「そうだ! あのね、文若さん!」
黙って馬の背に揺られていた花が急に振り返ったことに驚いた文若は、慌てて手綱を握り直して軽く眉をひそめた。
「いきなり動くな。乗っている人間の不意の行動は、馬を驚かせることにもなるのだぞ」
「ご、ごめんなさい」
怒られて肩を落とす花の様子に文若は小さくため息をつくと、顎を軽く動かして続きを促した。
「それで? なにを言おうとしたのだ?」
「あ、はい。次の町でも、文若さんお仕事探すんですよね?」
「ああ。節約してはいるが、なにせほとんど無一文でこちらに来てしまったからな。この馬の歩みでは、洛陽までどれくらいかかるかわからんが、金は稼げる時に稼いでおくほうがいい」
「ですよね……」
納得したように何度もうなずく花の横顔を彼女の肩越しに見おろし、文若は軽く首を傾げた。
「で、それがどうしたのだ?」
「いえ、それなら私も次の町に着いたら、なにかお仕事を探そうと思って…」
すると文若は一瞬目を見開いたが、すぐにまた元の細目に戻ると呆れたように息を吐いた。
「無駄なことをするな。第一、お前は読み書きもままならぬどころか、この国のこともまだ良く理解しておらぬではないか。そんな者が働く口などあるはずがない」
ぴしゃりと言い切る文若を恨めしげに見上げた花だったが、ふいっと文若に背を向けたかとおもうと、馬のたてがみを凝視しながら再び口を開いた。
「そりゃあ文若さんみたいにお店の経理計算とか、書簡の代筆とかは出来ませんけど。でも例えば畑のお手伝いとか、お店の裏方とかだったら読み書きは関係ないし」
「お前は畑仕事などしたことがなかろう? お前が想像しているよりも、遥かに重労働なのだぞ」
「じゃあ、お店の裏方とかやりますよ。接客は……無理だから、お皿洗いとか、お料理の下ごしらえとか…」
「それも重労働であることに代わりはない。第一、次の町だとて安寧であるとは限らん。民の心が安んじておらねば町は荒み、仕事など当然ないだろう。私だとて稼ぎ口がないかもしれぬというのに、お前のような小娘が……」
「そんなの、探してみなきゃわからないじゃないですか!」
花の予想外の大声に、馬が驚いたようにたたらを踏んで歩みを止めた。それを手綱でどうにか制してから、勢いでずり落ちそうになっている花の身体を慌てて支えた文若は、どうにか彼女を振り落とさずに済んだことに安堵して深いため息をついた。
「……まったく。いきなり馬が驚くような事をするなと言ったばかりだぞ。お前は、人の話を聞いていないのか?」
「ご……ごめんなさい…っ」
さすがに怖かったのだろう。文若の二の腕を握りしめて身体を摺り寄せたまま、花は青ざめた顔をして視線を伏せた。やがて文若は小さく息を吐くと馬の手綱を軽く引き、ふたたび馬を制御し始めた。
「落ち着いたなら少し離れろ――手綱を、動かしにくい」
「え? あ、はいっ」
文若にしがみついていることにようやく気づいた花は、あわわと叫んで目を白黒させながら慌てて手を離した。そして今度は慎重に前を向くと、真っ赤になった頬を何度も両手で叩いて深いため息をついた。 その様子をちらと盗み見た文若は、くすぐったそうにまばたきを繰り返して息を吐き、それからほんの僅か唇の端を持ち上げて笑った。
「――成す前から諦めるな、か」
「……え?」
ちらと肩越しに後ろを振り返った花は、じっと彼女を見つめる文若と目が合ってまた頬を赤らめた。そんな少女に文若は目を細めてみせると、すぐに視線を道の向こうに向けてしまった。
「正直なところ、金に困っているのは事実だ。路銀が貯まれば道中の食糧も多く購えるし、もっと足の速い馬も買えるかもしれん。そうすれば、より早く洛陽に着くことも出来るだろう」
「はい」
こくりとうなずく花に改めて視線を戻した文若は、呆れたような笑みを浮かべてぽつりとつぶやいた。
「仕事を探すと言うなら、私は止めん。まぁ……期待はしておらぬが」
文若の言葉に、花はぱあっと頬を上気させて微笑んだ。そんな彼女の想像以上の笑顔に面食らった文若は、またふいっと視線を逸らして殊更に眉をしかめてみせた。
「せいぜい高禄の仕事を探すことだ。私を、こんなことに巻き込んだのはお前なのだからな」
「はいっ、頑張りますね! ありがとう文若さんっ!」
嬉しげに言ってにこにこと笑い続ける花をちらと見た文若は、また所在なげに視線を逸らしてごほんごほんと咳払いをしてみせた。