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甘い人生

(1)

「ふう。こんなものかしらね」

既に日課のようになった庵の片付けを終えたほたるは、腰に両手を当てて狭い室内をぐるりと見回した。

狭い奥の間が一つと囲炉裏と文机のある茶の間、それと水瓶が申し訳程度に置かれた土間しかないと言うのに、どうすればあそこまで物を押し込めたのかと不思議に思うくらい乱雑だった空間は、ひと月ぶりにほたるの手によってすっきりとした本来の姿を取り戻した。

「ひと月でこれだと……もう少しまめに通ってきた方がいいかもしれない」

小さくため息を漏らしながらつぶやいたほたるは、上がり口に腰をかけると大きく肩をすくめた。

「本当は師匠にしてもらうべきなのだけど、今さら聞いてもらえないだろうな」

以前であればさすがに眠る場所がなければそれなりに対処もしただろうが、いまはほたるが定期的に通ってくるのを幸いにまるで我慢比べのように手を付けようとはしなくなっていた。

「下手に無理強いでもしたら、逆に乱雑でも死ぬことはないとか開き直られそう」

いかにも言いそうな言葉を脳裏に浮かべたほたるは、やがて諦めたような笑みを浮かべた。

なんのかのと文句は言ってみるものの、好きな相手の世話を焼けるというのは嬉しいもので、そうでなければ庵の主人が不在とわかっているところへ、わざわざ片付けの為だけに通ってきたりなどしない。

それは仕事を終えて帰ってくるほたるの大事な師匠が、すっかりと片付いた部屋を見て、言葉にはせずとも嬉しげに眼を細める表情が見たいからに他ならなかった。

性格的にも質素で真面目なはずの百地だが、何故だかこと片付けに関しては壊滅的なほど苦手で、うっかり放っておくとそれこそ塵の山に埋もれた中で平気で寝起きしかねない。

「任務に出れば睡眠をとれないことも多い。それを考えれば、ゴミの山だろうが埃の海だろうが横になれるだけありがたいさ」などと嘯いて、しょっちゅうほたるを呆れさせているくらいだ。だからといって整理整頓された部屋が嫌いというわけではなく、こうしてほたるが片付けをしておくとあっという間に機嫌が良くなるのだった。

そんな師の姿に勝手だと思ったり呆れることもあるが、そんな理不尽な部分すら今のほたるにしてみれば、自分を頼ってくれているという満足感と彼の意外な一面のひとつであるからと許してしまうばかりか、それすらも愛おしく感じてしまうのだ。まこと恋とは、厄介な代物である。

そんなことをぼんやりと考えていたほたるだったが、ふと天井の藁の束に視線を向け顎に指先をそっと添えると、考え込むように眉間にしわを寄せた。

「師匠の書き置きだと、確か今日で十日目よね…それじゃあ、明日か明後日にはお戻りになるかな……」

ほたるが師匠こと百地尚光の隠れ庵に通うようになって数ヶ月経つが、どちらもが忍びであるという立場上そうそう頻繁には逢瀬を楽しむことはできなかった。

安土での諸々の後、ほたるは改めて織田信長に仕えることとなり、逆に百地は織田信行から解任されて半分無宿者のような状態になってしまっていたが、そこは彼の優秀さが功を奏し伊賀の里からすぐに繋ぎがあったので、いまはそちらを経由した単発の仕事をぼちぼちとこなしている。

そうして互いの立場は安定したものの、そうなると仕事の関係上、すれ違うことがうんと多くなった。どちらかの手が空いた時には、どちらかが任務で数週間姿をくらましていたり、ようやく時間が作れてもそれは半日にも満たないことなどしょっちゅうだ。

そこで百地は自分が任務に就いて不在である間、ほたるが無駄に自分を訊ねてこずともすむようにと、短い書き置きを庵の中に残すようになった。任務の内容についていっさい触れていないそれは、ただ「いついつ頃に戻る」とだけ走り書きされた味気のないものだったが、それでもほたるはそれらを総て大切に取っておいている。

子供の頃から共に暮らしていた間でも、百地がほたるに手紙を書いたことはない。ましてや別れてからの数年はまったくの音信不通で、長を除いた里の者達すら、もはや死んでいるのではないかとほたるに隠れて噂し合っていたほどだ。

そんな男が、自分のことを思いやって残してくれている文なのだから、どれだけ簡素で味気なくとも、ほたるにとってはどんな睦言よりも甘くて嬉しい恋文に等しい。だから一昨日見つけた書き置きも丁寧に懐の守り袋におさめて、時折取り出しては嬉しげに読み返していた。

だがそのおかげで、せっかく百地がほたるが無駄足を踏まぬようにと残している文は、彼の意に反してこれまでまったくその役目を果たしてはいない。

なぜなら百地がいないのであれば、彼が任務から戻ってくる前に家の中を隅々まで綺麗にしておこうというけなげな恋心を燃え上がらせたほたるが、結局彼が帰ってくるまで庵に通い続けてしまうからだ。

そうして今回も、貴重な休みのほとんどを庵の大掃除(と称しても違和感のない片付け)に費やしたほたるは、上がり口に腰をかけたまま大きく伸びをした。

それから改めて玄関に眼を向けると、まだ落ちきらない日の光が土間に差し込む様に眼を細めた。遠くから聞こえてくる烏の飛び去っていく鳴き声に、あと少しで日が暮れるのだろうと判断したほたるは、視線を土間に落としてつぶやいた。

「あと一日…師匠のことだから、きっとあっという間に仕事を片付けて帰ってきてくれる。今までだってそうだったもの」

書き置きを残すようになってから、百地は書いた日程よりもいつも一日ほど早く帰ってくることが常だった。恐らく最長の場合を考えて文を残しているのだろうし、予定よりも早めに帰ってくれば訪ねてくるほたるを自ら迎えることが出来るという彼なりの心遣いなのだろうが、残念ながらそれが一度も成功したことがないのは、先にも述べた通りだ。

土間の土を見つめながらほたるは口をつぐみ、そして背中を丸めて膝を抱えると寂しげにため息をついた。

「会いたいな…早くお会いしたいです。だから師匠、早く帰ってきてください…」