「……え?」
きょとんとした表情で隣の百地を見つめると、彼は竹の包みを別の手に持ち替えてほたるから視線を逸らし、苦々しげな表情を浮かべていた。
「あの…師匠? どうしたんですか?」
無邪気にほたるが問うと百地はゆっくりと息を吐き、ほたるのほうへ険しい視線を向けた。
「どうしたではない。おまえ、なぜこんなところで眠っていた?」
「それは…掃除をし終わったら少し疲れてしまって……でも、すぐに起きるつもりだったんです。まさか師匠が今日お帰りになるとは思っていなくて…お恥ずかしいところをお見せして申し訳ありません」
言って三つ指をついたほたるは、百地に深々と頭を下げた。しかし百地は険しい顔を緩めようとはせず、また深いため息をついた。
「俺が怒っているのは、そのことだけではないぞ。俺がやってきた気配をまったく感知せず、無防備に眠っていたその忍びにあるまじきうかつさを責めているんだ。俺ではなく別の人間…敵であったら、いまごろどうなっていたかわからぬはずはないだろう。平和な世を望むというのは、己の怠惰を正当化する言い訳なのか?」
百地の言葉にほたるは一瞬息を詰めたが、すぐに顔を上げると百地を上目遣いに軽く睨んだ。それは弟子だった頃には見せなかったやや反抗的な表情で、百地は疎ましげに眉をひそめると声を落とした。
「なんだ? 俺の言うことが理解できんか?」
「いいえ、師匠のおっしゃることは確かにもっともです。けれど、私はけっして鍛錬を怠ってなどいません。もしも他の者が近付いてきたのであれば、すぐに気がついて対処していました」
自信満々に答えるほたるに百地はふたたび眼をすがめると、上体をひねって彼女の顔を覗き込んだ。
「他の者ならば対処できたというなら、なぜ俺ではそうしなかった?」
「だって、それは……っ」
眉をひそめていたほたるだったが、至近距離に百地の顔があることと勢いに任せて言おうとした言葉の意味に気がついて顔を赤らめ、視線をそらすとうつむいてしまった。その様子に怪訝そうに眉をしかめた百地は、ほたるの顔を見つめたまま動こうとしなかった。
やがてほたるはちらと百地を見上げ、それからまた視線を泳がせてぽつりと漏らした。
「あの…言わなくては駄目ですか?」
「そうだな。俺が納得する理由を答えられないのであれば、土産はやらんぞ」
「う……」
恥ずかしさと甘味の誘惑がほたるの中でしばし争っていたようだったが、すぐに甘味が圧勝したらしい。彼女はちらと百地を再度見上げ、それからもごもごと口を動かした。
「師匠の…百地殿の気配はとても心地よくて安心できるから、です。だから近付いてきても全然気にならないというか…むしろもっと側に来て欲しくて、近付きたくて……気配を感じると嬉しくなって気が緩んでしまうんです」
言って顔中を朱に染めたほたるは、ふたたび顔を伏せると身を縮めて固まってしまった。
そんな弟子に釣られるように息を詰めた百地は、やがてほたるから顔を背けると額を抱えてため息をついた。
「おまえな…」
「はい……忍びにあるまじきていたらくです。反省、してます」
顔を伏せたままほたるが告げると、百地は諦めたように肩を落とした。そしてくるりと身体を廻してほたるを抱き寄せると、目を見張るほたるの頭を優しく撫でた。
「それだけじゃない。……まったく、あまり俺をつけあがらせるようなことを言うな」
「だって、百地殿が言えと言ったのではないですか…」
甘えるように百地の胸に頬を摺り寄せたほたるは、子供の頃から変わらない大きな背に手を回してうっとりと目を伏せた。
久しぶりの百地のぬくもりと腕の中の温かさに、ほたるはすっかり安心しきってため息をついた。しかし百地にしてみればひと月振りの想い人の甘い香りは、胸の奥底を刺激する媚薬と同じだった。ほたるの髪を優しく撫で、額や頬に唇を寄せて吸い上げると、ようやく身の危険を感じたほたるが頬を上気させて顔を上げた。
「し、ししょうっ!」
「そう呼ぶなと、何度言ったらわかるんだ? 気分が萎えてしまうだろうが」
言ってほたるのまぶたの上に口付けると、ほたるはぎゅっと目をつぶりながら首をすくめた。
「おっ、お土産! 正直に話せばくださるっていいましたよね!?」
両手で百地の身体を精一杯押しながらほたるが叫ぶと百地はほんの少し腕の力を緩め、床の上に置いた竹の包みを取り上げた。
「ああ、そうだったな。それじゃあ……」
そう言うと百地はあろう事か、ほたるにではなく囲炉裏のすぐ脇に包みをぽんと放り投げてしまったので、ほたるは驚いて目を見開いた。
「え? ええっ!?」
百地と投げられた包みを交互に見比べ混乱しているほたるの隙をつくように、百地は彼女の身体を床に押し倒した。
「納得のいく理由を言えと言ったはずだが、あの答えでは忍びとしては失格だ。だから、特別に課題を変更してやる」
「へ、変更って…」
背筋に冷たい汗が伝うのを感じながらほたるが問い直すと、百地は目をすっと細めて口元に冷たい笑みを浮かべた。
「俺を満足させられたら、土産を食わせてやるよ…」
かあっと首筋まで朱に染めたほたるを見おろし、百地はようやく溜飲を下げた。しかし次の瞬間、ほたるは百地の首に腕を伸ばしてぐいっと抱き寄せると、彼の耳元で小さくささやいた。
「わかりました…でも久しぶりだから、加減が出来ないかもしれないです。だから……覚悟してくださいね」
「……それは普通、男が言うことだろうが」
がくりと頭を垂れてうめく百地の頭を、ほたるはくすくすと笑いながら抱え込むようにして抱きしめた。