お熱いのがお好き

-Morning-

「エルヴィン! エルヴィン! ……もぉ、どこに行っちゃったのかしら?」

サロンへと続く階段を降りながら、アンジェリークはきょろきょろと辺りを見回し、小さなため息をついた。

朝起きたときは、いつものようにベッドの足下のほうで丸まって寝ていた。そしてアンジェリークが起き上がり、顔を洗おうと備え付けのシャワールームへ向かった時も、顔だけ起こして「にゃーぁう」と鳴いたのを背中越しに聞いている。なのにアンジェリークが着替えをして髪を整え、朝食を取りに行こうと立ち上がった時には、もうその白い姿は部屋のどこにも見あたらなかった。

レインが最近気を利かせて、アンジェリークの部屋の扉の下にエルヴィン専用の小さな出入り口をつけてくれたのだが、彼はそれがいたく気に入ったらしく、気がつくとそこからするりと抜け出して遊びに行ってしまうのだ。

「まぁ、猫の習性だから仕方がないさ。この辺をうろつくくらい自由にさせてやれよ」と、元凶を作ったレインが悪びれもなく言ったのは、恐らく彼自身も縛られるのを嫌う性格だからだろう。

だからアンジェリークも近頃はエルヴィンの好きなようにさせているが、それでも朝起きて気がついたら姿が見えなくなっていると、やっぱり寂しくて、こうして探し回ってしまうのだが。

階段を降りきってサロンに向かう途中、玄関ホールで立ち止まったアンジェリークは、外へと続く扉をじっと見ながらため息をついた。

「まさか玄関は開けられないし。とすると、またヒュウガさんのお部屋にでも遊びに行っているのかしら……」

エルヴィンにはお気に入りの行動範囲があって、ヒュウガの部屋のソファはそんなお気に入りの一つだった。

以前、エルヴィンが彼の部屋に勝手に入り込んでいたことに驚いたアンジェリークが謝ると、「別に邪魔ではない」とヒュウガは気にした様子もなかったが、それでもこんな早い時間からひょっこりやってきて我が物顔でのさばられては、やはりいい気分はしないだろう。

「……ヒュウガさんのところに行ってみようかな」

ぽつりと呟いたとたんに大きな玄関の扉が開いて、そこにいま考えていた人の姿があったことにアンジェリークは驚いて、「きゃあっ!」と小さな悲鳴を上げた。と、ヒュウガは瞬時に眉をひそめて彼女の側に駆け寄ると、その身体を守るように背後に隠して身構えた。

「下がっていてくれ、アンジェリーク」

「あ、あのっ、ヒュウガさん!」

「案ずることはない。貴女の身は必ず守ろう……どこへ行った?」

「え? あ、そ、そうじゃなくて……」

ヒュウガが油断なく辺りを見回すその後ろで、アンジェリークはおたおたと手を動かした。そしてヒュウガの前に回り込むと、彼女を後ろに戻そうとする彼の腕にぎゅっとしがみついた。

「ア、アンジェリーク!?」

「違うんです違うんですっ! ヒュウガさんのことを考えてたら、いきなりヒュウガさんが帰ってきたので、それで驚いて叫んじゃっただけなんです! だから、大丈夫なんです!」

アンジェリークの必死な言葉に、ヒュウガは彼女から逃れようとする動きをぴたりと止めた。そしてまじまじとアンジェリークを見おろすと、険しい表情のまま口を開いた。

「……怪しい者が、いたのではないのか?」

「ええ、いません」

アンジェリークが真剣な表情でこくりとうなずくと、やがてヒュウガは深いため息をつき、彼の様子に安心したアンジェリークが腕を離すと同時に、一歩後ろに下がった。

「……確かにこの屋敷に侵入者がいたとしたら、貴女よりも先にニクス達が見つけただろうな。すまない、早合点をしてしまって」

「いいえ、わたしこそごめんなさい。いきなり悲鳴を上げたら、誰でも心配してしまいますよね」

「いや……」

冷静になった途端、先ほどの自分の慌てぶりを思い出したのだろう。ヒュウガは気恥ずかしそうに視線を逸らすと、口元に右手を添えて押し黙った。

そんな彼をあまりまじまじと見るのは悪い気がして、アンジェリークも照れくさそうに視線を落とし、自分の靴先を見つめていた。すると、前にいたヒュウガの動く気配がしたので、ゆっくりと顔を上げた。

「こちらこそ、驚かせてすまなかった……ところで、俺のことを考えていたとは……?」

「あ、はい! ヒュウガさんにお聞きしたいことがあって。あの、エルヴィンを見かけませんでしたか?」

「エルヴィン?」

急に出てきたアンジェリークの愛猫の名に、ヒュウガは小さく首をかしげた。

「はい。今朝わたしが起きたときには部屋にいたんですけど、ちょっと目を離したらいなくなってしまって……それで、またヒュウガさんのお部屋にお邪魔してるんじゃないかと思って」

