君色想い

(1)

「失礼しまーす」

にこにこと微笑みながら叫んだアンジェリークは、その声と同じくらいの元気さでドアをぱたんと閉じ、手もとの書類を少しずつずらして改めて枚数を確認する。

「後は……オリヴィエ様とオスカー様と……えっと……」と呟きながら最後の一人の顔を思い浮かべ、ほんのり頬を桜色に染めた。

そして書類を数枚引き抜くと、一番後ろに持ってきて手の平の上でとんと揃える。

「ランディのは最後にしよっと。配り終ったら一段落つくし…」

『仕事が終わったんだったらさ、ちょっとお茶でも飲みに行かないかい? あそこのケーキ、好きなんだろ?』

「……なんて誘ってくれるかも。うふふ、一緒にお茶するの久しぶりv」

二日前の日の曜日にデートしたばかりのはずだが、恋する少女にとっては一日会わなければ『久しぶり』なのだ。

聖殿の廊下のど真ん中で一人妄想に耽り、手にした書類をぎゅうっと抱きしめて「きゃあ――っ!」と歓声を上げた時、「……補佐官殿は相変わらず可愛らしいな」という含み笑いが背後から聞こえ、驚いたアンジェリークは書類を抱きしめたまま振り返って天を仰いだ。

「オ、オ、オスカー様っ!! い、いきなり背後に立たないでくださいっ!!」

面白そうにこちらを見下ろしている青い瞳と正面から視線が絡まったアンジェリークは、真っ赤になりながら思わず非難めいた声を漏らした。

「ここは俺の部屋の前だぜ? だいいち聖殿の廊下を歩くのに、いちいち補佐官殿の許可を取らなきゃならんのか?」

顎に手をやりながら楽しそうに目を細めるオスカーを改めて見上げ、アンジェリークは再び視線を執務室のドアに向ける。

しばらくの沈黙の後、再びオスカーを見上げた新米補佐官は、ゆでダコのように真っ赤になった。

「……ご、ごめんなさいっ! お邪魔していたのはわたしの方だったんですねっ!」

ぺこんと慌てて頭を下げると、アンジェリークは踵を返して逃げるように走り出した。

「おいっ、お嬢ちゃんっ!!」

「はい?」

女王候補時代に呼ばれていた懐かしいその響きに、アンジェリークはつい気が緩みドレスの裾をぱっと離して振り返った。

「よそ見をすると危ないぞっ!!」

「え? ……きゃんっっっっっ!!!」

子犬のような悲鳴を上げたかと思うと、アンジェリークはビッッターンという音とともに勢い良くその場に転がった。まだ慣れない補佐官のドレスの裾を、これまた履き慣れないヒールで思いきり踏みつけたのだ。

「だ、大丈夫か?」

「……ふえ……だ、だいひょうふ…れす」

オスカーが慌てて駆け寄り助け起こすと、アンジェリークはしこたま打った鼻を右手で抑え、大きな瞳に涙を浮かべながらもコクコクと頷く。

その様子があまりにも可愛らしくて、オスカーはおもわずぷっと吹きだしてしまった。するとその途端、アンジェリークはかっと赤くなり自分を支えてくれているオスカーの腕をぽかぽかと殴り始めた。

「も?っっ!! 何で笑うんですかぁ――?っ!!」

「クックッ……い、いやすまない。あんまり君が……あの頃のままなんでつい……」

「……む――っ!!」

アンジェリークはぷっと膨れるとそっぽを向く。オスカーはまだくすくすと笑っていたが、横を向いているアンジェリークの前に回り込むとすっと手を差し出した。

「失礼、補佐官殿。お手伝いいたしましょうか?」

「……」

アンジェリークは上目遣いでオスカーをしばらく睨んでいたが、彼がいつもの笑みを絶やさずに手を差し伸べたまま待っている為、軽くため息をつくとその手をとって立ち上がった途端、廊下の端から足音とざわめきが聞こえてきた。

「オリヴィエ様、少しくらいご自分で持って下さい。これじゃあ……前が見えないですよ」

「だからちゃんと教えてあげてるじゃない。……あ、そこ、段差になってるから気をつけな」

「え? うわっ!!!」

ランディは自分の足元を見たが、もうすでに彼の足は段差に引っ掛かっていた。ずどーーんっっっ!!という音とともに、ランディは派手にひっくりかえる。

その為、彼が両手に抱えて持っていた衣装ケースやら袋やらは辺りに飛び散り、思わずオリヴィエは悲鳴を上げた。

「なにやってんのっ! ああもうっ、私の大事な衣装になにかあったらタダじゃおかないよ、ドジっ!!」

「す、すみません……って、少しは俺の心配もしてくださいよ、オリヴィエ様っ!」

寝ころんだ体勢のままオリヴィエを見上げて軽く抗議したランディは、自分に注がれている前方からの視線に気が付いてそちらに視線を向けて目を丸くした。

「あ……アン……ジェ?」

「おや、オスカーとアンジェじゃない。お元気――? ……ところであんたたち、廊下の真ん中でなに手を握りあってんの」

オリヴィエはひょいと手を上げて挨拶した後、こちらを手を取りあいながら呆然と見つめるアンジェリ?クとオスカーの様子に、ぴくりと眉を僅かに上げた。

そう問われたアンジェリークは、ランディに向けていた視線を自分の手もとに戻す。そしてぎゅっとオスカーの手を掴んでいた自分の行動に驚いて、慌てて手を引っ込めた。

「……きゃあっっっ!! ヤダッッ!!」

「きゃあ、ヤダって……。ショックだな、お嬢ちゃん」

「あ、えっっ!! そ、そういうつもりじゃ……ご、ごめんなさいっ!!」

アンジェリークは不満の声を漏らすオスカーに向かって、また慌てて頭を下げる。

その様子を黙って眺めていたオリヴィエはしばらくしてから合点がいったのか、くすっと笑うと廊下に散らばった衣装ケースを集め、それをぽんっとオスカーに渡す。

「……おい、オリヴィエ。なんの真似だ?」

「ここからは役者交代だよ。あんたはランディとバトンタッチして私の荷物持ちをしな」

「ちょっと待て。どうして俺がおまえの荷物を運ばなきゃならんのだ?」

オスカーが抗議する間にも、オリヴィエは散らばった衣装やら袋やらを次々にオスカーの腕に乗せてゆく。

「こらっ!! 人の話を聞けっ!!」

「るっさいねーっ。あんた、馬に蹴られるよ。さ、邪魔者はとっとと退散、退散!」

そう言うとオリヴィエは、オスカーの背中を押しながらじゃ?ねっと右手を振り、ようやく立ち上がったランディとアンジェリークに向かってウインクをしながら去って行った。

「オ、オリヴィエ様、オスカー様っ! あのっ、この書類っ……」

“持っていって下さい”とアンジェリークは慌てて顔を上げたが、もうそこには二人の姿はなかった。