「近藤さん、持ってきましたよ」
カラリと障子を開けて入ってきた沖田の手から、濡れた手ぬぐいを受け取ると、近藤はにかっと笑って目尻を下げた。
「すまねぇな、総司。……あー、こいつはいいや」
少し腫れて赤くなった左頬に手ぬぐいを押し当てた近藤が愉悦の声を漏らすと、沖田は面白そうに微笑み、背を向けて文机に向っていた土方は、呆れたようにため息をついた。
「ったく。新選組局長ともあろう男が、通りで妓(おんな)に頬を張られるなんざ、呆れて物も言えねぇ」
「あはは。でも、ちょっとその場を見てみたかった気もしますよ」
沖田が楽しそうに笑う横で、近藤は眉を微かにひそめ、恨めしそうな視線を彼に向けた。
「笑い事じゃねぇよ。こちとら、なんでそんな目にあったのか、皆目見当がつかねぇんだから」
「僕は、なんとなくわかりますけどね」
さらりと言う沖田の言葉に、近藤は一瞬目を見開いた。が、すぐに細くすがめると、首を少しかしげて沖田の顔を覗き込む。
「なんでわかんだよ。おまえ、いなかったじゃねぇか」
「いなくとも、大体の想像はつくということだ」
沖田が口を開く前に、文机に向ったままの土方の肩が微かに揺れたので、近藤はそちらに目をやった。
「なんでぇ。トシもわかるのか?」
「まぁな。大方、妓と二人連れ立っての道行きで、通り過ぎた別の女に見とれてたってとこじゃねぇのか?」
言われた近藤は、一瞬ぽかんとした表情を浮かべたが、すぐに手拭いを持っていない右腕を上げ、己の頭を掻きながら悪びれもなく笑った。
「すげぇなぁ、トシ。いや、これがさ、どこぞの商家の御新造といった感じの、目元涼やかでこう、小股のきゅっと切れ上がった、実にいい女でさぁ……」
「やっぱりな」と小さく呟いて肩を落とす土方の背中に詰め寄った沖田は、ほんの少し残念そうな表情を浮かべた。
「ずるいなぁ、土方さん。僕も、そう言おうと思ってたのに」
「えっ! 総司もわかってたのかっ!」
驚く近藤が振り向くと、沖田はにこっと無邪気な笑みを浮かべた。
「そりゃあわかりますよ。だって近藤さん、しょっちゅうやってるじゃないですか、そういうこと」
「おいおい、しょっちゅうってこたぁないだろ」
「しょっちゅうで悪けりゃいつも、だ」
「なんだよ、トシまで……」
拗ねたようの呟く近藤の言葉に、沖田はあははと笑い、土方は書き物を続けながら、口元に微かな笑みを浮かべた。
そんな二人に対し、近藤は憮然とした表情を浮かべ、だいぶ赤みのひいた頬から手拭いを離した。そしてそれを軽く握ると、深いため息をついて肩を落とした。
「しかし京の女ってなぁ、どうにも面倒でいけねぇや。見た目おとなしやかで優しそうなのに、ちょっとのことですぐ悋気を起こすわ気は強いわでさ……やっぱ女は、江戸が一番だねぇ」
「江戸の女の人だって、自分と一緒にいる時に他の人を見ていれば、そりゃあ怒りますよ」
沖田がそう言うと、近藤は「へ?」と間抜けな声を出しながら顔を上げ、不思議そうな表情を浮かべた。
「そうか? つねは俺があちこち見てても、文句なんざ言ったことがなかったぜ?」
「それはつねさんだからだ。あの人ぁ、ある意味特別なんだよ、近藤さん」
今さら何を、と言いたげに土方が顔をしかめたが、あいにく近藤らに背を向けていたので、その表情は見られることはなかった。そんな土方の背中をしばらく眺めてから、近藤は頬をかりかりと指で掻いた。すると沖田がくすりと笑い、近藤の方にいざり寄ると、彼の顔を覗き込むように首を傾げた。
「つまり土方さんはこう言いたいんです。近藤さんの奥方は、古今東西並ぶもののない、日の本一出来た女人だって」
「そう……なのかい?」
「ええ」
首を傾げる近藤に、沖田は自信に満ちた笑みを浮かべてこくりとうなずいた。すると近藤の表情がみるみる明るくなり、彼はずずっと畳の上を滑るように移動すると、黙々と筆を走らせる土方の背中を、ばっちーーんっと音を立てて叩いた。
「いっ!」
「なーーんでぇ、トシ! 褒めんなら、もうちっとわかりやすく褒めてくれよ。おう、言われなくたってわかってらぁ。俺のつねは、三国一の女房よ!」
さらりと惚気て豪快に笑う近藤の横で、土方はしばらくの間、じんじんする背中の痛みに無言で耐えていた。そして痛みが少し治まってから、文机の上に積んであった紙の束をがさがさと探り、そこから一通の文を抜き取ると、隣でなおも女房自慢を続ける近藤の目の前に、ずいっと突き付けた。
「……なんだい?」
「あんた宛だ。多摩の義兄から送られてきた文の中に入ってたんでな、渡そうと思って呼んだんだ。……ご自慢の、三国一の奥方からだぜ」
「つねから……文が?」
答えて受け取った近藤は、嬉しさと戸惑いがないまぜになったような、なんとも複雑な表情を浮かべて土方を凝視した。