永遠の休暇

(7)

少年は剣を正眼に構える。音を立てて剣の柄を握り返すと、裂帛の気合いとともに走り出した。

相手の頭めがけて振り下ろしたその刃を、向かい合った青年は軽くいなし、逆に素早く少年の脇腹に剣を突き入れる。しかし少年が瞬時に身体を捩り、その剣は空を突いた。

「ほう、やるな」

かわされた青年は、俊敏な少年の動きに思わず笑みを浮かべた。が、すぐに剣を構え直すと、再び少年に剣の切っ先を向ける。

「なら……こんなのはどうだ?」

言うや青年は、剣をそのまま少年目がけて突き入れた。そして、それを除けたことでバランスを崩した少年の足下を素早く薙ぎ払う。

しかし彼はその動きを察していたらしい。弾みをつけて飛び上がると、空中でくるりと一回転して地面に降り立った。

俊敏な弟子の動きに青年は目を輝かせ、ひゅうっと軽く口笛を吹いて称賛する。

「これはこれは、たいしたもんだぜ」

その言葉に、少年は目を細めて薄く笑う。

「あんまり俺を舐めない方が良いですよ、オスカー様。そろそろ本気になったらどうですか?」

「……言うじゃないか、ランディ」

ランディの挑発的な言葉に、オスカーの口元にも笑みが浮かんだ。が、それとは対照的に、彼の瞳はたちまち冷たく光り輝きだす。

「ならお言葉に甘えて、少しばかり本気を出させてもらうか」

言った途端、オスカーはあっという間にランディとの間を縮めると、矢継ぎ早に剣を繰り出した。その重くて早い攻撃に、ランディは受け止めるのが精一杯で、とても反撃など出来そうにない。

額に汗を滲ませ、苦悶の表情を浮かべている少年に比べて、攻撃側のオスカーはにやにやと笑う余裕さえある有り様だ。

「どうした、坊や? 偉そうなのは口だけか?」

「ぐ……っ、くっ!」

悔しくて怒鳴り返したいのだが、うっかり気を抜くと押しつぶされてしまいそうな攻撃に、ランディはひたすら歯を食いしばって堪えた。

堪えながら、なんとか反撃のチャンスがないかと目まぐるしく思考を巡らせる。と、オスカーが剣を握っている反対側、つまり左側ががら空きなのが見えた。

しかしここで単純に左に廻っても、相手はすばやくガードしてしまう。そこでランディは、ただ堪えているだけのように見せかけながら、少しずつオスカーと自分の身体を入れ替えるように足を踏みだす。

そして、オスカーが剣を振り上げた僅かな隙をついて、彼の左側に抱きつくようにして回り込んだ。

「なっ!?」

驚いて一瞬動きが止まったオスカーを見逃さず、ランディは急いでバランスを建て直して剣を引くと、両手で柄を握りしめたまま相手の間合いに右足を踏み入れた。

『もらったっ!』

だがしかし、ランディが息を呑んで一瞬気が緩むのをオスカーは見逃さなかった。勢いよく突き込んでくる剣を自分の剣の柄で受け止め、その勢いを利用してくるりと少年の剣をはじき飛ばす。そしてぐらりとよろめく少年の鳩尾に、素早く剣を返してその柄を突き入れた。

