「俺には聞くくらいしか出来ねぇかもしれねぇ……そんでも、吐き出せばちったぁラクになるんじゃねぇかと、思うんだが……」
「火積くん…」
顔を上げたかなでは火積を見ながら呟くと、やがて泣き笑いのような表情を浮かべてくすりと笑った。
「……やっぱり私、隠し事には向いてないのかなぁ。それとも、火積くん相手だと気が緩んじゃうのかも……」
かなでのひと言に、火積の心臓が大きく鼓動を打ち始めた。自然と熱を持ち始めた頬を掻く火積の前で、かなでは両膝を抱え込むと遠くに目を向けた。
「ちょっとね……私、ヴァイオリン奏者に向いてないかもしれないって……思っちゃって」
意外なことを言い出すかなでの横顔を、火積は驚いた表情で見つめた。つい昨日まで楽しげに、いっそ嫉妬すら覚えるほど嬉しそうにヴァイオリンと戯れていたのを、一緒に練習した火積は知っている。そのかなでが今日は表情を曇らせて肩を落とし、ヴァイオリンには向いていないと落ち込んでいるのが信じられなかった。
しばらくかなでの横顔を見つめていた火積は、やがて深いため息を吐きだすと手にしていたペットボトルを地面に置いた。
「……誰に、なに言われたか知らねぇが……あんたの音色は、俺には心地良い」
「……え?」
ゆっくりと向けられたかなでの驚いたような表情に、火積は面映ゆさを感じて視線をほんの少し逸らしながら言葉を続けた。
「演奏家ってなぁ技術も大事だろうが、そんなもんは日々の鍛練でいくらだって身につけられる。誰だって練習すりゃあ、ある程度腕は上がるもんだ。……けど、聞くヤツの心に響く音色ってのは……誰にでも出せるもんじゃねぇと、思う」
「火積くん……」
「だから、あんたはそいつを大事にしたほうがいい。音を奏でる楽しさや嬉しさは、技術なんかよりうんと大事なもんだってことを俺に教えてくれたのは……小日向、あんたなんだからよ」
まじまじと火積を見つめていたかなでだったが、不意にその眉尻が下がった。そしてみるみるうちに大きな目に涙を浮かべたものだから、火積はぎょっとして、慌てて頭を下げた。
「す、すまねぇっ!」
「え。な、なんで謝るの?」
「い、いや……なんか、あんた泣きそうだしよ……そう、だよな。事情も知らねぇヤツに、偉そうに説教されちまったら……ハラも立つよな」
まずいことを言ってしまった、とばかりに頭をかく火積の前で、かなではぐいっと涙を拭うと何度も首を振った。
「ううん、違う。全然違うよ! 嬉しくて……火積くんが私のことちゃんと見てくれてるんだって思ったら、とっても嬉しくて……だから……」
「小日向……?」
ようやく顔を上げた火積の目の前には、いつもと同じくらい輝くかなでの笑顔があった。
「ありがとう、火積くん……私、これからも頑張るね! 来年、火積くん達と決勝で会おうって約束したんだから」
言ってまた笑うかなでの笑顔に魅入られたように言葉をなくした火積だったが、やがて照れ臭そうに口元に微かな笑みを浮かべた。
かなでと並んで歩き出した火積は、ちらっと彼女を見おろして口を開きかけたのだが、すぐにまた唇を引き締めた。
彼女が明るい表情を取り戻したのはよかったのだが、そもそも落ち込んだ理由と原因を結局聞きそこねている。それを確かめたいのだが、いまさら蒸し返してまたかなでに嫌な思いをさせるわけにもいかないと思うと、うかつに声をかけられなかった。
そうしてしばらく躊躇った火積の口をついて出たのは、彼自身が思ってもいない言葉だった。
「……なぁ、小日向」
「なに?」
「今度、またなんかあったら……」
「今度?」
「ああ。気にいらねぇことや、落ち込んじまうようなことがあったら……今度は、最初に俺に言え」
「火積、くん……」
「相談でも泣き言でもかまわねぇ。俺に出来ることなら……なんだってしてやるから」
かなでが惚けたように自分を見ている視線を受け、そこでようやく自分が口走った台詞の恥ずかしさに気がついた火積は、かあっと顔を赤らめた。 するとかなでは嬉しそうに微笑んで彼の上着の袖を引っ張ると、決まり悪げに視線を逸らしながらも顔を向ける火積を見上げて口を開いた。
「じゃあ……さっそくお願いしてもいい?」
「な……なん、だ?」
何を要求されるのだろうと及び腰になる火積の耳に、かなでの心地よい声がふうわりと流れ込んできた。
「これから一緒に練習してくれたら嬉しいんだけど。出来たら、明日も明後日も……ずうっと」
「……だめ、かな?」と付け足し、伺うように首をかしげるかなでの赤い顔をまじまじと見返した火積は、やがて目を細めて小さくうなずいてみせた。