天女の羽衣

(1)

あかねは冷たい廊を渡りながら、小さな手にはぁっと息を吹きかける。しかし白くなったその手はかじかんだままで、あまり暖かくなったとは思えない。

もう一度手を口元に持っていき、深く息を吐きだすために首を前に傾げると、延ばしかけの髪がさらりと肩に流れた。

「やっぱりこの寒さにはなれないなぁ…」

少しだけ感覚の戻った手を擦りあわせながらあかねは呟く。そして軽くため息をつくとぶるっと身体を震わせ、ぱたぱたと小走りに寝殿へと向かった。

琵琶をつま弾いていた友雅は、不意にその手を止めて空を見上げた。

凍てついた空気は空をも凍らせてしまったかのようで、星の輝きは凍りついている。雲一つないその夜空は深々と澄み渡り、月はその中で神秘的な輝きを放っていた。

しばらくその月明かりを目を細めて見上げていた友雅は、やがて口の端をきゅっと持ち上げ呟いた。

「そんなところに立ったままでは風邪を引くよ」

するとその声に答えるように暗やみが動き、微かに衣擦れの音が辺りに響く。そして、白い手が友雅の袍の袖に軽く触れた。

「お帰り、姫君」

「……ごめんなさい。お帰りなさいって言えなくて」

「藤姫は私に勝るとも劣らぬ程の神子贔屓だからね。まぁ、私がいない間、貴女が寂しい思いをしなくてすむのだからよしとするよ。但し…」

そう言うと友雅は、自分の袖を掴んでいるあかねの手を両手で包み込むように握り、少女を見下ろして微笑んだ。

「今度からはもっと早く帰ってくること。こんなに手が冷たくなるまでお喋りに興じるなぞ、妙齢の姫のすることではないのだから。わかったかい?」

「はい。今度からは気をつけます」

あかねは間髪入れずにそう答えると、こくんと頷いた。

子供扱いすると怒るくせに、こういうところはまだまだ子供っぽいのだから。

友雅は一瞬そう思ったが、口に出すとあかねはすぐに怒りだすので黙っていることにした。そのかわり、冷たいあかねの小さな手を擦りながら問い掛けてみる。

「それはそうと、どうしていつまでもあんなところに立っていたのだい? 渡り廊は特に寒いというのに、あのまま立っていたら、きっと今ごろ神子殿は凍ってしまっていたよ」

あかねは友雅を見上げて、ほのかに頬を染め俯いてしまった。だがすぐにゆっくりと顔を上げて再び友雅の顔を覗き込み、やがて口を開いた。

「消えちゃいそうで……怖かったの」

「私がかい?」

友雅はあかねの手を擦るのを止めずに問い掛ける。あかねはこくんと頷く。

「月に照らされてて……それがとっても綺麗で。だから夜空に溶けちゃいそうに思えて、怖くて動けなかったの。動いたら、そのまま友雅さんが消えちゃうんじゃないかって」

どうやらあかねは本気でそう思っていたらしい。軽くため息をつくと、寂しそうに目を伏せてしまった。

そんな少女の様子を見た友雅はあかねの手を擦るのを止め、少女の手をするりと手放した。そして軽く息を吐くと、すぐにあかねの肩を掴んで抱き寄せた。

ふわんと身体が温かくなったあかねは、目をしばたたせながら友雅の袖をくっと握った。

「…友雅……さん?」

「呆れた姫君だね。私の前から消えようとしたのは、いったいどこの誰だったのか忘れたのかい?」

「……だ、だって、あの時は。龍神を呼ばなければ、みんな助からなかったんだし…」

「戻ってこれるとわかっていたのかい?」

「自信はなかったけど、多分大丈夫だと思ったんだもん……」

「あの時、私がどんな気持ちだったか、神子殿にはわからないだろうよ。やっと見つけた片割れを取り上げられそうになった私の気持ちを、神子殿はまるでわかっていない」

「わ、わかりますよぅ。わ、私だって、私だってっ…」

あかねは顔を上げると友雅を見上げて抗議の声を上げた。しかし友雅はふっと視線を逸らして、再びため息をついた。

「いいや。貴女はちっともわかっていやしないよ」

「わかりますってばっ! 友雅さんにもう一度会いたいって、ずっとずっと一緒にいたいって思ったからっ…」

だから戻ってこれたんですっ! と続けようとするあかねの唇に友雅の指がついっと触れた。驚いて見上げるあかねの目の前で、友雅はじつに楽しそうに笑っていた。

そのからかうような笑顔を見た途端、あかねの顔がまるで瞬間湯沸かし器のように真っ赤になり、ますます友雅の笑みを買うことになってしまう。

「神子殿は実に可愛らしいね。そんなに私に会いたかったのかい?」

くすくすと笑い続ける友雅の言葉に、あかねは真っ赤になったまま友雅の腕を振りほどいた。そしてぷいっとそっぽを向くとぶすっとした声で答える。

「し……知りませんっ! 友雅さんのいじわるっ!!」

「可愛い姫君を見るとついからかいたくなる性分なのだよ、私はね」

「そんなの、まるで子供ですっ!」

「そうだね……そうかもしれない。神子殿を誰にも渡したくないと駄々をこねた私は、きっと子供なのだろう。でも……」

そう言うと友雅は立ち上がり、そっぽを向いていたあかねの前に回り込んだ。そしてその場に座ると、あかねの両手を取って優しく微笑んだ。

「子供でよかったと今は心から思っているよ。こうして、貴女が私のもとに居てくれるのだから。私とともにこの世界で生きると言ってくれたのだからね」

いつの間にかあかねの眉間から皺は消え、ほんのりと頬を桜色に染めた少女は、やがて目を細めて微笑んだ。