小さなアンジェリークはご機嫌だった。いつもなら「おやすみ」と言って出て行ってしまうジェイドが、今夜はずっと側にいると約束してくれたからだ。
「ずっと? ずっといっしょ?」
ジェイドがかけてくれた布団にくるまりながら、アンジェリークは興奮気味に何度も確認してくる。そしてその度に、ジェイドが優しく微笑んで「うん、ずっとだよ」と答えるので、幼い少女はとろけそうな笑顔をずっと浮かべていた。
「あのね、きょうね、エルビンがね、とーーってもきえいなおはなをね、もってきてくえたの。そしたらね、イクスたんがね、おにわがこわえちったってね、すごくすごくおこったの。でもね、アンジェはね……」
アンジェリークの舌っ足らずのおしゃべりが止みそうにないと感じたジェイドは軽く笑うと、すうっと大きく息を吸って次の言葉を吐き出そうとしている少女の小さな唇にすっと指を押し当てた。
「おしゃべりはここまで。いい子はもう眠る時間だから、明日起きたら、また続きを聞かせてくれるかな」
するとアンジェリークは不満そうに口をつぐんだが、ジェイドがじっと見つめていると、頬をかすかに染めながら「あい。いいこやから、もうねましゅ」と呟いて布団に潜り込んだ。だがすぐに、ひょこっと小さな手を布団から出すと「シェイトたん、あのね」と甘えたような声を出した。
「おてて、ぎゅってして。ずっといっしょやから、ぎゅっがいいの」
ジェイドは少女の前髪を整えるように撫でながら、にこりと笑ってうなずいた。
「いいよ。今夜はずっといっしょだから、朝までアンジェと手をつないでいてあげる」
そう言ってジェイドが小さな手を包むようにそっと握りしめると、彼女はふにゃっとした笑顔を浮かべ、満足そうに目を閉じた。
気がつくと、ジェイドは暗闇の中にいた。
いつの間にか眠ってしまったのだろうか、と辺りを見回しながら身体を起こした拍子に、自分の手の中にあるぬくもりに気がつき、その先を目で追った。そして、そうであって欲しいと願った姿を腕の先に見つけ、彼は安堵の笑みを浮かべた。
「……アンジェ。今までどこにいってたんだい?」
呼ばれた少女はゆっくりと顔を上げると、ほんの少し寂しそうな笑顔を浮かべた。
「……ジェイドさん、来てくれたんですね」
つぶやくとアンジェリークは、そっと目を伏せた。そのはずみで彼女の瞳から涙がこぼれ落ち、驚いたジェイドは空いている方の手で、彼女の頬を優しく拭った。
「どうして……君は泣いているの? どうしたら、君は笑顔になってくれるのかな?」
するとアンジェリークは小さく首を振り、潤んだ瞳を上げてジェイドを見返した。
「来てくれただけで十分なのに……それだけで嬉しいのに。ジェイドさんが優しいことを言うから、私、どんどん欲張りになっちゃいます」
「……君はもっと欲張ってもいいと思うよ」
じっと見つめるアンジェリークの左手を改めて握ると、ジェイドは彼女の頭を抱くように胸元に引き寄せ、あやすように優しく叩いた。
「もっと甘えて、アンジェ。不安とか辛いことがあったら我慢しないで、俺やみんなに話して。俺は偽物かもしれないけど、君の本物の笑顔のためなら、なんだってしてあげるから」
ジェイドの言葉に、アンジェリークは一瞬大きく目を見開いた。だが、すぐに目を細めると、堪えきれなくなったように顔をくしゃくしゃにして彼にしがみついた。
「ジェ、イドさ……私、怖い……っ。女王にな……って、みんなを助けなくちゃって、わか……ってるけどっ。でも、聖地にい、ったら……そしたら私、またひ、とりぼっち……にな、っちゃう、って……だ、からっ」
「戻りたくなったんだね。女王の卵じゃなく普通の女の子で、楽しい思い出ばかりだった……小さかった頃に」
ジェイドの言葉に、アンジェリークはこくんとうなずいた。そんな彼女の頭を、ジェイドは何度も優しく撫でてやった。
「ねぇ、アンジェ。過去はもう変えられないけれど、未来はいくらでも変えられるものだって、俺に教えてくれたのは君だよ? だから……」
言うとジェイドは、アンジェリークのこめかみに両手を添え、涙目で見上げている少女の額に自分の額をこつんと当てた。
「一緒に考えようよ。アルカディアの未来を変えるように、君が独りぼっちにならない未来を……一緒に」
「……ジェイドさん」
彼にとって、それは深い意味のある言葉ではないかもしれない。だがその言葉はいまのアンジェリークにとって、なによりも大事で、一番聞きたい言葉だった。
――一緒に……ジェイドさんと一緒に、ずっと……
やがてアンジェリークは顔を上げ、ジェイドの瞳をじっと覗き込んだ。そしてふうわりと微笑むと、恥ずかしそうに頬を染めた。
「あの……もうひとつだけ、欲張ってもいいですか?」
「いいよ。なに?」
するとアンジェリークは、ジェイドの右手に自分の左手を添えて、幼女の頃を彷彿とさせる笑顔を浮かべた。
「朝がくるまで……この手を離さないでください」
言ってしまってから、改めて真っ赤になってうつむくアンジェリークを見おろしていたジェイドは、納得したようにうなずくと口元に優しい笑みを浮かべた。
「わかった。何があっても絶対に離さない……だから安心して眠って、アンジェリーク。俺は、ずっと君のそばにいるから」
朝の10時を過ぎても降りてこない二人を心配したニクス達が、アンジェリークの部屋を覗いてみるとそこには、ベッドですやすやと眠る元に戻ったアンジェリークと、脇の椅子に腰掛けながらベッドにもたれて眠るジェイドの姿があった。
邪気のない寝顔を浮かべる二人を、しばらく興味深げに観察していた三人は、やがて誰から言うともなく静かに、その場を離れた。
暖かな日だまりの中で眠るジェイドの右手とアンジェリークの左手は、しっかりと繋がれたままだった。