「ランディ……大丈夫?」
「ああ、大した事ないよ。ちょっと膝を打っただけだから。……それよりっ!!」
ぱんぱんと自分の膝についた埃を払ったランディは、心配そうに自分を覗き込んでくるアンジェリークを険しい顔で見返した。
アンジェリークはその真剣な表情にどきんとし、ランディが自分に向かって伸ばした右手の動きに身体をこわばらせて思わず目を瞑ってしまう。
「……ここ、真っ赤になってる。どこかにぶつけたんじゃないのか?」
ふわりと温かい手が優しく自分の鼻筋に触れてくるのを感じ、アンジェリークはふっと目を開けた。
目の前にじっと覗き込んでくる青空のような瞳がある。その瞳に吸込まれてしまいそうな不思議な感覚に捕らわれ、アンジェリークは夢うつつで答えた。
「……ちょっと……転んじゃったの……」
「痛みは?」
「……ん、もう大丈夫。全然痛くない……」
「ならいいけど」
ほっと安堵の息を漏らすランディをうっとりと見つめていたアンジェリークは、しかし次に彼の口から出た言葉の為に現実に引き戻される。
「それにしても、普通は転んだらまず腕を着くもんだろ? あんまり顔からまともに行かないと思うけど」
「うっ……だ、だって……。そんな事言うけど、ランディだって……今思いっきり転んだじゃないのぉ」
「そ、そうだけどさ。でも、俺は前が見えなかったし手は荷物で塞がってたわけだし……」
「わたしだって、呼び止められて急に振り返ったから転んじゃったんだもん。急に声をかけたオスカー様がいけないんだもん」
「オスカー様が?」
「そうよっ! 急に声をかけられて慌てて振り返ったから転んじゃったのっ! ……でも、ちゃんと助けてくれたから、今回は許してあげるけど……」
「そ……うだったんだ」
ランディはアンジェリークから視線を逸らし、所在なげに軽く頭を掻いた。
アンジェリークは拳を振り上げて力説していたが、急に黙り込んだランディのその様子に、拳を降ろして不審げにランディの顔を覗き込んで首を傾げた。
「ランディ? どうしたの?」
「……」
無言でそっぽを向いていたランディは、アンジェリークにくいっと袖を引っ張られて視線を戻した。
そして自分を見上げてくる大きな緑の瞳にほんの少し不安そうな光が宿っているのを見てしまい、がしがしと頭を掻くと観念したようにとつとつと喋り出した。
「俺が……勝手に勘違いしただけ。その、さ。君がオスカー様と、その……手を繋いでたから……オスカー様の悪い癖が出たのかなって……。君を信じてないわけじゃないんだ。でもオスカー様は俺なんかよりもずっと頼りがいがあるし、大人だし、どんな女の子だってオスカー様に口説かれたら悪い気分はしないだろうし……」
「ランディ……」
「ゴメンっ! こんな風にちらっとでも考えるなんて、君を信じてないって思われてもしょうがないよな。なんか……自分でもいやになる。俺……君のことになると、いつも以上に冷静になれなくって……修業が足りないな」
情けなさそうに軽く微笑むと、ランディは再び視線を外した。
多分アンジェリークは、呆れた顔で自分を見つめているのだろう。その非難の視線を正面から受け止める自信がなかったからだ。
ランディは一瞬の沈黙に堪え兼ね、ふうっとため息をついてしまう。
すると自分の左肩にこつんという軽い音と僅かな重みを感じて首をひねってみた。
アンジェリークはランディの袖をぎゅっと掴んだまま、ランディの肩に寄り掛っていた。
一瞬、彼女が立ちくらみでも起こしたのかと思ったランディは、慌てて自分に寄りそうアンジェリークの肩に恐る恐る手をかけて軽く揺すってみた。
「ア、アンジェ……? 具合でも悪いのかい?」
問いかけられたアンジェリークはふるふると首を振り、ランディの袖を掴んでいた手を離すと、下ろしている彼の左手をきゅっと両手で握りしめた。そして俯いたまま微かに呟く。
「ううん、大丈夫。あのね……ただ、嬉しかっただけ……なの」
「嬉しかったって?」
「ランディが……ヤキモチ妬いてくれたんだぁって思ったから。わたしの事、すっごく大事に想ってくれてるんだなぁって……わかったから。えへへ、なんだか照れ臭いけど……すごく嬉しくって」
アンジェリークは俯いたままくすっと軽く自分自身を笑い飛ばす。そんな彼女の仕草にランディは胸がきゅっと締めつけられ、思わずアンジェリークの肩にかけた手に力がこもった。
「アンジェリーク…俺……」
「……ランディ……」
ムードはまさに最高潮。そこが庭園の木陰だろうが聖殿の廊下だろうが、若い二人には対した違いはない。
お互いに顔を見つめあうと、アンジェリークはすっと瞼を閉じ、ランディはその柔らかい頬を両手で包み込むように抑えた。
そして顔を近づけると熱のこもった吐息を漏らしながら囁いた。
「アンジェ……」
「あのよ?」
突然聞こえたその間抜けな答えに、アンジェリークはぱちっと目を開けランディは慌てて後ろを振り向く。
「ゼ、ゼゼゼゼフェルッ!」
「オレの名前はそんなに連呼するほど珍しいのかよ、ランディ野郎」
「ゼ、ゼゼゼフェル様っ!」
「……おまえら、ほんっと似たもん同士だなぁ」
ゼフェルは怒る気力も失せたのか、とんとんと手にしていた書類で自分の肩を軽く叩いた。
そして真っ赤になって慌てるアンジェリークと引きつった笑みを浮かべるランディにズンズンと近づきアンジェリークをちらっと一瞥する。
「おい、手ぇ出せ」
「え? こ、こうですか?」
アンジェリークが手の平を上に向けて両手をゼフェルの前に差し出すと、その上にぽんっと書類の束が乗せられる。
「全部目ぇ通しといたぜ。サインするとこはしといた。じゃあな」
そう呟くと、ゼフェルはひらひらと片手を振りながら無表情のままで二人の脇を通りすぎる。
「じゃあなって……。おい、ゼフェル! どこへ行くつもりだ!?」
「どこだっていいだろ、るっせーな。仕事が終わったから帰るんだよ」
振り返ろうともせずに歩き去って行くゼフェルの後ろ姿に、手に乗せられた書類を一通りチェックしたアンジェリークは尊敬の眼差しを送った。
「……全部終わってるわ。さっき渡したばっかりなのに、ゼフェル様ってすごーい!」
「やればできるんじゃないか! すごいぞ、ゼフェル!」
しきりに感心しあうふたりの歓声を受けてゼフェルはぴたりと立ち止まる。そして呆れたように軽く肩をすくめると、またすたすたと歩きだした。
「おまえらもさぁ、さっさとやる事やっちまってからイチャつけよ。こんなとこでムード盛り上げてっと、うるせー奴に見つかるぜ?」
ゼフェルのため息交じりの捨て台詞に、ランディとアンジェリ?クは一瞬お互いの顔を見つめ合い、次の瞬間同時に真っ赤になって視線を逸らして俯きあってしまった。