ヴァイオリンアイコン

可愛いね、と言いたい

(1)

「――浴衣かぁ……いいなぁ」

通りに面したショーウィンドウの中に並べられたマネキンに目を向け、小日向かなではぽつりとつぶやいた。すると、そのつぶやきを耳聡くとらえた谷奈央は、かなでの視線を目で追ってからにこりと笑みを浮かべた。

「いいんじゃない? あれ、小日向ちゃんに似合いそう」

「えっ!?」

無意識に漏らしていた声を聞かれていたとは思わなかったのだろう。かなでが驚いて奈央を振り返ると、今度は村上夏希が素早く店の前に駆けよって、かなでと奈央を手招いた。

「……うん、飾り帯になってる。これなら、着付けも一人で出来るよ」

「え? え? ええっ?」

「ねね、見て。展示品のため30%OFFってなってる!」

しゃがみこんでガラスにへばりつき、中の札を読み上げた。そして同時に振り返ると、示し合わせたようにかなでの腕をそれぞれ掴んで店の扉を開けた。

「すっごいラッキーじゃん、小日向さん! もう買うしかないって!」

「え? あ、で、でもっ!」

「そうそう。これでお祭りもばっちりだよ!」

にこにこと笑いながら夏希が言ったひと言に、かなではぴくりと肩を震わせた。その隙を見逃さず、奈央はかなでの背後に廻ると彼女の背中をぐいぐい押して、店の中に押し込んでしまった。

 

カコカコと後ろから響いてくる下駄の音をぼおっと聞きながら、火積司郎は所在なげに頭をかいた。

待ちあわせていた玄関ホールに髪を結い上げた浴衣姿のかなでが現れたときから、どうにも彼女を見るのが気恥ずかしくて、先ほどからろくに会話もしていない。

『――んなカッコしてくるなんて、思ってなかった、っつうか……』

夏祭りで浴衣姿の女子を見たことくらいある。だがそんな彼女らは、大概同じように浴衣を着た男と連れ添っていて、それはつまり二人は恋人同士だということで……。

そこまで考えてから火積ははっとしたように顔を上げ、いきなりかなでに背を向けると通り沿いの壁に向きあった。

『な、なに考えてんだ俺はっ! こっ、小日向はただ祭りに行きてぇだけで、そ、そんなこっ、恋人だとか……んなわけねぇだろっ!』

「……きゃっ!」

目の前の火積が突然向きを変えたことに驚いたのか、かなではその場でたたらを踏んだ。だが慣れない高い下駄がコンクリートの凹凸に引っかかったのか、かなでは小さく悲鳴を上げてよろめくと、火積の背中にしがみついた。

「うわあっ!!」

「ごっ、ごめんなさいっ!」

想像以上の火積の悲鳴にも似た絶叫に驚いたかなでは、慌てて顔を上げると反射的に謝った。もしかしたら怪我でもしていたところを触ってしまったかもしれないと、かなでは火積に触れた手を離してしゅんとうつむいた。 すると頭の上から小さなため息が聞こえてきたので、かなでが顔を上げると、火積が申し訳なさそうに眉をひそめて頭をかいていた。

「いや……悪いのは、ぼけっとしてた俺のほうだ。あんたが、謝ることじゃねぇ」

「火積くん……」

つぶやいて火積をじっと見上げると、彼は顔を赤らめたままちらりとかなでを見おろしたが、やがて右腕をすっと伸ばすと彼女の左手首をつかんでくるりときびすを返して歩き出した。

「え……あ、あのっ!?」

動揺して思わず叫んだかなでは、自分の手を引く火積を改めて見上げ、彼の耳が真っ赤になっていることに気がついて頬を染めた。

「火積……くん?」

伺うようにつぶやくと、火積の歩調が少しゆるんだ。だがかなでの手を離そうとはせずに改めて小さな手を握り直すと、前を向いたまま、わずかに聞こえる小さな声でつぶやいた。

「……転んじまったら、せっかくのカッコが台なしだろ」

「えっ……?」

「それに、祭りは人が多くてはぐれやすい……あんたはちっとばかりぼーっとしてるとこがあるから……手、繋いでたほうが、いい」

言ってほんの少し握った手に力を込める火積の背を見たかなでは、やがて嬉しそうに微笑んで小さくうなずいた。

「……うん」