けるまでには3つの門を通る。そこを通過する者は総て、女王と補佐官の印の入った書類の提示が必要となる。ロザリアは、自ら書いた書類に、アンジェリークにも署名をさせて、門を通過するたびにそれを提示した。
門兵は、通常は余程のことがない限り女性用の馬車の中を覗き込んで調べることはなかった。それが女王や補佐官であればなおのことだ。だが、今日はこちらに後ろめたい事がある所為か、書類を調べる門兵の動作がやけにのろく感じられ、ロザリアは苛立つ心をどうにか静めていた。
ようやく三つ目の門をくぐり抜けたとき、我知らずロザリアの口から安堵のため息が漏れた。あとは馬車の行き先を、聖殿ではなく庭園の方へ向けるだけだ。
ロザリアはコンコンと馬車の天井を軽く叩いた。すると御者は心得たように小さく頷き、馬に鞭をくれると進路を左に変える。
ようやくほっとした表情を浮かべたロザリアを、じっと見つめていたアンジェリークだったが、しばらくするとすっと身を乗り出し、目の前の親友の右手を取った。
「アンジェリーク?」
「ありがとう、ロザリア。わたし、貴女に会えてよかった。本当に心からそう思うわ」
「……なに言ってるのよ」
「だって、わたし一人だったら行動できなかった。そしてきっと……毎日泣き続けているだけで、なにも出来ずにただ生きていくしか出来なかったと思うの。彼のいないこの聖地で……」
「……」
「でも、貴女はわたしに力をくれた。想いを行動に移す勇気を……本当にありがとう」
「アンジェリーク……」
「なのに、わたしはロザリアになんにもしてあげられない。いつもいつも迷惑かけて、助けてもらうばかりで。わたし、貴女になにも……なにも返してあげられなくて。……ごめんね」
ロザリアは、目の前の親友を見つめた。もう少女とは呼べない、大切な女性を。
そして軽く微笑むと、ゆっくりと首を振った。
「いいえ、違うわ。貴女は……わたくしにとても沢山のものをくれたじゃないの」
「え?」
アンジェリークが驚いたような表情を浮かべると、ロザリアは左手をすっと上げてアンジェリークの頬に添えた。そして、慈しむようにそっと撫でる。
「貴女の無邪気さと屈託のなさは、わたくしの頑なさを溶かしてくれた。貴女の優しさや暖かさは、凍てついたわたくしの心を包み込み癒してくれた。そして……貴女の笑顔に、わたくしは何度も救われたわ。……ありがとう」
「……ロザリア」
頬を染めて俯くアンジェリークをそっと抱き寄せ、ロザリアは耳元で優しく囁いた。
「だから、わたくしに恩返しをさせてちょうだい。貴女には一人の女性として、ランディの側で幸せになってもらいたいの。誰よりも幸せになるって……約束してくれるわよね?」
ロザリアの背中に手を回し、アンジェリークは何度も頷く。そしてぎゅっと抱きしめながら涙声で答えた。
「……うん」
「よかった……」
ホッとしたように呟くと、ロザリアはアンジェリークの柔らかな金髪をそっと撫でた。その優しい感触は、アンジェリークに母親の手を思い出させ、堪えていた涙が彼女の瞳に溢れ出す。
「うっ……くっ……」
アンジェリークの口から思わず漏れた嗚咽の声を聞いたロザリアは、困ったように微笑むと彼女の身体をすっと離した。そして俯いてぼろぼろと涙を零す女王の頬を指先で何度も拭き取ってやりながら、その顔を覗き込んだ。
「困った子ね……こんなひどい顔を彼に見られたら大変よ。ほら、アンジェリーク……」
「……う……だ、だって……っ。ロザリ、アってばっ、に、二度とあっ、会えない……みたいなっい……言い方するん……だも、んっ」
何度もしゃくり上げながら必死で訴えるアンジェリークに、ロザリアはただ複雑な笑みを浮かべるしかなかった。
二度と会えないみたいな……じゃなくて。本当に、もう二度と会えないの。
けれどそれを伝えることはロザリアに出来るはずもなく、ただ「……馬鹿ね」とひと言だけ呟くとなかなか泣きやまないアンジェリークの肩を優しく抱き寄せた。
馬車を降りたアンジェリークは庭園に向かって駆け出した。が、入り口を入ったところで一瞬立ち止まり、振り返ってじっとロザリアを見つめる。
そんな親友に向かって、ロザリアはゆっくりと頷いてみせた。
「さぁ……早くお行きなさい」
しばらくアンジェリークは無言でロザリアを見つめ続けていた。が、やがてこちらもゆっくりと頷くと、馬車の側で見守っていてくれる親友にとびきりの笑顔を送った。
「じゃ、行ってくるね」
駆け出すアンジェリークの後ろ姿をじっと見つめるロザリアの口元に、優しい笑みが浮かんだ。
それは、何よりも大事だったものを取り戻せたことへの純粋な喜びが溢れている笑顔だった。