火積も最初は、ビニール傘を二人分買うつもりだったのだ。しかしレジに並んだ途端、店に駆け込んできた親子連れの「あーっ。傘、ここにもない…」とがっかりしたように肩を落とす様子を見てしまっては、そのまま無視できなくなってしまった。
結局、手にした傘の一つをその親子に譲り、ビニール傘をひとつだけ買ってかなでに謝ると、彼女はにこりと笑みを浮かべた。
「ううん、ひとつあれば十分だよ。一緒に入れば良いんだもの」
言ってかなではまた微笑み、当たり前のように火積の側に身を沿わせた。ぎょっとして彼女を見おろすと、かなでは不思議そうな表情を浮かべて彼を見上げていた。
「どうしたの?」
「ど、どうしたって……あ、あんたこそ、いきなり、そ、そのっ……」
「え。だって、くっつかないと濡れちゃうし……」
「あ…あ、ああ。そ、そう……か」
なんだか自分だけが意識しているような気がして、火積はさりげなく視線を逸らすと小さく咳払いをした。そして透明な傘を広げると、ちらっとかなでを見てからゆっくり歩き出した。
それからこうして一つの傘を差し、かなでと並んで歩いている。通い慣れたはずの道のりがやけに遠く思えて、火積は傘の柄を握る手に汗を感じながらも、時折かなでの肩が濡れていないかと彼女に視線を向けながら黙って歩いていた。
そうして二つ目の曲がり角を曲がったところで、かなでがちらっと火積に目を向けた。そして急に立ち止まると、視線を地面に落としてしまった。
「ど、どうした?」
かなでの動きに合わせ、火積もたたらを踏んで立ち止まる。そして一歩後ろに下がってかなでを傘の中に戻すと、彼女はゆっくりと顔を上げた。
「火積くん……私と一緒は、いやだった?」
「……え?」
かなでの言葉の意味がわからなくて、火積は怪訝そうに眉をひそめた。するとかなではコンビニの袋をきゅっと握り直し、口をへの字に曲げた。
「だって、お店出てからずっと、私から離れようとばかりしてるんだもん。その度に火積くんの肩、濡れちゃうのに……私と一緒に居るの、そんなにいやなのかなって……だから」
「いやなわけねぇだろっ!!」
思わず怒鳴ったもののすぐに我に返った火積は、改めてかなでを見つめ、彼女が呆然と自分を見つめ返していることに気づいて、顔を真っ赤に染めた。
「わ、悪い……怒鳴っちまって…」
「……ううん」
「その……いやだってわけじゃねぇんだ。なんていうか、あんたと俺じゃ体格が違うから、俺が傘んなか占領してっと、あんたが濡れちまうんじゃねぇかと思ってよ。それにその…あんまくっつくと、あんたに迷惑っつうか、いやな思いさせんじゃねぇかって、おもっ……っ!?」
顔を赤らめたまま告げる火積の言葉を、かなではしばらくおとなしく聞いていたのだが、彼が「いやな思いをさせたくない」と口にした途端、むっと唇を尖らせた。そして火積が最後まで言い終わるのを待たず、傘を持った方の火積の手に自分の腕を絡ませ身体を摺り寄せた。
「こっ、小日向っ!?」
声を裏返させる火積から顔を逸らし、かなではうつむいたまま小さいがしっかりした声で答えた。
「迷惑なわけないよ……火積くんと一緒にいるのが、いやなわけないじゃない」
「……小日向」
呟いてまじまじとかなでを見つめたが、彼女は決して顔を上げようとはしなかった。だがきゅっと火積の腕を握り直すときにさらりと揺れた髪の隙間から、その頬が真っ赤に染まっているのが見えて、火積もまた改めて顔が熱を持ったのを感じた。
しばらくそうして雨の中二人で立ちすくんでいたが、やがて火積が小さくため息をついた。そして傘の柄を改めて握り直し「その……手、離してくんねぇか?」と小さく声をかけた。
ぴくり、とかなでは肩を震わせ、ゆっくりと顔を上げて懇願するように火積を見上げた。だが彼は困ったように眉をひそめたものの、言葉を取り消そうとはしなかったので、名残惜しげに掴んでいた手を離した。
「ごめん…なさい」
小さく呟いて顔を伏せたかなでだったが、次の瞬間、火積が傘の柄を左手に持ち直したかと思うと、空いた右手を彼女の華奢な肩にまわして自分の方へぐいっと引き寄せたので、驚いて目を大きく見開いた。
「ほ……火積、くん?」
顔を上げて火積を見ようとしたのだが、彼の手はかなでの肩をしっかりと抱きしめていて、簡単に身動きが取れなかった。
「かっ、傘持ったまま腕組んでたら、歩きにくい。だっ、だったらこうしたほうが、あんたも俺も濡れなくてすむ……だろ」
小柄なかなでは自然と火積の胸元に頬を寄せるような体勢になっていたから、彼がしゃべるたびにシャツ越しに心臓の鼓動が聞こえてきて、ただ頬を赤くするしかできなかった。少し視線を動かすと、温かくて大きな手がしっかりと自分の肩をつかんでいるのが視界に入って、かなでの心臓も火積のそれと同じように、ドキドキと大きな音を立て始めた。
そうしてお互いに身体を固くしていた二人だったが、やがてかなでは自分の口元に左手を添え、幸せそうな笑みを浮かべた。そして小さくうなずいてから、コンビニの袋を持ったままの右手をほんの少し上げて、火積のシャツを遠慮がちにそっと握りしめた。
「うん……これなら、二人とも濡れない…ね」
かなでの言葉を聞いた火積は、ほっとしたように身体の力を抜いた。そして彼女の肩を抱いた手に少しだけ力を入れると、顔を赤らめたまま歩き出した。