未経験区域

(1)

千尋は、暇を持て余していた。

つい数ヶ月前まで普通の高校生として過ごしていた世界には情報が溢れ、ぼおっとしていても何かしら興味を引くものが現れたものだ。

そしてそれは、生まれ故郷である今の世界に戻って来た時に断たれたが、代わりに『王家の生き残り』という肩書きと同時に、戦を勝ち抜くという別の役割を与えられたので、退屈している暇はやはりなかった。

しかしいまの千尋は、それら全ての肩書きと役割を捨てて、大海原を自由気ままに迸る船に乗っている。

なぜなら彼女はこの世界で、王族でいることよりも大切なものを見つけてしまったからだ。

船室の掃除を済ませた千尋は、甲板に上がって大きく伸びをした。青い空に目を向ければ、赤い太陽が燦々と輝いて自己主張している。そんな眩しさよりも日差しの暑さのほうが身に染みた千尋は、目を細めて顔の前に手をかざした。

「……あっつい」

つぶやいて首を巡らせ甲板に視線を向けると、見覚えのある大きな羽根が甲板にあることに気がつき、表情を緩めた。

とは言っても、この船で背に翼を持たぬものは千尋しかいなくて、同じような翼を持つ男達があちらこちらを歩き回っているのだが、彼女が十数歩前で座っている翼の持ち主を間違えるはずはない。

そうして千尋は自然と沸き上がる高揚感のまま、足早に歩きはじめた。

 

この辺りの海域に来たのは、今回が二度目だ。

もうすぐ季節は夏を迎えるという時期だが、それにしてもこの暑さは尋常ではない。じわじわと照りつける日差しは、うっかり居眠りなどしようものなら命を奪われてしまいそうなほどだったが、それでもむさ苦しい男達の人いきれや密室の蒸し暑さよりはマシだと自分に言い聞かせながら、サザキは甲板に広げた薄汚れた巻物を前に、胡座をかいて座り込んでいた。

「この島の形……どっかで見たことあるんだよなぁ……」

頭を掻きながら片眉を器用に持ち上げたサザキは、上半身を前のめりに倒して、巻物に刻まれた墨の上をゆっくりと指でなぞった。

「うーん……確か、あっちのほうだと思ったんだが」

広げた巻物の上に身を乗り出すような体制のまま、右手のすぐ側に置いた小さな墨壺に手を伸ばした途端、背中にずしっと不自然な重みを感じたサザキは、一瞬不快そうに眉をひそめた。だが、すぐに寄りかかってきたのが誰なのか気づいた彼は、表情を和らげて口元に笑みを浮かべた。

「どした?」

「……ヒマ」

「そっか。そいつぁ難儀だ」

ちょうどサザキの背中に自分の背を押し当て、甲板に両膝を立てて座った千尋は、その膝を両手で抱えるようにしながら小さくため息をついた。

「お掃除は一段落しちゃったし、お洗濯も乾くまでもう少し時間かかるし、晩ご飯を作るにもまだ早いし。ってことで、やることなくなっちゃったんだけど……なにか、私に出来ることないかな?」

するとサザキは千尋を潰してしまわないように少しだけ上体を起こし、顎を右手で撫でながら考え込んだ。

「そーだなぁ……んじゃ、部屋でオレとイチャつくか?」

「やだ」

「うわ、即答かよ!」

がくりと首を前に落として背中を丸めるサザキに、千尋はくすぐったそうに笑ってから、空に視線を向けた。

「だってあの部屋、風通しが悪くて暑いんだもん。いやだよ」

「じゃあ、暑くない場所ならいいってことだな? んじゃ、そこの日影に……」

「やだってば。そういう問題じゃないのっ!」

くるりと振り返った千尋は、頬をほんのり朱に染めたまま、サザキの背中をぴしゃりと叩いた。「いてっ!」というサザキの悲鳴と同時に彼の羽根が数枚辺りに舞って、ふわふわと甲板の上に落下した。

「ひでぇなぁ。姫さんがヒマだっていうから、ヒマつぶしを考えてやったのに」

「そういう暇つぶしは考えなくていいのっ! もぉ、サザキのえっち!」

「なんだ、その『えっち』って?」

ほんのりと赤く千尋の手形がついた背中に手を廻して撫でながら、サザキは肩越しに振り返って怪訝そうな表情を浮かべた。すると千尋はなおもサザキの背に寄りかかったまま、頬を赤らめて口をとがらせた。

「えっちってのは、サザキみたいな人のこというのっ!」

「へぇ……。つまり『いい男』って意味か?」

「……もういいです」

小さくため息をついた千尋は、「なーんで、ため息ついてんだぁ?」と不満げにぼやくサザキを無視してむくっと身体を起こすと、寄りかかっていた彼の背中をよじ登るようにして肩に顎を乗せ、甲板に拡げられた海図のような巻物を見下ろした。

「それ、なぁに?」

「ん? ああ、聞いて驚け。こいつぁな、お宝の地図だ」

「本物なの?」

「おうよ。なんたって橿原宮にあったシロモノだぜ?」

「へぇ……って、ええっ!?」