ジェイドの言葉を聞いたアンジェリークは、一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、すぐに相好を崩すとくすくすと笑いだした。
「どうしたの?」
心配そうに眉をひそめるジェイドの左手を、アンジェリークはきゅっと握り返すと何度も首を振った。
「ううん、なんでもないです。ただ、ジェイドさんはいつも、そうやって言葉にしてくれるから」
「おかしい?」
「いいえ、嬉しいなって」
「そう、よかった」
目を細めて微笑むと、ジェイドはアンジェリークの歩調に合わせるように歩く速度を落とした。
「君と出会って、言葉だけが全てじゃないって思うようになった。けれど本当に大事な気持ちなら、やっぱり口にして伝えたほうがいいと思う。それでまた、改めて自分も確認できるんだ」
そう言って歩くジェイドの横顔をちらりと見上げ、アンジェリークはくすっと笑ってから口を開いた。
「幸せだってこと、ですか?」
「え?」
今度はジェイドが、きょとんとした表情を浮かべる番だった。するとアンジェリークは左手の人差し指を立てて、左右に小さく振ってみせる。
「ジェイドさんの口グセ。さっき、私と会った時にも言ってましたよ」
「あ…」
アンジェリークにそう言われ、ジェイドは小さく息を飲んだあと、視線を僅かにそらして頬を染めた。
「うん、確かに言っている…」
「でしょう? でね、それが、私にもうつっちゃったみたいで」
ジェイドがちらりとアンジェリークに視線を戻すと、彼女は前を向いて歩きながら、目を細めた。
「さっきひとりで廻りの景色を見ていたときに、つい言っちゃったんです。『これが幸せなのかしら』って」
そう言ってアンジェリークはジェイドを見上げ、唇の端をきゅっと持ち上げた。
「そうしたら、ジェイドさんの言う通りでした。幸せだって口にしたら、黙っているよりもずっと、幸せだって実感できたような気がしたんです。……不思議ですね」
「アンジェ…」
アンジェリークはジェイドの手をそっと引き、立ち止まった。そして彼の顔を真っ直ぐに見上げ、泣きそうな笑顔を浮かべた。
「私、ジェイドさんが大事です。誰よりも大好きです。ずっと一緒にいて欲しいです。ジェイドさんのこと、もっともっと知りたいです。だから…隠さないで」
「俺が、隠してる?」
「ジェイドさんが人間じゃないとか、そういうことは関係ないんです。ジェイドさんはジェイドさんで、私が大好きな人で、ずっと一緒に歩いていく人で……それが真実で、全てなんですから」
一気に喋ってほっとしたのか、アンジェリークは小さく溜息をついた。そしてすぐに、口にしてしまったという気恥ずかしさからか、頬を赤く染めて軽くそっぽを向いた。 しばらくして、ジェイドは視線を僅かにそらすと、アンジェリークの手を離した。
「ジェイドさん…?」
「……アンジェ。この荷物、少しだけ足下においても大丈夫かな?」
「え? 多分、大丈夫だと思いますけど」
ガラスのイヤリングはポケットに入れているし、割れて困るようなものは買っていない。ちらりと考えたアンジェリークがそう答えると、ジェイドは丁寧に紙袋を足下に置いた。 そしてそのまま空いた手を伸ばすと、アンジェリークをふわりと抱きしめた。
「ジ、ジェイドさん!?」
「……動かないで。足下の荷物を蹴飛ばしてしまうから」
「で、でも。みんな見てますっ!」
アンジェリークは足を固定したまま、ジェイドの腕越しに辺りをきょろきょろと見回した。
目の前の店から出てくる客や、通りの向こう側を渡ろうとしていた人々がこちらをちらちら見ていたが、大部分の人たちはそれほど関心を持たずに通り過ぎていく。
これだけ大きく拓けた街だから、こんな風に通りで抱きあう恋人同士など、この街の人にとっては珍しいものではないのかもしれない。 だが、それを見るほうと当事者とでは、恥ずかしさがまるで違う。アンジェリークは真っ赤になってしばらく慌てていたが、それでも腕を解こうとしないジェイドの様子に諦めたのか、大声を出すことも恥ずかしくなったのか、やがておとなしくなってうつむいてしまった。
「……アンジェ?」
耳元でささやくように名前を呼ぶと、アンジェリークは耳まで紅色をさせてうつむいたまま、小さく呟き返す。
「もおっ……いつも優しいのに、時々とっても強引なんだから!」
「そうかもしれない。俺は君のことだと、すごくわがままになるのかもね」
「そういうこと言うのとか、すごくずるいと思う」
「うん、ずるくもなるんだ……俺のこと、嫌いになっちゃった?」
「なるわけ………ないです」
「よかった」
くすりと笑うと、ジェイドはアンジェリークの髪に軽くキスをしてからようやく、腕を解くと彼女を解放した。
「アンジェ、俺はね……」
まだ赤い顔をしているアンジェリークの両手を取ると、ジェイドは財団の前で別れたときと同じような、言おうか言うまいかためらっているような笑顔を浮かべる。
「自分の感情は真実だって思ってた。全部受け入れられたんだって……けど、やっぱり心のどこかに、まだこれが現実なんだろうかって疑う気持ちが残っていたんだと思う。だから、君が財団に行くって言った時、怖かったんだ。君に……俺がアーティファクトだってことを、改めて確認させることが…」
「ジェイドさん……」
アンジェリークの白い手を握りしめ、その指先を見つめていたジェイドだったが、やがて顔を上げると、何かを吹っ切ったような笑顔を浮かべた。
「でも、それは間違いだった。君は全ての真実を知って、それをちゃんと受け止めて、そして……俺を選んでくれていた。それを忘れちゃいけなかったね」
「そうですよ。だからこれからは、絶対に忘れないで下さいね」
「うん、二度と忘れたりしない……ありがとう、アンジェリーク」
ジェイドは微笑む。それは時折彼がみせる、迷ったような確認するような笑顔ではなく、心からの嬉しそうな笑顔だった。
「……俺はね、アンジェ。これからもずっと、幸せだって言い続けるよ。それこそ、口ぐせになるくらいに」
アンジェリークはジェイドを見上げたが、彼は真っ直ぐに前を見たままゆっくりと歩を進めていた。
「君の姿、君の声、真剣な顔も照れた表情も笑顔も……君の存在全てが、俺を喜びで満たしてくれる。だから君が隣にいるかぎり、俺はずっと言い続けるんだ。アンジェ、俺は幸せだよ、ってね」
言い切るとジェイドはアンジェリークを見おろし、口元にゆっくりと笑みを浮かべた。その表情につられるように、アンジェリークもまた輝くような笑顔を返した。