ジェラシー

(1)

「……エルヴィン……エルヴィン!」

廊下の向こうから聞こえてくる声に、オーブンを開けようとしていたジェイドの手が止まった。 「なんだろう?」と首をかしげたジェイドがゆっくり振り返ったちょうどその時、彼の背後にあったキッチンの窓の桟の上に、飼い主の少女に先ほどから名前を連呼されている猫が、ひょっこりと姿を現した。

「エルヴィン。ここにいたのかい?」

言ってジェイドがにこりと笑いながら再びきびすを返すと、エルヴィンと呼ばれた猫は「うにゃーお……」と満足げに鳴き、足音も立てずに軽やかに床の上に飛び降りた。

「アンジェに黙って出てきてしまったんだね。彼女に心配をかけちゃ駄目じゃないか」

咎める口調とは裏腹に、ジェイドは柔らかく微笑んでいる。 だからだろうか、怒られたはずのエルヴィンは不思議そうに首をかしげたものの「にゃー」と一声鳴いただけで、キッチンを出ていこうとはしなかった。そしてジェイドの方へ駆け寄ってきたのだが、なぜか数歩前で立ち止まり、背の高い彼を見上げるように顔を上げ、なにかを催促するようにまた鳴いてみせた。

するとジェイドは、鳴き声に答えるように微笑んで膝を屈め、腕をエルヴィンの方へ伸ばすと、猫はまた満足げに咽喉を鳴らして、ジェイドの腕を軽やかに肩まで駆け上がった。

ジェイドがゆっくりと立ち上がっている間も、エルヴィンは彼の首周りをくるくると歩き回っていたが、やがてしっくりくる箇所を見つけたのか、肩の上に寝そべるように腰を下ろすと、ジェイドの首に柔らかな尻尾を巻き付けた。そして嬉しげに目を細めながらぱたぱたと尻尾を動かすものだから、ジェイドはくすぐったそうに肩をすくめてくすくすと笑った。

「エルヴィン、じっとしていて。今、君の素敵なご主人様のために、とびきりのケーキを作っているんだから」

ジェイドの言葉が理解できたのか、エルヴィンはぴたりと尻尾を動かすのをやめた。そして大きく口を開けて欠伸をしながら身体を伸ばすと、またすぐに丸くなってごろごろと咽喉を鳴らした。

そうしてエルヴィンを肩に乗せたまま、ジェイドがオーブンからふんわりと焼き上がったパウンドケーキを取り出していると、キッチンの向こうの廊下から、ぱたぱたと軽い足音が響いてきた。来訪者が誰であるか足音ですぐにわかったジェイドが振り返ると、そこへ予想通り、アンジェリークが軽く息を弾ませながら現れた。

「やぁ、アンジェ」

ジェイドが微笑みながら声をかけると、アンジェリークは「あ!」と小さく声を上げ、困ったように眉をひそめて彼の方へ歩み寄った。

「ジェイドさん、ごめんなさい。もぅ、エルヴィンったら! 急にいなくなると心配しちゃうじゃない」

アンジェリークはそう怒ったが、当人(?)であるエルヴィンは、ちらりと片目を開けてアンジェリークを見たかと思うと、またすぐに何事もなかったように目を閉じ、ジェイドの肩に頬を擦り寄せて咽喉を鳴らすだけだ。 そんな飼い猫の様子に、アンジェリークはむうっと唇をとがらせて「こぉら、ジェイドさんのお邪魔になるでしょ! 早くこっちにいらっしゃい!」と叫び、エルヴィンが飛び移りやすいようにとジェイドの方へ両手を伸ばした。

しかしエルヴィンはアンジェリークの言動など、どこ吹く風といった風情で、ジェイドの肩から動く気配はまったくない。 しばらくはおとなしく同じ姿勢で待っていたアンジェリークだったが、やがてしびれを切らしたらしく「エルヴィン!」と短く叫んだ。するとジェイドが苦笑してアンジェリークの顔を覗き込み、すっと目を細めてみせた。

「アンジェ、怒らないで。エルヴィンがここにいたいって言ってるんだから、そっとしておいてあげよう」

「で、でも。ジェイドさん、この子が肩に乗ったままだと動きにくいでしょう?」

心配そうに首をかしげるアンジェリークにジェイドは微笑み、ゆっくりと首を振った。

「俺なら大丈夫。エルヴィンはとても軽いから、まるで羽根が乗っているようにしか感じないよ」

「でも……手を動かしたりするの、大変じゃないですか? エルヴィンが邪魔をしてジェイドさんが料理中に怪我でもしてしまったら……」

そう言って眉をひそめるアンジェリークの前で、ジェイドは「大丈夫だよ、ほら」と笑顔のままで腕を動かしてみせようとしたのだが、右腕を上げたところでエルヴィンの胴体に肘を軽くぶつけてしまった。