「は……ぐっ!!」

一瞬息が詰まったランディは、そのまま膝から崩れ落ちた。そして次の瞬間、地面に手を突いて激しく咽せる少年の鼻先に、剣の切っ先がぴたりと当てられた。

「……残念だったな」

勝ち名乗りを上げるオスカーを見上げ、ランディはなおも激しく肩を上下させながら悔しそうに唇を噛みしめた。

「くっそ?っ……途中までは……いい線いって……たのに」

「俺から一本取ろうなんて十年早いぜ」

ランディが俯くのと同時に、オスカーは自分の剣を鞘に収める。そしてはじき飛ばされた剣に歩み寄り、それを拾い上げるとランディにそっと手渡した。

「……」

ようやく呼吸が整って、渡された剣を鞘に収める。そしてゆっくりと立ち上がると、すっと鞘ごとオスカーに突きつけた。

「でもこれで勝機は見えましたよ。次は絶対一本取ってみせます!」

「ああ、ぜひそうしてほしかったよ」

「あ……っ」

いつもの調子でランディは言ったのだったが、オスカーの言葉に自分に残された時間が僅かしかないことを思い出したらしい。小さく呻いたかと思うと、やがて照れ臭そうに頭を掻いた。

「そう……ですよね。ははっ、俺、とうとう最後までオスカー様には敵わなかったな」

「……ランディ」

オスカーは呟くと、苦笑している後輩を見下ろして目を細めた。

「まさかお前の方が先だったとはな……」

「……」

ランディは黙ってうつむいた。が、すぐに顔を上げるとオスカーを見上げて、いつもと同じ屈託のない笑顔を浮かべる。

「あの、俺、汗だくになっちゃったのでシャワーを浴びてきます! オスカー様、もしお時間があったら、居間の方でゆっくりしていて下さいませんか?」

そんな後輩の爽やかな笑顔に、複雑な表情を浮かべていたオスカーもついつられて苦笑を漏らした。

「ああ、わかった」

「じゃ、また後で」

言って駆け出したランディは、バルコニーの階段を駆け上がったところでぴたりと立ち止まった。そしてゆっくりと振り返ると、木の枝にかけていたマントを取っているオスカーに向って叫んだ。

「オスカー様!」

呼ばれたオスカーが振り返ると、ランディは何かを言おうと口を僅かに開けた。が、すぐに思い直したらしく、小さく首を振った後、にっこりと笑った。

「あの、本当にありがとうございました。俺、鍛えてもらったことを、絶対に一生忘れません!」

 

ランディは髪を拭いていたタオルを首にかけ直すと、頭を手で乱暴に掻き上げた。こんな有り様をオリヴィエが見ていたら、きっと悲鳴を上げたことだろう。

そしてまだ上気して火照る頬を手で軽く叩くと、ほうっと息を吐きだしながら浴室のドアを開ける。

廊下をゆっくりと歩きながら、屋敷の中を改めて確認するように見回しながらランディは居間に向って歩いて行った。

それほど長く住んだわけではないが、それでもここは、彼にとって大事な我が家だったところだ。

ようやく居間の入り口にたどり着くとランディは中を覗き込んで、窓辺でじっと外の景色を見つめている先輩の背中に声を掛ける。

「オスカー様。シャワー空いたので、どうぞお使い下さい」

声を掛けられて振り向くオスカーに、ランディは軽く微笑む。

「すみません。お客さんより先にシャワー使っちゃって」

「なに、構わないさ。それに俺は、これっぽっちも汗をかいていないしな」

皮肉めいた台詞を吐くオスカーは、たちまちムッと不機嫌そうに顔をひそめるランディを見つめて楽しそうに笑う。

「坊や相手に大汗かくようじゃ、俺も引退しなきゃならないぜ」

「……どうせ俺は物足りない相手ですよ」

拗ねたようにぼやきながら居間のソファに座るランディに向って、オスカーはゆっくりと歩み寄りながら肩を竦める。

「そう悲観することはないぜ。確かに汗はかかなかったが、何度か冷や汗はかかされた。……腕を上げたな、ランディ」

「え?」

驚いて顔を上げる後輩に軽く微笑んで見せると、オスカーはランディの座っているソファに置かれた旅行鞄にちらりと目を留めた。

「……随分、小さな荷物だけなんだな」

「はい。ここに来た時もこんなものでしたし……」

ランディがちらりと鞄に視線を移すと、それに合わせてオスカーは向かい側のソファにゆっくりと腰掛けながら苦笑いを浮かべる。

「まぁ、土産を持って帰る家族もいない、か」

「……」

オスカーのぽつりと呟く辛い現実にも、ランディはただ困ったような笑顔を浮かべるだけだった。

そんな彼の態度に軽く含み笑いをかえしたオスカーは、ぐっと身を乗り出したかと思うと、ここに来た時に小脇に抱えていた赤い包みをテーブルの上にトン、と置いた。そして包みをゆっくりと広げながらランディを見上げて小さく笑った。

