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恋患い

(3)

夕餉の膳で向かい合っているほたるが、いつにもましておとなしいことに気づいた織田信長は、やがて箸を膳に置くとわずかに身を乗り出した。

「桔梗」

「――はい」

ひと呼吸遅れて返事をし顔を上げる妻を、目を細めて睨んでから信長は再び口を開いた。

「余と共に食す膳はつまらぬか? 浮かぬ顔をしおって、飯がまずくなる」

「申し訳ありません。殿とご一緒なのですもの、つまらぬことなどありません」

「ならば笑うてみよ。笑えぬとあらば、その理由を余に話せ。執務から離れようやく顔を合わせたというのに、そのような顔で迎えられたのでは気も萎えるわ」

「も、申し訳……」

「何度も謝るな。余は謝罪が聞きたいと言うておるのではないぞ。お前のその憂い顔の訳を話せと申しておる」

糾弾され、ほたるは思わず視線を伏せた。しかしただ黙っていれば許すような相手ではないことをよく知っているから、やがてほたるは顔をあげると、黙ってこちらを見ている信長の顔を見つめ返した。

「――わかりました。お話いたします」

信長が軽くうなずいて腕を組んだ途端、ほたるは手にしていた箸を膳に置いた。そして立ち上がると楚々と歩き出して信長の膳の前で止まった。そのまま腰を下ろしたほたるに怪訝そうに眉をひそめた信長だったが、不意に自分の方に伸びてきた白い手に驚いてまばたきをした。

「なんだ? 余は話をせよと――」

「ですから今からお話しいたします。でもその前に……少々ご無礼、お許しくださいませ」

真剣なほたるのまなざしに言葉を飲み込んだ信長の額に、ほたるは左手で袂を押さえながら右手をそっと押しあてた。そしてすぐに軽いため息をつき、手を離しながら信長を軽く睨んだ。

「やはり、少しお熱がございますね」

言って立ち上がったほたるは着物の裾を翻し、控えの間へと足早に向かった。そして障子を開けると、中にいた蘭丸を見つけて声をかけた。

「蘭丸、急ぎ床のご用意を。それから厨房へ白湯と桶に水を用意するよう伝えてください。お薬は私が調合いたしますから、薬師は無用ですよ」

「は、はいっ!」

ほたるに一礼して立ち上がった蘭丸は、素早くきびすを返すと静かに駆け出した。それからほたるは再び信長の方へ戻ってきたが、自分だけが取り残されたような気がした信長はほたるに目を向けて眉間にしわを寄せた。

「どういうつもりだ? 余はきわめて健勝であるぞ」

するとほたるは拗ねたように頬を膨らませ、信長を睨んで口を開いた。

「嘘をおつきにならないでください。常より額が熱いのですから、熱があるということではありませんか」

「微熱だ。この程度、仕事が立て込んでおる時にはままあることよ。放っておけばいずれ快癒する。これまでもそうだったのだから、案じるほどのことではないわ」

吐き捨てるように言って肩をすくめた信長だったが、ほたるはその言葉に安堵するどころか、さらに大きく目を見開いてその瞳を潤ませるものだから、ぎょっとして思わず声を大きくした。

「なっ、なぜそのような顔をする!?」

「いままでも……とおっしゃいましたね。私はいままで、そのような大事にまるで気がつかず……上様がお苦しみになっているのを知らなかったなど……」

「知らぬで当然よ。余は少しも苦しんでなぞおらなんだのだからな。故にこたびもすぐに……」

自慢げに胸を張った信長だったが、ほたるは彼女にしては珍しく目を怒らせると、信長の腕をぎゅうと掴んだ。

「私には嘘をおつきにならないでください! 熱を出して辛くない人などおりません! お願いですから……ご無理なさらないでください」

「ほたる……」

泣きそうな瞳で訴えられては、さすがの信長も反論は出来なかった。なにより愛しい妻が己の身をこれほどまでに案じてくれていると思えば、嬉しくないはずはない。 そこで信長は諦めたように息を吐くと、ほたるの手を取りすっくと立ち上がった。そしてふっと口元に笑みを浮かべたと思うと、ほたるの身体を軽々と持ち上げてきびすを返し寝所へ向かった。

「わかった。余を想うその心に免じ、今宵は休むとしよう」

「あ、ありがとうございます。ですがあの……なぜ、私を抱えていかれるのですか?」

暴れて逃げ出すことも出来ずにほたるが困惑した表情で問うと、信長は歩みを止めずに腕の中のほたるに視線を向け、ほたるの不安げな顔に目を細めてみせた。