「――それで、自分だけが置いてけぼりになった気がして、落ち込んでとぼとぼ歩いていたわけか」
官兵衛の話をひとしきり聞いた竹中半兵衛は、軽く肩をすくめると何やら思案顔で腕を組む羽柴秀吉に、ちらと目を向けた。
「相変わらず負けず嫌いだね、佐吉は。この分だと近いうちに、君のところへ直談判にくるんじゃない?」
くすりと笑う半兵衛だったが、秀吉は小さくうめいただけだった。すると官兵衛は秀吉に視線を移し、それから再び半兵衛の方へ顔を向けた。
「いや。佐吉は、まだ自分には時期尚早だとわかっていたから、そんなことは言ってこないだろう。むしろ…言えなくて悩んでいる」
「どういう意味? 時期尚早だとわかっているのに、言えなくて悩んでるって?」
半兵衛が怪訝そうに眉をひそめると、官兵衛は再び秀吉に向き直り、彼が顔を上げたところでおもむろに口を開いた。
「秀吉様…佐吉が信長様の小姓らを羨ましがっているのは本当です。ですがそれは主に認められ、烏帽子親となってもらえる栄誉を羨んでいるのです。佐吉は…己が主である秀吉様、貴方に認められ、烏帽子親となっていただくことを何よりも望んでおります」
「オ、オレが佐吉の?」
もとより大きめの瞳をさらに大きくして秀吉がうめくように答えると、半兵衛は首を傾げてからわずかに身を乗り出した。
「って、なんでそんなに驚くんだい? 誰かに仕える者であれば、その主に元服の儀を取り仕切ってもらいたいと願うのは、ごく当たり前のことじゃない」
「そ、そうだけどよ…あいつにはその、親父さんがちゃんといるじゃねぇか。普通、元服ってのは男親や親戚の男衆がやるもんだろ?」
「まぁ、そういうことが多いね。けれど小姓の元服を主筋が行うことも多いよ。現に蘭丸殿の弟達は、信長様が元服させてくれるって言ってるわけだし」
言って半兵衛が振り返ると、官兵衛は小さくうなずいて肯定してみせた。そんな二人の様子に秀吉はしばらく視線を彷徨わせていたが、やがて深いため息をつくと髪を掻き揚げるように右手を動かした。
「そんじゃ白状するが、オレぁ元服ってもんをしてねぇんだよ。物心つく前に家を飛び出したし、あちこちふらふらしてるうちに機会もなくなっててな。そんなわけで、元服の決まり事なんざさっぱりわからねぇ」
「確かに、それは初耳ですが…」
「まぁね。けれど大した問題じゃない。式なんて形ばかりのものなんだから、どうとだってなるよ」
「そりゃあ見よう見まねでなんとかなるかもしれない。だが佐吉には、そんな適当なことしたくねぇ。あいつには誰にも負けない、皆に誇れる元服をさせてやりたいんだよ。だからオレは……」
言って口をつぐみ眼を細める秀吉を、半兵衛と官兵衛は黙って見つめていた。すると半兵衛は身を乗り出し、自分の言葉に酔っている秀吉の頬に両手を伸ばすと、指を立ててぎゅっと頬を抓った。
「ひ、ひててっ! は、半兵衛!」
「君さ、僕があんなことをした後だって言うのに、まだわかってないの? 僕も官兵衛も佐吉も、誰よりも君の役に立ちたいと願っているし、君がこの日の本で一番の主だって思ってるんだよ」
「半兵衛…」
「秀吉、君はすでに僕らにとっては誰にも負けない、皆に誇れる主なんだ。だからこそ佐吉は、君に烏帽子親になって欲しいと望んでるんじゃないか。いい加減、自覚してほしいんだけど」
「わ、わかった! わかったから抓るのやめろ!」
「――ったく。顔が腫れちまったら、お姫さんに会えなくなっちまうだろ。しかしお姫さんが抓るなら…さぞや極楽の心地だろうなぁ…」と言いながら頬を擦る秀吉に、半兵衛は「あと、そういう変態趣味なとこも自覚してくれる?」とため息を漏らし、肩をすくめた。
「お前だって薬をなかなか飲まないのは、お姫さんに案じて欲しいからじゃねぇの? こぉのむっつり!」
「君と一緒にしないで欲しいんだけど」
秀吉と半兵衛の他愛ない口論を聞きながら、官兵衛の口元には、本人も気づいていない笑みが浮かんだ。