「付き合えよ」

「え…? あの……俺は」

包みの中から現れた瓶の正体がわかったランディは、遠慮がちに手を軽く振る。

今までオスカーには剣の稽古につきあってもらったことはあっても、こんな風に酒に誘われたことはなかった。そもそもランディは、そんなに酒を嗜む性質ではない、というのもあったからだろうが。

しかしオスカーは困惑するランディに向って、まるで女性を誘うときのように軽くウインクしてみせた。

「いいから付き合え。オリヴィエは視察に行っちまって留守だし、お前だって全く呑めないわけじゃないんだろう?」

「それはそうですけど……」

「だったら付き合えよ、ランディ。お前を男と見込んで誘ってるんだ。それに……お前と酒を呑むなんてのも、これで最後だしな」

キュッと音を立ててコルク廻しを瓶にねじ込みながら、オスカーはまるでなんでもないことのように呟いた。

しばらくランディは無言だったが、やがて軽く笑うと「はい」と答えて、ワイングラスを取りに行くために立ち上がった。

 

ワイングラスの中で光を反射して紅色に変化したように見える液体を見ながら、その美しさにランディは思わず呟いた。

「オスカー様、これ、とっても綺麗な色ですね……」

「カティスのワインだからな。当然さ」

「カティス様の?」

驚いて顔を上げるランディに向かって、オスカーは「驚いたか?」と問いたげに薄く笑ってみせる。

「チェスの勝負でマルセルから取り上げた。あの坊やも、ジュリアス様から手ほどきを受けた割にはまだまだだな」

「え? って、オスカー様っ!?」

ワイングラスをテーブルに置き、思わず立ち上がって身を乗り出すランディの反応に、オスカーはさも嬉しそうに蒼い瞳を輝かせた。

「冗談だ。チェスの勝負に勝ったのは本当だが、ランディの屋敷に行くといったら、なんとあの坊やの方から言い出してきたんだ。これをお前に飲んで欲しいってな」

「マルセルが、ですか?」

「ああ。自分で届けに行けと言ったんだが……。今は、お前の顔を見れない、ってな」

「……そうですか」

初めて会った時から、兄弟のように暮らしてきたマルセルである。今度の別れは、おそらくランディ以上に彼の心を傷つけているのだろう。

安心したように溜息を吐くランディに、オスカーはくっと軽い笑いで答える。

「相変わらず早とちりだな、お前は。そんなで聖地を出て大丈夫なのかとこっちが不安になるぜ。誰かに騙されやしないかと心配になる」

ムッとなったランディは、すとんとソファに座り直すとワイングラスを再び手に取った。

「大丈夫ですよ。少なくとも、外の世界にはオスカー様はいませんからね」

「なるほど。そりゃあ一理あるな」

冗談とも本気ともつかない発言をし、オスカーはワイングラスを玩びながらソファの背もたれに寄りかかった。

そんなオスカーをじっと見つめ、ランディはやがて険しい表情を崩した。

「オスカー様。……ありがとうございました」

「ん?」

いきなり頭を下げられて、怪訝そうに眉をひそめる先輩に向かって、ランディは軽く微笑んでみせる。

「マルセルのことを心配して訪ねてくださったんですね?」

「……まぁな」

ぽつりと呟くと、オスカーはランディから視線を外し、ワイングラスを少し乱暴に手で玩ぶ。

この先輩でも照れることがあるのだとランディは初めて気がつき、少しだけ顔を背けると、オスカーから見えないように小さく笑った。