何度目かの自分を呼ぶ声に、ようやく作業が一段落したレインは「わかった。いま行く!」と初めて返すとゆっくり立ち上がった。そして首をぐるぐる回しながら歩き始めたところで、階下からアンジェリークの短い悲鳴が響いてきたのに気がつき、さっと顔色を変えた。
「アンジェリーク!?」
叫んで乱暴にドアを開けたレインは、大股で駈けだした。そして階段にたどり着いたところで手すり越しにサルーンに視線を向け、険しい表情を浮かべた。
「アンジェリーク、どうした!?」
するとレインの声に反応したアンジェリークはびくりと肩を震わせ、頭上を振り返ると泣き出しそうな表情を浮かべた。
「レインお願い! ジェイドさん…ジェイドさんが!」
「ジェイドがどうしたんだ!?」
そう言いながらレインが階段を降りていくと、いま帰ってきたばかりなのだろう、ヒュウガとジェイドが玄関口に立ったままでレインの方を見ていた。
アンジェリークはジェイドの腕を見ながら、不安げに眉をひそめている。その隣にはベルナールが立っていて、レインが降りてくるのをちらりと振り返って確認した。
「どうしたっていうんだ、いったい?」
ようやく最下段に降りたレインは、無意識に前髪を掻き上げた。するとジェイドが彼を見ながら、困ったように微笑んだ。
「ごめん、レイン。驚かせてしまって。俺は大丈夫って言ったんだけど、アンジェが……」
するとアンジェリークは顔を上げてジェイドを睨み、再び視線を彼の右腕に落とした。
「大丈夫じゃありません! だって、だって怪我してるじゃないですか!」
そこへ近寄ってきたレインが「ちょっと見せてみろ」と言いながらジェイドの腕を掴み、破れた手袋の上から傷口を観察し始めた。
「タナトスから子供を守るため、無理な体勢をとって壁に激突したのだが、おそらくその時、むき出しになった鉄骨に引っかけたかなにかしたのだろう」
ヒュウガが怪我をした時の状況を告げると、アンジェリークの顔からさっと血の気が引いた。それに気がついたジェイドは、レインに片手を取られたまま彼女に微笑みかけた。
「大丈夫だよ、アンジェ。俺は丈夫だから、これくらいなんてことない。だから、そんな顔しないで」
ジェイドが言い終わると同時に、レインは安堵の息を吐き出し、掴んでいた腕を離してジェイドを見上げた。
「確かに本人の言うとおり、問題なさそうだ。この程度の破損なら、おまえの自己修復能力があれば、一日もあれば直るだろ?」
レインに軽くうなずいてから、ジェイドは改めてアンジェリークに向き直り、小首を傾げて微笑んだ。
「ほらね? レインもこう言ってるんだから、俺は大丈夫だよ」
「……ほんとうに?」
まだ不安げにジェイドを見上げるアンジェリークの横で、レインはため息をつきながら「なんだよ。オレが信用できないっていうのか?」と不満げにぼやいた。 するとアンジェリークは慌ててレインに向き直り、せわしなく首を振ってみせた。
「そ、そんなことないわレイン! そ、そうよね。ジェイドさんとレインが言うんだから大丈夫なのよね」
そうして自分を納得させるように何度もうなずいたが、すぐにまた口をきゅうと閉じると、心配そうにジェイドを見上げた。彼女の表情に気がついたジェイドは、上体を屈めてアンジェリークと目線を合わせてから、もう一度目を細めて微笑んだ。
「アンジェ、本当に心配しないで。それよりも君の笑顔が見れない方が、俺は不安だよ。だから俺を安心させるために、笑顔を見せてくれないかな?」
「……はい」
ぽつりとつぶやいたアンジェリークは、ジェイドを見つめ返し、はにかんだ笑みを微かに浮かべた。するとジェイドは満足そうに目を細め、アンジェリークの耳元に唇を寄せるとこそりとささやいた。
「よかった……これでようやく帰ってきたんだって気持ちになれたよ。君の笑顔が、俺の帰る場所だからね」
「……ジェイドさんったら」
くすぐったそうに首をすくめながらも微笑むアンジェリークの横顔を、呆れたような表情を浮かべて見ていたレインは、不意に肩を軽く叩かれ振り返った。
いつの間に側に来たのか、そこにはベルナールが立っていて、アンジェリークとジェイドの様子を伺いながら、彼はレインに声をかけた。
「訊きたいんだけど……あの二人ってもしかして……」
言われてちらりと玄関口に視線を走らせたレインは、眉をひそめて面倒くさそうに頭を掻いた。
「まぁ……想像通りっていうか。でもたぶん、どっちも告白とかはしてないんじゃないか」