「私はやはり、甘えていたのだと思います」
そう言って鈴花は、しぼった手拭いを「ありがとうございました」と永倉に手渡した。
「特別扱いはしない、そう言われて一人前のつもりでいました。むしろ大歓迎だって。でも…」
受け取った手拭いを首にかけた永倉は、井戸の淵に腰かけた原田をちらりと振り返り、わずかに口の端を持ち上げた。
「どっかでまだ、期待してたんだろ。『女』だって免罪符に」
「――はい」
うつむいてぽつりとつぶやく鈴花の肩はあまりにも小さくて、彼女がそれに甘えることは至極当たり前のように思えた。
だがそんな少女は、ここには居られない。沖田が言った通り、浪士組には不要、「いらない存在」なのだ。
「で、それがわかったところで、これからどうすんだ?」
ゆっくりと身体を起こして腕を組むと、原田は鈴花の方に向き直って問いかけた。
「このまんまじゃ、ここにはいられねぇ。手習い気分の娘っ子がいたんじゃ、邪魔なだけだしな」
「邪魔なだけならまだいいが、足を引っ張られちゃかなわねェ。それにおどかしたかねェが、ここはむさ苦しい野郎の集まりだ。なんかあっても……誰も責任はとれねェぜ」
「……」
永倉の言葉に、鈴花の肩がびくりと震えた。薄々は感じていたことでも、こうして言葉にされると改めて恐れが込み上げてきたのかもしれない。
青ざめた表情でぎゅっと唇を噛みしめている少女を黙って見つめていた原田と永倉は、やがて彼女の口から「――ここを出ていく」という言葉が漏れると思っていた。
やがて鈴花はぐっと両手の拳を握りしめて顔を上げ、足を踏ん張るようにして立つと、二人に顔を向けて目を輝かせた。
「私、決めました! こうなったらうんと強くなって、沖田さんに勝ちますっ!」
「…………んだって?」
絶句する二人の前で、鈴花は自分の言葉に納得したようにうなずくと、興奮気味にしゃべりだした。
「ええ、いくら強いといっても沖田さんだって人間ですもの。ここで武士道のなんたるかを学びながら修業すれば、私だって追いつけないこともありません! それに沖田さんを負かすくらいの力量があれば、私を襲おうなんてよからぬ企みを持つ人もいなくな……」
「ぶ………ぶはははははっっ!!」
突然聞えた笑い声に、鈴花は驚いて息を飲んだ。すると目の前に、腹を抱えて地面を転がる原田の姿があった。
「な、なんですかっ!」
思わず怒鳴って隣を見れば、永倉も地面にしゃがんで腹を押さえ、ひーひーと息を弾ませながら笑っている。
「オ、オメー……マジか?」
「大真面目ですよ! って、そんなに笑わなくてもいいじゃないですかっ!!」
「わ、笑うなってい、言われたってよ……」
「マ、マジだってか……ぎゃはははっ! ……は、ハラ痛てぇ……し、死ぬっ……っ!」
「なんですかもうっ! お二人とも笑いすぎですっ!!」
顔を真っ赤にして頬を膨らませながら抗議の声を上げる鈴花をしゃがんだまま見上げ、永倉はなおも込み上げてくる笑いを必死でかみ殺した。
「オメー、総司の腕を知った上で、んなこと言ってんのか?」
「無論です! 手合わせをしたんですから、それくらい知っています!」
「し、知ってて『勝つ』なんぞと言ってみてるわけだ」
「言ってみてるだけじゃないですよ。勝つんですっ、いつかっ!」
「や、やめてくれ、新八ぃ。そ、それ以上そいつに口開かせんな……俺ぁ、笑いすぎ、て、あ、あの世にイっちまう…っ」
「むっかーーっ!!」
「ぶははははっ! ……うっわ! や、やめろ、首絞め…マ、マジ死ぬ…っ!」
原田の首にかじりついている鈴花と、首に絡みついた彼女の腕を必死で引きはがそうとする原田を交互に見比べた永倉は、せっかく治まってきた笑いがまた込み上げてくるのを感じ、素直にそれに従った。
「――じゃ、本気で残るってんだな?」
ようやく本当に笑いが治まった永倉は、今にも手桶を原田に投げつけようとしている鈴花に尋ねた。すると彼女は振り上げていた腕をおろし、きゅっと眉をひそめると永倉を睨みつけるようにして吼えた。
「残りますっ、絶対っ! 誰がなんと言おうとここに残って、誰にも負けない己が剣を見つけてみせます!」
「己が剣、ときたか。――言うじゃねぇか」
くくっと軽く笑うと、永倉は鈴花の側に歩み寄った。そして彼女をみおろし、その頭をぐしゃっと乱暴に撫でた。
「ぴーぴー泣いて騒ぐだけの小娘かと思ったが――気に入ったぜ、桜庭」
「いっ…たいっ! こ、子供扱いしないで下さい!」
永倉の手から身をよじって逃れた鈴花は、乱れた髪を押さえながら振り返り、無精髭をなでている男を軽く睨んだ。すると永倉はにやりと笑い、上体を軽くかがめて鈴花の目線を合わせて、一瞬ひるんだ彼女を見ながら口を開いた。
「俺が教えてやろうか?」
「は? な、なにをです?」
「剣術だよ剣術。この永倉さんが教えてやるっつってんのよ。総司に勝てるかどうかってのはおいとくとして、その辺の男なら軽く伸せるくれェにならしてやれるぜ? ただし、手加減なしって条件がのめるなら、だけどな」
しばらく鈴花は、ぽかんとした表情で永倉の顔を凝視していた。が、やがて我に返ると頬を微かに染め、慌てて眉をひそめて顔を背けた。
「け、結構です! 私とて道場の娘、一人でどうとでも出来ます!」
「かわいくねェなぁ。女は身体が一番、素直が二番って言うだろが」
「言いませんよ、そんなことっ!! 身体関係ないじゃないですかっ! だいいち永倉さん、そんな人に教えられるほどお強く見えませんけどっ!?」
「……ほう。見もしねェうちからそういうこと言うか…」
鈴花の言葉に、永倉はすっと目を細めた。そして彼女の右腕をむんずと掴むと、原田の方に向き直って怒鳴った。
「左之、オメーも付き合え! この生意気な新入りに、ここの流儀ってのをみっっちりたたき込んでやろうぜ。身体に、よ」
言われた原田は永倉の意図を読み取ったのだろう。一瞬怪訝そうな表情を浮かべたが、すぐににやりと笑うと鈴花のあごを軽く掴んで、ひょいと顔を上向かせた。
「そうだなぁ、さっきはさんざんっぱら俺をいたぶりやがったしな。このまま無事で帰れるたぁ思うなよ、桜庭?」
意味深な笑みを浮かべる永倉と原田を交互に見比べた鈴花の背中に、冷たい汗がさーっと流れた。
「ち、ちょっと待ってっ! な、なにするつもりですか!?」
「んなのきまってっだろ。ナニすんだよ」
「手取り足取り腰取り教えてやっから、ちゃーんと覚えんだぜ?」
「え…………ええっっ!?」
本気で驚く鈴花の声に、永倉と原田は込み上げる笑いを押し殺すのに苦労した。
振り返って彼女の粟を食った顔を見たら吹き出してしまうので、二人とも前を向いたままお互いの顔も見ないようにし、鈴花の腕をそれぞれに引っ張って道場へと歩き出した。
「ち、ちょっと本気ですかっ!? 二人がかりなんて卑怯じゃないですか! だ、誰か助けてーーーーっ!!」