「――あーあ。そりゃ、振られたな」
翌日、やはりいつものように花の来訪について嫌みを言おうと待ち構えていた孟徳に、元譲は事の次第を説明した。 すると孟徳は、先ほどまでの仏頂面はどこへやら、実に満足げな笑みを浮かべて執務机の椅子に腰掛けると、うさんくさげな表情を浮かべている元譲の様子に、呆れたように肩をすくめた。
「それにしても、花ちゃんも可哀想な子だよなぁ。なにもよりにもよってこんな朴念仁じゃなくったって……」
「俺にしとけばいいのに……」と口を尖らせて机に頬杖をつく孟徳の前で、元譲は執務机をばしんと叩くと眉をひそめた。
「おい、孟徳。一人で納得しておらんで、俺にわかるように説明しろ。あいつが怒ったというのはわかるが、それが何故なのか俺にはさっぱりわからん」
「……わからない、ってのが、俺の方こそ理解不能だよ」
言ってため息をついた孟徳は目を細め、肘をついた手をひらひらと振ってみせた。
「それくらい自分で考えろ、元譲。俺はこの通り仕事で忙しいんでね。ほら、出てった出てった」
「う……うむむ…っ」
追い出す口実だとわかっているのだが、仕事だと言われてしまうと生真面目な元譲はそれ以上粘るわけにはいかず、結果、元譲は悔しげに唸ってから孟徳の部屋を出て行かざるを得なかった。
「――こんな時ばかり仕事だなぞと言いおって……これでなにもしておらなかったらただではすまさんぞ、孟徳め」
ぶつぶつ言いながら調練のために中庭に向かおうと回廊の角を曲がろうと顔を上げた元譲は、突き当たりの自分の部屋の前に人影を見つけ、思わず隻眼を見開いた。
「……花、か?」
すると華奢な人影ははっとしたように顔を上げ、元譲の姿を認めると小走りに駆け寄ってきた。そして彼の前で足を止めると顔を伏せ、そのまま深々と頭を下げた。
「あのっ、昨日は急に帰ったりしてすみませんでした。元譲さんのお邪魔をしていたのは私の方なのに、勝手に怒ったりしてごめんなさい!」
「あ、ああ……」
彼女が怒ったわけもわからないが、ここまで丁寧に謝られる謂れもないと思っている元譲は、軽くうなずき返して曖昧な声を漏らすしかなかった。しかし花が下げた頭をなかなか上げようとしないので、やがて肩をすくめると躊躇い勝ちに彼女の小さな肩にそっと手を伸ばした。
「も、もういい。いい加減、顔を上げてくれ。なにが気に触ったかはわからんが……俺も悪かった」
「元譲さん……」
ゆっくりと顔を上げる花の視線に元譲は、所在なげに頭を掻いて目を合わせた。
「俺は、お前のような若い娘の考えていることはよくわからん。だから気になることがあるなら、これからは遠慮せんで言うといい。昨日のようになにもわからんまま投げ出されるより、はっきり言ってもらう方が、お互いにすっきりするからな」
そう言って薄い笑みを浮かべる元譲を、花はまじまじと見上げた。やがて彼女は恐る恐る口を開くと「それじゃ、あの……元譲さん、怒ってないですか? また、遊びに行ってもいいですか?」と不安げな声を漏らした。その問いに元譲は僅かに戸惑ったが、すぐに視線を逸らしながら軽くうなずいてみせた。
「なにがいいのかはしらんが……好きにしろ。俺の邪魔さえしないのなら、お前の来たい時にいつでも来るといい」
元譲の答えに、花の不安げな表情はみるみるうちに喜びの笑顔に変わった。そのことに安堵して元譲が思わず口元に笑みを浮かべると、花はますます笑みを深くして、それかぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございます! よかったぁ、元譲さんに嫌われてなくて……私、頑張りますね!」
「頑張る? なにをだ?」
嫌われていなくてよかったと口にする花の素直さにくすぐったくも面映い感情を抱きながら元譲が首を傾げると、顔を上げた花はにこりと笑ってみせた。
「なにって、元譲さんのお嫁さん候補にしてもらえるよう、これからも頑張るってことです」
「なに?」
元譲の声が思わず裏返ったが、花はにこにこと笑ったままで、すぐに口元に手を当てるときびすを返した。
「いけない、もう戻らないと文若さんに怒られちゃう。それじゃあ元譲さん、また遊びに行きますね!」
「あ……お、おい待てっ!」
慌てて追いすがった元譲だったが、意外にも彼女の足が速いのは先日経験した通りで、今度も元譲の手は空を切っただけだった。
そうして一人残された元譲は「俺の……」とぽつり漏らしてから、ゆるゆるときびすを返して歩き出した。
いまは頭がよくまわらない。とりあえず仕事が終わるまでは考えないことにしよう、と自分に言いきかせ、元譲は調練の場へと向かった。