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上機嫌

(2)

ほたるの呟きに、秀吉はようやく足を止めた。そして腕の中のほたるに視線を落とすと、彼女は控えめに顔を上げて困惑したような笑みを口元に浮かべた。

「どこも痛くはないし、具合も悪くありません。ただ、秀吉殿が……」

「オレが? なんかしたか?」

首をかしげる秀吉に、もう一度ゆっくり首を振ってみせたほたるは己の襟をつかむ指先に力をこめた。

「秀吉殿とお糸さんが楽しそうに話しているのを見たら、なんだか胸がつかえたようになって…」

秀吉の来訪を告げた糸は、身支度を整えるのでしばしお待ちくださいというほたるの伝言を伝えるため先に玄関に戻ったのだが、女人の変化に目ざとい秀吉は、糸の帯の柄がいつになく鮮やかなことに気がついたのだ。

「あれ、お糸さん? 今日はまた、いつもとはがらりと変わった雰囲気じゃねぇか」

「いい人にでももらったのかい?」と目じりを下げながら帯を指差す秀吉に、糸はぽかんと口を開けてから困ったように笑った。

「相変わらず、姫様以外の女にまで目ざといんですね。それとも、姫様からお聞きになっていらっしゃるとか?」

「いんや、なんも聞いてねぇよ。その帯、お姫さんに関係あるんかい?」

「はい。実は、桔梗姫様から賜ったものなのです。城下にお越しになった際に見つけて、私へのお土産として買って来てくださったのですよ。このようなお高いもの、受け取れませぬと申し上げたのですが、いつも世話になっているからぜひにも受け取って欲しいとおっしゃってくださって…」

そう言って困惑げな笑みを浮かべた糸だったが、その瞳は嬉しげに輝いていた。自分の忠節が主に伝わっている喜びと、美しい帯を贈られた年頃の娘の嬉しさが混ざり合った彼女の笑顔は、知らず知らずのうちに秀吉の笑みを呼び起こした。

「そうか、そいつぁよかったなぁ。さすが、あんたのことをよくわかってるお姫さんが選んだだけのことはある。よぉっく似合ってるぜ」

「はい、姫様のお優しさが伝わってくる素敵な贈り物です」

そんなやり取りをしているうちにふと顔を上げた秀吉は、玄関先にいたほたるに気がつき顔をほころばせた。しかしほたるはそんな秀吉から視線を逸らすと、何も言わないまま小走りに二人の横をすり抜けて行ってしまったのだ。

先刻の出来事を思い出した秀吉は「――ああ、あれかい?」と呟いて改めてほたるを見おろし、視線を伏せる彼女の態度にまた首をかしげた。

「あんたがお糸さんに帯を贈ったって話だろ? 彼女、そりゃあもう喜んでてな。あんまり嬉しそうなもんだから、なんかオレまで誇らしいっつうか、嬉しくなっちまって……あれ? 違うの?」

秀吉の言葉に反応したほたるは、伏せていた顔を上げてまじまじと彼を見上げた。驚きで目を見開いているほたるに、秀吉は眉をひそめて顔を近づけた。

「ほたる? おい、どうしたんだよ?」

「そんなお話をしていたんですか? 私、てっきり…」

思わず漏らしてから、ほたるは我に返ったように顔を赤らめると視線をまた伏せてしまった。

「ほたる?」

怪訝そうな秀吉の声に、ほたるは小さく肩を震わせながら消え入るようにつぶやいた。

「秀吉殿とお糸さんが二人きりで楽しそうに笑っていて……それを見ていたら、なんだか急に胸が苦しくなって……その場にいるのが居た堪れなくなって、それで……」

「……」

「ですから本当になんでもないのです。無礼な態度をとってしまって申し訳ありません、秀吉殿。ですがこの通り私は元気ですし、自分で歩けますので、どうか降ろしてくだ……」

しかしほたるの身体は地面に降ろされることはなく、より一層秀吉に抱きしめられて目を白黒させた。

「あーもぅ! ほんっとどうしてくれよう! いっそこのまんま姫路に連れ帰っちまうか!」

「な、なにをおっしゃってるんですか! ここから姫路までどれだけあると……」

「んなもん、オレとあんたの愛の前じゃあ半歩とおんなじようなもんだって! おう、そうだ! 姫路に行くのが難しいってんなら祝言あげようぜ? ここで、いますぐっ!」

「そ、そちらのほうがよほど難しいですっ! もぅ、いきなりどうしたというのですか?」

講義するように秀吉の背に回した腕を振り回すほたるに、秀吉は目尻を下げたまま嬉しげに笑った。

「いきなりもなにも、これが喜ばずにいられようか、ってな! あんたがオレのことで悋気起こしてくれたんだから!」

「り、りんき??」

「おう、そうだよ。オレとお糸さんが話してたのが気に入らなかったんだろ?悔しかったんだろ? 他の女とオレが仲睦まじくしてるのが気に入らなかったってこったろ? そいつぁつまり、お姫さんがオレに惚れてるからさ!」

「私が、秀吉殿を……」

好き……と声に漏らさず唇だけ動かして告げると、秀吉は満足げに何度もうなずきながら、抱きかかえているほたるの身体を包むように抱きしめた。

「オレもあんたが好きだぜ、お姫さん。こいつは本気で、本当の想いだ。だから他の誰と話していようが、笑い合っていようが、あんたは何も心配しなくていい。オレが心底惚れてるのは、ほたるだけだから」

「秀吉殿……」

この人はいつだって温かい……と改めて感じながら、ほたるは安堵したように吐息を漏らす。

「私も好きです。秀吉殿が……大好きです」

 

今まで知らなかった『やきもち』という感情を抱いてしまうほどに――。

おわり