「……いや、今朝は見ていない」

しばらく考えてから、ヒュウガはゆっくりと首を振った。

「俺は2時間前には起きていたが、その時は誰にも会わなかったな。修練のために屋敷を出たときも、部屋には鍵をかけたから、入り込むことは出来ないだろう」

「そう……ですか」

ヒュウガの言葉に、アンジェリークは再び肩を落とした。が、すぐに顔を上げると、にこりと笑って目を細めた。

「でも玄関は開けられないから、お屋敷の中にいるのは間違いないですし……そのうちひょっこり帰ってきますよね?」

「……そうだな。俺も一度部屋に戻るが、少し注意して周りを見てみよう」

「はい、お願いします」

ぺこりと頭を下げたアンジェリークはもう一度微笑むと、くるりときびすを返して歩き出した。

彼女の姿がサルーンに消えていくのを見守っていたヒュウガは微かに微笑むと、サルーンとは逆の方向へ向き直り、自分の部屋へ向って歩き出した。

 

「エルヴィン! ここにいたのね!」

キッチンの入り口から響く声にジェイドは思わず振り返った。

すると、彼の肩に乗って尻尾を首にじゃれつかせていた白い猫は「にゃあ!」と一声鳴くと、すとんと床に飛び降りて、軽やかなリズムでアンジェリークに駆け寄った。

そして上体をかがめて腕を伸ばす少女に飛びつくと、ごろごろと喉を鳴らしながら顔を胸元にこすりつけた。

「もうっ、いきなりいなくなったら心配するじゃないの。それに、ジェイドさんの邪魔をするなんて悪い子ね」

アンジェリークが眉をひそめてそう言うと、ジェイドはくすりと笑いながらかき混ぜていたボールをテーブルの上に置いた。

「エルヴィンは邪魔なんてしていないよ、アンジェ」

言いながら彼女の側に歩み寄ると、ご機嫌を取るようにアンジェリークの長い髪にじゃれるエルヴィンの頭をそっと撫でた。

「俺が一人だったから、一緒にいてくれたんだよね? エルヴィン?」

するとジェイドの言葉に応えるように、エルヴィンは彼を見上げて目を細めると「なぁーお!」と喉を鳴らした。

「ほら、そうだって言ってる」

「もう。エルヴィンってば、ジェイドさんが優しいからってすぐ甘えるんだから」

アンジェリークは出来るだけ恐い声を出したつもりだったが、怒られているほうのエルヴィンはまったく気にしていないようで、アンジェリークとジェイドの顔を交互に見比べて「にゃ?」と鳴きながら首をかしげた。

その仕草が可愛らしくて、アンジェリークの眉間の皺がついゆるみそうになったが、それに気がついた彼女は慌てて無理に顔をしかめた。と、今度はジェイドがくすくすと笑い出したので、アンジェリークはぱあっと頬を染めてジェイドを見上げた。

「もうっ、ジェイドさんっ!」

「あはは、ごめん。でも、怒っててもアンジェは可愛いなって思って」

「ジェイドさんってばっ!」

怒っていいやら喜んでいいやらわからなくて、アンジェリークはエルヴィンを右手に抱えたまま、真っ赤になって左手をばたばたと動かした。 そして顔を上げ彼を睨もうとしたところで、ついっと伸ばされた彼の手に驚いて息を呑んだ。

ジェイドは笑みを浮かべたまま、アンジェリークの唇にそっと右手の人差し指で触れた。そして彼女が呆然としている隙に指を離すと、目を細めて笑った。

「怒っちゃダメだよ、アンジェ。俺と一緒にいるときは、いつでも笑ってて欲しいな」

言ってから、その手を今度はエルヴィンの頭に乗せ、なだめるようにぽんぽんと軽く叩いた。

「エルヴィンも、もうアンジェに心配かけちゃダメだからね。だから今度手伝いに来てくれるときは、ちゃんとご主人様も連れてきてくれると嬉しいよ」

「うにゃあ」と鳴いて髪に頬をこすりつけるエルヴィンをぎゅっと抱きしめたアンジェリークは、ジェイドの顔をぼうっとした表情で見上げていた。

だがすぐに嬉しそうな笑顔を浮かべると「あの……それじゃあ、今からお手伝いをしてもいいですか?」と小さな声で問いかけた。

するとジェイドは屈託のない笑顔を浮かべ「もちろん。大歓迎だよ」と呟いて、アンジェリークの方へ手を差し出した。そして彼女の手を引いてキッチンの前に向かいながら「エルヴィンに感謝しなきゃいけないな。君が来てくれるなら、毎回邪魔されても文句は言わないよ」と呟いた。

「え……。って、やっぱりご迷惑をかけてたんですね!」とアンジェリークが慌てると、ジェイドは彼女の手を離しながら軽くウィンクしてみせた。

「実は……ちょっとだけ、ね」

いたずらっ子のようなジェイドの笑顔にアンジェリークは唖然としたが、それはすぐに楽しそうな笑みに変わった。

「……ジェイドさんったら」