ぼんやりとした視界が徐々に色を取り戻し、ぐにゃりとしていた天井が少しずつ木の堅さを取り戻していく。それと一緒に意識が闇から救い上げられていくのを感じたほたるは、思わず小さくうめいて布団を掴む指先を震わせた。
「――ん…っ。こ、こ……は…?」
自分の喉から漏れた声があまりにもしわがれていたことに驚くほたるの視界に、見覚えのある顔が大きく目を見開いて飛び込んできた。
「奥方様……気がつかれましたか?」
この少年の慌てふためく様子を見るのは、もしかして初めてかもしれない、などと思いながらうなずくと、少年はぐっと下唇を噛みしめ泣き出しそうな表情になった。
「三日も眠られたままだったんですよ。どこか痛むところはございませんか?」
言われて身じろいでみると、全身がひどく気怠い。頭の芯がやけに重く、じわじわとうずく気もする。ほたるは掛布の隙間から自身の身体を見下ろし、どこにも痛みを感じないのを確認すると、臥せたままでゆっくりと首を振った。
「ごめんなさいね……心配をかけてしまって……」
絞り出すようにほたるが言うと、今度は少年=石田佐吉が膝の上に置いた両手をぎゅっと握りしめて大きく首を振った。
「いえ、奥方様が謝る必要などありません。……ご無事で、本当によかった」
言いながらぐいっと鼻を拳でこする佐吉の様子に、ほたるは目を細めて小さく微笑んだ。それから天井に視線を移してゆっくりと深呼吸をし、改めて佐吉へ視線を動かした。
「私……どうやって、帰ってきたのかしら……」
ほたるの枕元で白湯を椀に注ぎながら、佐吉はまた軽く首を振ってみせる。
「わかりません。三日前夜番の者が、巡回中に堀の向こうで篝火が揺れるのを見つけて駆けつけたところに倒れていたと。おみ足の傷には応急処置がしてあったおかげで大事にならずに済んだようだと、医師が申しておりました」
「……そう」
佐吉の言葉にほたるは息を吐くと、軽く目を閉じて布団の中で手を合わせた。
『師匠に違いない……分の悪い賭けだったけれど、師匠は私を見つけてくださったんだ』
ほたるが決死の覚悟で逃げ延びた森には、彼女の師匠である百地の隠れ庵があった。だからどうにかそこまで行き着ければ、あるいは百地が気付いてくれるかもしれないと咄嗟に思いついたほたるは、自身もわざと気配を消さずに森の中に駆け込んだのだった。
もちろん、百地がそこにいるという確証などなかった。むしろ本能寺の一件から考えて、ほたるの知っている拠点などはとうに打ち捨てている可能性の方が高い。
それでも一縷の望みをかけたほたるだったのだが、こうして戻ってこれたということは、どうやら彼女はその賭けに勝てたようだ。
『不肖の弟子が、いつもご迷惑ばかりおかけして申し訳ありません。師匠……ありがとうございました』
「まだ、お加減が悪いのですか?」
ほたるがじっと目を閉じている様子に不安を覚えたのか、佐吉は眉をひそめて彼女の顔を恐る恐る覗き込んだ。するとほたるはゆるりと瞼を開け、佐吉をちらと見てから口元に笑みを浮かべた。
「いいえ、大丈夫よ。私を助けてくださった方に、お礼を申し上げていただけだから……」
その言葉に怪訝そうに首を傾げる佐吉の手元に視線を移したほたるは、掛布に手をかけそろりと退けると慎重に上体を起こしかけた。すると佐吉は慌てて膝立ちになり、ほたるの背に茶碗を持ったまま手を添えた。
「ご無理をなさっては駄目です! しびれ薬の毒は死ぬことはないけれど、長く身体に影響すると医師がっ!」
「知っていますよ。でもね、私は子供の頃から、そういうものにもある程度身体を慣らしているから、普通の人よりも効き目が薄いの」
「で、ですが!」
ようやく上体を起こしたほたるは、不安げな表情を浮かべる佐吉を肩越しに見上げてくすりと笑った。
「それよりも……佐吉、そのままでは白湯が溢れてあなたの手が火傷してしまうわ」
「え? ……あっ!」