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夢への軌跡

(7)

陣屋の篝火が爆ぜる音に浅い眠りを邪魔された秀吉は、苦しげな息を吐くと寝具をはね除けて起き上がった。

ほたるの青白い寝顔を見るのが恐ろしくて、彼女から逃げるように出陣した秀吉だったが、少しでもまどろむと、ほたるの温かい笑顔や愛らしい仕草や声が脳裏を駆け巡って苦しくなり、ここ数日はほとんど眠っていなかった。

重い頭を何度も振って立ち上がった秀吉は、寝間着のまま陣屋にしている寺の障子を荒々しく開けて廊下に出ると、夜空を見上げながらため息をついた。

「ほたる、ちったぁ元気になったかな。いつも一緒にいたいって思ってたが、今くらいあんたの顔が見たいって思ったことはねぇ。なぁ、ほたる……逢いてぇよ」

「……私も逢いたかったです」

がさり、と中庭の茂みが揺れたかと思うと、そこから顔を出したほたるの姿に秀吉は目をまんまるにして固まってしまった。それからゆるゆると手を上げて目を擦ると、上半身を乗り出してゆっくりと歩いてるほたるを凝視した。

「こいつぁ夢か? ほたるに逢いてぇ、声が聞きてぇって願うばかりに、お月さんが幻を見せてくれてんのか?」

「いいえ、夢じゃありません。正真正銘本物の……あなたの女房ですよ」

言ってふわりとほたるは笑ったが、やはり足にまだ力が戻っていないのだろう。かくりと足を滑らせて身体を傾げたが、廊下を飛び降り裸足のまま駆け寄ってきた秀吉のおかげで転ぶことはなかった。

勢いのままほたるを抱きしめた秀吉だったが、すぐに我に返ると手の力を緩めて彼女の肩に手を添え、何度もまばたきをしながら彼女の顔を覗き込んだ。

「どっか痛いとこはねぇか? もう大丈夫なのか? どうやってここまで来たんだ? 無理したんじゃねぇのか? って、ああ、こんなとこじゃ身体が冷えちまうっ! 早く部屋ん中入らねぇと!」

矢継ぎ早に問うてくる秀吉の様子に、ほたるは困ったように笑って口を開きかけたが、それよりも先に秀吉が彼女をひょいと抱え上げてたものだから、その口からは小さな悲鳴だけが漏れた。

すると秀吉は相好を崩し、腕の中のほたるをまじまじと見おろして楽しげに口元をほころばせた。

「ああ、その可愛い悲鳴! やっぱ正真正銘、本物のオレのほたるだ!」

「先ほどからそう言っているじゃ……! ん…っ」

勢いよく吸い付いてきた秀吉の唇に、ほたるは目を白黒させて軽く抵抗した。しかし秀吉の勢いは最初だけで、優しく慈しむような唇と舌の愛撫に、やがてほたるはうっとりと目を閉じて彼の肩にきゅっとしがみついた。

やがて温かい唇がそっと離れると名残惜しくなったのはほたるのほうで、そんな自分が恥ずかしくて視線を伏せたほたるを改めて抱きかかえながら、秀吉は満足げにうなずいて目を細めた。

「うん……温かくて甘い。オレのほたるに間違いねぇ」

「だから……何度もそう言っているではありませんか」

拗ねているのか恥じらっているのか、視線を逸らしたままぼそと呟くほたるに笑ってみせ、秀吉は再び歩き出すと軽々と廊下に飛び乗り、寝所にしている部屋の障子を足で器用に開けて中に入った。

そしてほたるを自分が使っていた寝具の上にそっと降ろして手を離すと、彼女に向き合うように腰を下ろして胡座をかいた。そうしてほたるの両手を取ると、彼女の顔を見おろして愛おしげに目を細めた。

「聞きたいことは山ほどあったが、んなこたぁ嬉しさでどっかに飛んでいっちまった。ほたる……逢いたかった」

ほたるは秀吉を見つめ返して小さくうなずくと、腰を上げて秀吉の腕の中にそっと飛び込み、胸元に頬を摺り寄せて目を細めた。

「私もお逢いしたかった……目が覚めて秀吉殿に逢えなくて……寂しかったです」

鼻腔をくすぐるほたるの香りに、秀吉は安堵したように息を吐いてから彼女の身体をそっと抱きしめた。

「すまねぇ。急いでたってのは言い訳にならねぇな。二度と寂しい思いをさせねぇって誓ったってのに……」

「本当ですよ。今回は許しますけど、これからは、約束はきちんと守ってくださいね」

「ああ、わかった。絶対に守る……」

秀吉の手が髪を優しく梳いてくれるのが心地よくて、ほたるは幸せそうな笑みを浮かべていたが、やがて視線を伏せるとそのぬくもりを吹っ切るように、そっと秀吉の身体を押し戻した。

「……どうした?」

甘い雰囲気に酔っていた秀吉は、ふと険しい表情を浮かべる妻の様子に首を傾げて彼女の顔を覗き込んだ。するとほたるは改めて秀吉を見上げ、ついっと身体を離して秀吉の前に正座すると、床の上に手をついて頭を垂れた。

「殿にお願いがございます。こたびの進軍、いま一度お考え直し頂きますよう……どうか」

ほたるの言葉に秀吉はぴくりと眉を震わせ、やがて深いため息をつきながら己の顎をゆっくりと撫でた。

「誰から聞いた? と問いたいとこだが、まぁ佐吉以外いねぇわな。あいつめ、あんたの世話は頼んできたが、そんなことまで話せとは言ってねぇ。こりゃあ帰ったら、きっちり仕置きせにゃあならんな」

するとほたるははっとして顔を上げ、秀吉を伺うように見上げた。

「佐吉は悪くありません。私が無理に聞き出したのですから、あの子に非はありません。ですから、どうかお叱りにはなりませんようお願いします」

すがるように見つめられて秀吉は、小さく息をついてから頭を掻いて眉をひそめた。

「ずるいぜ、ほたるよぅ。そんな顔されたんじゃ、オレが言うこと聞かないわけにいかねぇだろうが」

「……」

「……わかったよ、佐吉にはなにも言わねぇ。まぁあいつが口を滑らせたおかげで、こうしてあんたが来てくれたってのもあるしな」

肩をすくめて秀吉が言うと、ほたるは安堵した笑みを浮かべてから「ありがとうございます」と頭を下げた。