「はぁ!?」
素っ頓狂な声を張り上げて秀吉が思わず身を乗り出すと、のしかかられた状態になったほたるはぱっと顔を赤らめて視線を逸らした。
「ちょっと待ってくれ。なんでお別れって…」
「秀吉殿は一度安土に戻られてから、また任地に赴かれるのですよね」
「ああ、まぁそうなるわな。けどな、だからってあんたを置いていくとは…」
言ってねぇよ? むしろそのまんま連れてく腹づもりだったぜ、と続けようとする秀吉から目線を背けたまま、ほたるは泣きそうな顔で口を軽く尖らせた。
「秀吉殿には許嫁がいらっしゃるから……これ以上、私がお供するわけにはいきません。だから少しずつ身を隠して、安土に着く前にこっそり隊から抜けて里に帰ろうと思っていて…」
「……ええと、ほたるよ? すまねぇが、あんたの言ってることがさっぱりわからねぇんだが…なんだ、その許嫁ってのは?」
皆目分からないといった風情で目を白黒させている秀吉を睨んだほたるだったが、とうとう辛抱できなくなったのかうっすらと目頭に涙を浮かべて叫んだ。
「みんな、言っていましたっ! 秀吉殿には心に決めたお方がいて、その方も秀吉殿を待っているって! だから安土に戻ったら、四国討伐の前に、きっとお二人は祝言を挙げるんだろうって! 行軍中にっ、みなが、そう、う、うわさっ、して……てっ…う、ううっ……」
言い切ったほたるの瞳から堰を切ったように涙がこぼれ落ちるのを、秀吉はぽかんとした表情でただ見つめていた。
しかし、すぐに困ったように眉間にしわを寄せると握っていたほたるの手を引き、すっぽりと腕の中に収まった彼女の背をあやすように撫でた。
「は、ははっ……そうかい。そんであんた、寂しくて拗ねちまったってわけか……」
ぐすぐすとしゃくり上げるほたるの髪をあやすように撫でながら、秀吉はくすくすと楽しそうに笑いつづけた。
その様子が悔しくて苛立たしくて、ほたるは秀吉の身体から離れようと腕を突っぱねたが、彼はそれを許さず、さらに力を込めてほたるを抱きしめた。
「も……いやです……っ。離してくださ、いっ」
「そいつはきけねぇなぁ。それに離したら、あんたひとりで泣くんだろ? 好いた女にそんな寂しいこと、させるわけにいかねぇよ」
「もう、私になど構わないでください…っ。そういうことは、安土でお待ちの許嫁の方におっしゃればいいんですっ」
まるで駄々っ子のようだと思いながら秀吉はくすりと笑い、改めてほたるの顔を覗き込むと、隙をついて彼女の唇をちゅっと音を立てて吸った。
「!?」
驚いて息を飲むほたるにもう一度微笑みかけた秀吉は、改めて彼女の背に手を回して優しく抱きしめささやいた。
「だから、あんたに言ってるんじゃねぇか。オレが心に決めた、大事な大事な愛しいお姫さんによ」
「でも……だって……」
まだ真相を理解できずに戸惑っているほたるを抱いたまま、秀吉は肩を揺らし声を立てて笑った。
「あんた、まさか忘れちまったんじゃねぇよな? あんたのもうひとつの顔は、さてなんだったかねぇ?」
「え……?」
そこまで言われてほたるは眉をひそめたが、すぐに目を大きく見開くと恐る恐る顔を上げて秀吉を伺い見た。
「あの……もしや、それって…明智殿の……」
「そういうこった。オレがぞっこん惚れ込んでるのは、明智光秀が妹の桔梗姫! つまり……あんただよ、ほたる」
ぱっと顔中を朱に染めるほたるの様子に満足げな笑みを浮かべ、秀吉はゆっくりと彼女から離れた。そしてうつむきがちになった額に自分のそれを軽く押しあて、ほたるの瞳を上目遣いに覗き込んだ。
「許嫁だなんだってのは、噂に尾ひれがついただけだろうが……オレがあんたにとことんまいっちまってるってのはほんとだぜ?」
真っ赤になった顔を逸らすことも出来ずにほたるは視線を落として小さくうめいたが、やがて涙目のまま秀吉をちらと伺い見つつ口を開いた。
「ごめん……なさい」
「ははっ、なにも謝るこたぁねぇよ。……ああ、でもオレから逃げ回ってたのは謝って欲しいとこだな。オレがこの二日間、そりゃあもうどんだけ寂しかったか……」
大げさに嘆いて肩を落とすと、ほたるは困ったように視線を彷徨わせて身体を小さくしてしまった。
「ごめんなさい……本当に、ごめんなさい…っ」
恐縮して頭を下げるほたるの態度に、秀吉は満足げな笑みを浮かべて身体を起こした。そして「そこまで謝られちゃあ、許さないわけにはいかねぇなぁ」と得意げに胸を反らしたところで、ほたるが秀吉の着物の裾をきゅっと掴むと、顔を伏せたままぽつりと言った。
「でも……私だって寂しかったのですよ。秀吉殿の側に居られなくて、すごく寂しかったの。だから……おあいこだと思います」
「な…っ」
なかなか聞けないほたるの本音に、秀吉は言葉に詰まって思わず呻いた。そして額に手を当て大きく息を吐くと、熱を持った顔を隠すようにそっぽを向いた。
「ったく、そいつは反則だぜ……可愛すぎだろ」
ぼそぼそと漏らしてから秀吉は、そっぽを向いたままほたるの手を素早く取った。そして指を絡めて強く握りしめると、そのまま歩き出した。
「そんじゃあ、今までお互いに寂しかった分の埋め合わせをしなきゃな。……ちょっとやそっとじゃ離さんから、観念しろよ?」
驚いて目を大きくしたほたるだったが、すぐに幸せそうに目を細めると、秀吉の隣に駆け寄った。そして彼の手をしっかり握り返してから、顔を見上げて口を開いた。
「秀吉殿……あの……」
「ん? なんだ?」
「……好き。大好き、です……」
口の中でそう呟いたほたるは、怪訝そうに首を傾げて見おろしてくる秀吉を見上げ「……いえ、なんでもありません」と答えて首を振ると、満足そうに笑ってみせた。