帰り道、アンジェリークは口数が少なかった。
話しかければ答えるし、笑顔も浮かべる。けれどそれは、どこかとってつけたような、何かを取り繕うような表面的な笑顔に見えたので、やがてジェイドも言葉少なになり、リースの町に向かう街道に入った頃にはお互いに押し黙り、ぎこちない空気が二人の間を漂っていた。
そうしてリースの町に入る門を横目に通り過ぎようとした時、不意にジェイドがアンジェリークの腕に手を伸ばした。驚いて立ち止まりジェイドを見上げると、彼は口元に優しげな笑みを浮かべながら、彼女の手を改めてそっと握った。
「アンジェ。ディナーまでまだ少し時間があるから、少しリースで休んでいこう」
「え……でも」
「思ったよりも早く依頼がこなせたから、早めに帰ってこれたし。だから、ちょっと寄り道をしても大丈夫だよ」
そう言ってジェイドはもう一度微笑むと、彼にしては珍しくやや強引に、アンジェリークの手を取ったまま歩き出した。
アンジェリークは彼の強引さに驚きながらも、結局は黙って着いていった。そしてリースの町のシンボルでもある『天使の像』の噴水がある広場に抜けたところで、彼女は恐る恐る口を開いた。
「あの、ジェイドさん……どこへ?」
困惑気味なアンジェリークの声に重なるジェイドの声は、常と変わらず穏やかだ。
「前に一緒にリースに来た時、可愛らしいティールームを見つけたよね。君は入ってみたそうだったから、あそこに行ってみようよ」
「あ……はい」
そんな細かいことまで覚えていてくれたのだと、アンジェリークは嬉しくなり、つい口元がほころんでしまった。だが、すぐに現実を思い出すと、慌ててジェイドの背中に駆け寄って上を見上げた。
「あっ、あのジェイドさん! あのお店は、あの、ちょっと……」
アンジェリークの慌てた様子に、さすがにジェイドは足を止め、ゆっくりと彼女を振り返って怪訝そうな表情を浮かべた。
「どうしたの? あのお店には行きたくない?」
「いえ、行ってみたいです。でも、あのお店って学園のすぐ近くで……だから……」
アンジェリークの答えに、ジェイドはますます怪訝そうに首をかしげた。自分の母校が近くにあることに、いったい何の不都合があるのだろう。
ジェイドが不思議そうに自分を見ているであろう視線を感じて、アンジェリークは身体を縮めるようにしてうつむいた。
『今の時間だと、授業が終わって自由時間よね。あのお店って学園からの通り道にあるから、もしかしたら知っている生徒にジェイドさんと一緒にいるところを見られるかもしれないし……そんなの、恥ずかしい』
以前、メルローズ女学院からの依頼を引き受けた時に、親友であるサリーとハンナと再会したのだが、その時彼女らに同行していたジェイドのことをずいぶんと詮索されたことがあった。その頃にはすでにジェイドのことを意識し始めていたものだから、必死で同じ仕事をしている仲間だ、と言い繕ったものの、親友達はそんなアンジェリークの言葉を素直に信じてはいなかったようで、あれ以来、彼女たちから届く手紙の追伸には、必ずと言っていいほど「それでその後、あの時の彼との進行状況はどうなの?」という言葉が添えられるようなっていた。
サリーやハンナ自身に会わなくとも、彼女らと親しい生徒や、アンジェリーク自身の級友が来るかもしれない。そうなったら、彼女達の耳に情報が届くのは時間の問題だ。そんな心の葛藤から、押し黙ったままのアンジェリークをしばらく見おろしていたジェイドは、やがて苦笑を浮かべると、彼女の手からするりと手を離した。
「ジェイド、さん?」
せっかくの誘いに水を差して怒らせてしまった、と思ったのか、アンジェリークは慌てて顔を上げると不安そうな目でジェイドを見上げた。
「あの……わたし……」
するとジェイドは、怒るどころかにこりと屈託なく笑い、上体を少しかがめてアンジェリークの目線まで頭を下げた。
「アンジェ、少しだけここで待っていて。すぐ戻ってくるから」
「え?」
アンジェリークが思わず声を漏らしたがジェイドはそれには答えず、くるりときびすを返して駆け出すと、あっという間に彼女の視界から遠ざかってしまった。
一人で残されたアンジェリークは、しばらく呆然とジェイドが走り去った方角を見つめていたが、やがて深いため息をつくと、とぼとぼと広場の中央にある噴水に歩み寄り、その縁にちょこんと腰掛けて、またため息をついた。
「……わたし、すごくいやな子だわ……」
そう呟いてアンジェリークは、依頼をこなしてからの自分の行動を思い返して眉をひそめた。
陽だまり邸を出て、依頼主に会うまでは順調だった。
タナトスの仕業だと思われていた事件も、調べてみたら子供達の他愛ない悪戯だったとわかり、アンジェリークとジェイドは思わず顔を見合わせた。無駄足をさせてしまって申し訳ないと、しきりに謝る依頼主の謝罪攻撃から逃げるようにその場を後にした二人は、帰る道すがらついつい浮かぶ笑顔を隠さずに並んで歩いていた。
そう、そこまではすこぶる順調で、何事もなく陽だまり邸に帰れるはずだったのだ。 けれど帰り道の街道で、馬車の車輪が道の端のぬかるみにはまって立ち往生していた旅の一座に出会った時から、なんとなく歯車が狂いだした。
彼らの窮地を見たジェイドは、当たり前のように助けたし(実際彼の力がなければ、あの車輪は永久にぬかるみから出ることはなかっただろう)、アンジェリークもそれを手伝った。
そして旅人たちが感謝の印として、途中まで馬車に乗せてくれたことも、ジェイドと一緒に行動しているとよくある出来事だ。ところが、その一座の中に若い踊り子がいたことが良くなかった。
力強くて優しくて、おまけにハンサムときたら、年頃の娘が気に入らないわけがない。その踊り子はアンジェリークの存在などまったく無視してジェイドの隣に座ると、妖艶な笑みを向けたり、なにかにつけ彼の腕に触れたり、自分の身体を押しつけたりしてきて、アンジェリークをいらつかせた。
唯一の救いは、そんな娘の態度をジェイドは意に介さなかったというか、彼女の行動の意図をまったく理解していなかったことだが、それが逆に、まるで踊り子にされるがままになっているようにも見えてしまい、リース方面へ向かう十字路で馬車を降りた頃には、アンジェリークはすっかりご機嫌斜めになっていたのだった。