それは手にすると、ずしりと負荷がかかった。わずかに沈んだ両の腕を慌てて持ち上げ直すと、鈴花は顔を上げた。
「あの…本当に、これで毎回……?」
すると背を向けて歩き出していた青年は足も止めず、首だけ振り返って無邪気な笑みを浮かべた。
「ええ、そうですよ。それでも、僕には軽すぎるくらいなんですけどね」
「ひとつ断っておくけど、ここにきたからには特別扱いはしないよ。たとえ女の子でもね」
「はい。もとより承知しています」
「俺たちは実戦で役に立たなきゃ意味がないんだ。だから稽古も、普通の道場剣術とは違う。それは覚悟しといてもらえるかな」
そう言って、言葉の剣呑さとは裏腹な懐っこい笑みを浮かべた近藤に、緊張したまま頷いたのは昨日のこと。その時に、稽古の厳しさは覚悟したつもりだった。
いくら道場主の娘とはいえ、自分より強い者が片手に足りない田舎道場での経験しかない鈴花にとって、浪士組の幹部を勤める試衞館の面々は、まさに雲の上の存在だ。
その彼らに稽古をつけてもらえるならどんな厳しいしごきにも耐えてみせようと昨日決意したばかりだというのに、手の中の重い木刀に視線を落とした鈴花は思わずため息を漏らした。
「あの……沖田さん。私、恥ずかしながら、木刀はほとんど使ったことがないんです。いつも竹刀で、だから……」
「そうですか? じゃあ早くその重さに慣れて下さい。僕らの稽古は、ずっと木刀を使いますから」
さらりと言い放つと、沖田はさらに数歩進んで立ち止まり、今度は身体ごと鈴花のほうに振り向いた。
「じゃ始めましょうか」
「え?」
鈴花が怪訝そうに眉を寄せると、沖田は軽々と木刀を肩に担ぎ、楽しそうに笑った。
「楽しみだなぁ、他流派の人と試合うのって久しぶりなんですよ。桜庭さんは道場の跡取りだったんでしょう? さぞかしお強いでしょうから、ぜひにって土方さんにお願いしたんです」
沖田の言葉に、鈴花はさーっと背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
それを知っているのか知らないのか、沖田は朗らかな笑顔を浮かべたまま、木刀をすらりと片手で構えた。
「ほらほら、早く構えてくださいよ。ああそうそう、手加減はしなくていいって言われてますから、そのつもりで」
「もって三日、だな」
呟いて茶をすする土方の横顔を見ながら、近藤は苦笑を浮かべた。
「ほんと、トシは意地悪だよな」
近藤の呟きを聞いた土方は、片眉を微かに上げた。
「取り返しのつかない怪我をする前に、自分から出て行く気にさせてやろうって言ってるんだ。むしろ親切だと思うが?」
「そうかねぇ。その前に総司に怪我させられたら、とは考えないかい?」
心配そうな口ぶりだが、その実、近藤の口元には笑みが浮んでいる。
すると土方は小さくため息をつき、近藤の方に振り返った。
「あいつがそんなヘマをしないことぐらい、あんただって知ってるだろう? 手ごたえなしと思えば、総司は途端にやる気をなくす。あの娘が怪我をする前にな」
「桜庭くんは、総司の闘志をかき立てるには役不足だと?」
近藤の言葉に、土方は無言を返した。それはつまり、彼の意見を肯定しているということだ。近藤は大げさにため息をつくと肩をすくめ、少しクセのある柔らかな髪を右手でかき上げた。
「もったいないなぁ。俺としちゃあ女の子がいたほうが、ぱぁっと華やいでいいんだけどねぇ。なんていうか、仕事にも張り合いができるよ、うん」
「あいにく俺は、ここにあんたの娯楽の場を作る気はないぜ。遊びたきゃ揚屋でもどこでも行きゃあいい」
言うと土方は口元を微かにほころばせつつ立ち上がり、障子をゆっくりと開けた。
「せいぜい会津公への言い訳でも考えといてくれ、近藤さん。まぁいくら公でも、自分から逃げ出した娘をまさかもう一度戻そうとはなさらないだろうがな」
ぴしゃりと閉じられた障子をぼんやりと見ながら、遠ざかって行く土方の足音を耳にし、近藤は苦笑した。
「言い訳…ね。でも俺ぁ、あの娘はそんなヤワじゃねぇと思うぜ…」