永遠の休暇

(3)

「遅くなって申し訳ありません、陛下」

珍しく息を切らしながら足早にやって来たロザリアに向き直り、アンジェリークはふわりと笑った。

「こんな雨だもの、仕方がないわ。ごくろうさま」

言うと、今まで見つめていた窓のカーテンを閉じ、執務机を回り込んでロザリアの前に歩み寄る。

「それで? もうすっかり引き継ぎはすんだの?」

「はい。あとは荷物をまとめるだけだと申しておりましたわ」

「……そう」

僅かに視線を落としてアンジェリークは呟いた。しかしロザリアの心配そうな表情を読み取ると、すぐに顔を上げて笑ってみせる。

「そんな顔をしないで。わたしは大丈夫だから」

「陛下……」

「それよりも彼の方が心配よ。ランディがいなくなった後、ちゃんとひとりで仕事ができるかしら」

アンジェリークはロザリアの心配そうな視線から逃れたくて、慌てて話題を変えた。するとロザリアは、しばらくアンジェリ?クをじっと見つめていたが、やがてほうっと諦めのため息を漏らしてから答えた。

「まだ少し不安要素はありますけど、最近の彼は目に見えて風の守護聖としての自覚を持ち始めています。あとは経験と時間が解決してくれると思いますわ」

「時間。……そう……そうよね」

思わず漏れたその言葉に、アンジェリークはたちまち思考を占領されてしまう。

わたしの、この痛みも哀しみも……時がいつか消し去ってくれるのかしら。

ゆっくりとソファに腰掛けるアンジェリークの様子を黙って見ていたロザリアは、不意に歩き出すと窓辺に寄り、先程アンジェリークが閉めたカーテンをさっと開いた。

「この雨は、涙雨ですわね」

「え?」

聞こえてきた言葉にアンジェリークが顔を上げて振り返ると、ロザリアは窓の外を見つめていた。そのまま彼女の背中を見つめていると、やがて窓ガラスに映るロザリアの唇が動いた。

「水のサクリアは優しさと癒しをもたらすもの。……そうでしょう?」

「ええ……」

「だからこの雨は、多分聖地の植物達にも癒しを与えるでしょう。けれど、陛下。貴女の心にはどうかしら?」

「……ロザリア」

ロザリアはゆっくりと振り返ると、アンジェリークの顔をじっと見つめて切なそうに眉をひそめる。

「この雨は貴女の涙。だから貴女の心に降るこの雨は、貴女の心を癒してはくれない」

「……やめて」

「貴女を癒せるのは彼だけ。彼のサクリア、いいえランディの存在こそが、貴女に癒しと幸福をもたらしてくれるのでしょう?」

「もうやめてっ!」

ロザリアの言葉を聞いたアンジェリークは、まるで気が触れたのかと言わんばかりの大声で叫ぶと、両手で自分の身体をぎゅっと抱きしめて俯いてしまった。

「だからどうしろっていうの!? 今更、わたしに何が出来るっていうの!?」

震える声でそう囁くと、今まで我慢していた涙が溢れてくる。

「何が女王よ! 唯一絶対の至高の存在よ! たった一つのサクリアを操ることすら出来ないじゃない! わたしは一番大切な人の力が失われていくことさえ、止めることが出来なかったじゃない!」

一度流れ出せばもう止められない、そうわかっていたから今まで堪えていた涙は、まるで堰を切ったように後から後から込み上げてきた。

どうして?

なぜいけないの?

ただあの人の微笑みが見ていたいだけだったのに。

それ以上何も望んではいない。それだけで十分わたしは幸せだった。

なのにそれさえも、わたしには過ぎた望みなの?

わたしは、いつまで女王という名の孤独を味わっていなければいけないの?

 

昔は一目をはばからず大きな声で泣いていた少女は、女王となった今、身体をちぢこませ声を殺して嗚咽していた。それが余計に哀れに見えて、ロザリアもきゅっと唇を噛みしめ胸の痛みを押さえ込む。

「……アンジェリーク」

少女の名を呼ぶと、ロザリアはその肩にそっと振れる。びくりと身体を震わせ、ロザリアを見上げたその顔は涙でグシャグシャになっていたが、そこにはもうあの頃の恋に恋する少女はいなかった。そこにあったのは、愛を知り、その思いを引き裂かれる哀しみにくれる女性のものだった。

その顔を見た途端、ここ数日間ずっと悩んでいたロザリアの心が決まった。

反逆者と呼ばれてもいい。

後世、大罪人であると記録に残るとしても、甘んじて受けよう。

たとえ死してのち、地獄に堕ちたとしても構わない。

「お行きなさい」

「え?」

信じられない言葉を聞いたように、アンジェリークはぼう然とロザリアを見つめ返す。その大きな瞳を見ながら、この瞳の美しさは昔と同じだわとロザリアは思った。

そして思いながら、ずっと言えなかった言葉を、言ってはいけないと思い悩んでいた言葉をもう一度告げる。

「彼のところへお行きなさい、アンジェリーク」

「……ロザリア。でもっ」

「いいから。もう……我慢しなくて良いから……」

そう言ってロザリアは微笑んだ。