意外な真実

(1)

「元譲さんは、どうしてご結婚されないんですか?」

唐突な問いに剣を磨く手を止めた夏候元譲は、声の主を振り返らず深いため息をついた。

彼女の言動はいつだって、こんなふうに唐突だ。 そもそもこの部屋に訪ねてくるようになったのも突然だったし、それを元譲が特に咎めなかったからか、いつの間にか休みの日になるとこうして現れ、何が楽しいのか元譲の側を離れずに時間を過ごし、日が落ちる頃になると満足げに帰っていくようになった。

「どういうつもりだ?」と問えば、彼女は不安げな表情を浮かべて「私、お邪魔ですか?」と声を落とす。 まるで幼子を虐めているような罪悪感に元譲は眉をひそめ、「別に、邪魔と言うわけではないが…」と返せば、途端に彼女は顔を上げ、嬉しげに声を弾ませた。

「じゃあ、元譲さんの側にいてもいいですか? お仕事があるなら絶対に邪魔はしません。おとなしくしていますから」と言うし、実際いままで邪魔をされたことはない。 だから元譲は反対する理由も思いつかないまま、いつも彼女を部屋に通してしまうのだ。

「――油断も隙もないとはこういうことだな。どうやって花ちゃんをたらし込んだんだ、元譲?」

目元がまるで笑っていない冷ややかな笑みで曹孟徳に幾度も詰め寄られたが、元譲は答えに窮して押し黙るしか出来ない。どうしたもなにも元譲自身、彼女が何故急に自分に対して関心を持ち始めたのかまるでわからないからだ。

「若い娘の考えることはさっぱりわからん。まぁ、珍獣かなにかでも観察している気分なのだろうよ」

孟徳に答えたのと同じ台詞を小声で呟いて、元譲はため息をつきながらちらと肩越しに少女に視線を送った。

「――それを聞いてどうする?」

すると少女=山田花はまばたきを数度繰り返してから、困ったように肩をすくめた。

「すみません、お仕事の邪魔なら黙っています」

「別に、口をきくくらいかまわん」

そう言って彼女から視線を外し、再び手の中の剣の柄に目を向けたが、背後の花はそれきり黙りこくってしまった。やがて元譲はまたため息をついてから、磨いた剣の刃を天にかざして目を細めた。

「俺の大事は孟徳で、成すべきことは奴の行く道を切り開くことだ。だから妻帯はせんと決めた」

「どうしてですか? 奥さんがいても孟徳さんを守ることは出来ますよ?」

以前、他の誰かにも同じようなことを言われた、と更に隻眼を細めた元譲は、剣を降ろしてゆっくりと花に向き直った。

「妻を娶れば、子が出来る。子が出来れば家を繋げてゆくことができ、子孫が栄える。だがそれは、俺の役目ではないからだな」

家族を持つということは、この世に執着が出来るということだ。そして生への未練は、戦場では存分な働きの妨げになりかねない。 すでに兄弟従兄弟はほぼすべて妻を娶り、子も多く生まれている。いまさら元譲が己の種を残さずとも夏候家は続いていくし、これからも曹家を支え、守り立ててゆけるだろう。

夏候元譲は曹孟徳の為に生き、曹孟徳の為に死ぬ。

孟徳の元に集った日からそう決めて生きてきたし、これからもそのつもりの元譲には迷いなど微塵もなかった。だから曹孟徳以外に、心を向ける相手など必要ないのだ。 しかし花は元譲の答えに納得がいかないのか、ほんの少し眉間にしわを寄せて首を傾げた。

「でも……好きな人が出来たら、一緒にいたいって思いますよね。結婚したいって思うと思うんです。だけどそれは孟徳さんを裏切ることとは違うし、それで元譲さんの生き方がおかしくなるわけじゃないと思うんですけど」

言いながら自分の言葉が理解できなくなったのか、花は「あれ? うーん、なんか違うな。ええと、つまりですね…」と続け思い切り眉をひそめた。そんな花を前に、元譲もまた眉間にしわを寄せると思わず額に手を当てた。

こんな風に、彼女の言動はいつだって唐突で理解不能だ。 別に元譲が妻を娶ろうと終生独身であろうと、花にどうこう言われる筋合いではないし、彼女が心配する必要もないではないか。 しかし花はなおもうんうんうなっているので、先に痺れを切らした元譲は剣を鞘に戻し、刃を磨いていた布を卓の上に放り投げてからゆっくりと目を開けて花を睨んだ。

「俺に何を諭したいのか知らんが、その前に自分の心配をしたらどうだ? 故国に帰る目処がついているならともかく、これからも孟徳の元にいるつもりならば、いつまでも独り身というわけにもいかんだろう。まぁ――いずれ奴の室に納まるつもりだというなら話は別だが、俺のところになど入り浸っていないで、もう少し顔の広い奴のところに通った方がお前のためではないのか?」

言って額から手を離した元譲を、花は大きく目を見開いて見つめ返していたが、やがてその瞳から光が消えたかと思うと視線は元譲から外れて地面に落ちた。

「……私のことは、いいんです」

「いや、よくはないな。むしろお前のほうこそ、その辺りを真面目に考えた方がいい。色恋については俺はわからんが孟徳なら――いや、孟徳以外に相談したほうがいいな。ともかく、誰か想う相手はおらんのか? そんな相手はいないというなら、先の見込みのありそうな年若の男がいないか、二三心当たりを当たってやっても…」

言いかけた元譲の言葉を遮ったのは、顔を上げた花のきつい視線だった。いままでそんな表情を彼女に向けられたことのなかった元譲は言葉を飲み込み、それから彼女の方へわずかに身を乗り出した。

「なんだ、腹でも痛いのか? それなら薬を…」

「いりませんっ! 薬も結婚相手もいりませんっ!」

花の剣幕に面食らって息を飲む元譲の前で花はすっくと立ち上がると、羽織の裾をぎゅっと両手で掴んで口を尖らせた。

「元譲さんに好きな人がいないなら、私も好きな人なんていらないですっ! 元譲さんが結婚しないのなら、私も結婚なんかしませんっ!」

「な、なんだそれは?」

面食らった元譲は思わず首を傾げたが、そんな彼をひと睨みしてから花はぺこりと頭を下げた。

「お邪魔してごめんなさい。私、今日はもう帰ります!」

「お、おいっ!」

きびすを返した花が足早に駆け出すとほぼ同時に、元譲は反射的に腕を伸ばした。しかしその手は花に触れることはなく、閉じられた扉の前で空しく空を掴んだだけだった。