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その術を僕は知らない

(5)

「――え、美由紀ちゃんと楓ちゃんだったの?」

広瀬川のゆったりとした流れが見渡せる川岸のベンチに腰掛けたかなでは、思わず身を乗り出して火積の横顔を見つめた。その声に火積は小さくうなずいてから、照れたように軽く視線を川辺に向けた。

「ああ。あんたの友達だって言って、たいした剣幕だったぜ。特に眼鏡の方だったか……あんたが寂しそうにしてるのは、俺がきちんと話さないからだって。その…あんたのことを想ってるんなら、態度と口に出さなけりゃ伝わらないんだって、えらく力説されちまった。一緒にいたリボンの方が、ちっとばかり焦るくらいにな」

「楓ちゃん……」

どちらかというと美由紀が率先して行ったのだと思っていたが、火積の話だとどうやら楓の方が主導権を持っていたらしい。普段の落ちついた雰囲気からは想像できない楓の行動力に、かなでは驚きつつもついくすりと笑ってしまった。

「そっかぁ、ちょっと見たかったかも。楓ちゃんが火積くんをたじたじにさせるとこ」

「……勘弁してくれ」

きまり悪げに首筋を掻く火積に、かなではまたくすくすと楽しそうな笑い声を上げた。自分の隣で屈託のない笑顔を見せるかなでを、火積はしばらく見つめてから眩しげに眼を細めた。

「……あの子らの言う通り、だな」

「え…?」

「俺がきちんと話をすれば、あんたはきっと笑顔になる。思ってることや伝えたいことは、照れくさくてもちゃんと言うべきだってな」

ふっと微かな笑みを浮かべた火積は、目線を川面に移して言葉を続けた。

「俺は、いつだって不安だった。あんたが俺を好きだって言ってくれて、側にいてくれて――嬉しくてたまらねぇのに、どこか現実じゃない気がしてた。これは、俺の都合のいい夢なんじゃねぇかってな」

「どうして…そんなこと……」

じっと火積の横顔を見つめていると、不意に彼がかなでの方へ目を向けた。そして困ったように眉尻を下げると、また首筋に手を当てた。

「どうして…だろうな。たぶん俺は……人から突き放されるのに慣れちまったのかもしれねぇ。だからあんたや八木沢部長たちみたいに、俺を無条件で受け入れてくれる奴に会うと、どうしていいかわからなくなる。どうやって返していいのかわからなくて、そのうち、またいつか見捨てられるんじゃねぇかって、余計に不安になるんだろうな。ましてや、あんたは――」

一度言葉を切った火積はかなでに目を向けると、わずかに躊躇ってから彼女の髪にそっと手を伸ばした。

「触れても――いいか?」

ほんのり頬を染めながらうなずくかなでに、火積は安堵したように息を吐いてから、彼女の髪の一房に優しく指を絡めた。

「……あんたは至誠館に来た時から、台風の目みたいなもんだった。いつだって周りに誰かがいて、皆から気にかけられて。それは、横浜に行っても変わらなかった。むしろ昔なじみがいた分、仙台にいた時よりも注目されてただろ。あんたはまさに……あの夏の日の太陽みたいなもんだったから」

するり、と火積の指が髪から離れ、かなでは名残惜しげにその手の行方を追った。

「いろんな奴から大事にされて、注目されて……そんな女が、なんで俺なんかの側にいてくれるんだろう。なにも返せない、ただ大事にしたいって想っているだけの俺の側にいて、本当にあんたは幸せなのかって……いまだに考えちまうんだ」

ぽつりぽつりと本音を話す火積の横顔を、かなでは時折下唇を軽く噛みながら黙って見つめていた。そうして火積が「悪い…変なこと、聞かせちまって」と呟いたところで、大きく首を振ると自分から離れた彼の手に小さな両手を重ねて身を乗りだした。

「ううん、変じゃない! 全然悪くないよ! 私だって…私も……ずっと思ってた。火積くんの側にいるの、私でいいのかなって。私……火積くんを好きでいいのかなって」

驚いたように目を見張る火積の手をぎゅっと握り、かなではうつむいたままで思いの丈を話し始めた。

「コンクールで吹奏楽部が優勝して、皆が私達を見る目が少し変わったのはすごく嬉しいよ。火積くんのことも少しずつだけど、理解されてきたのも嬉しい。でもね、でも……街を一緒に歩いてても、学校内でも、火積くんを見る女の子の眼が変わってきてて……火積くんのこと気にしてる子がどんどん増えてて。それが、すごくもやもやしちゃって……」

痛いほど強く手を握りしめてくるかなでを、火積はまばたきを繰り返しながら見つめていたが、すぐに肩で息を吐くと微苦笑を浮かべた。

「んなこと、あるわけねぇだろ。あんた以外の女は、昔もいまも俺の側になんぞ近寄ってこねぇよ」

「そんなことないもん!」

言い切ったかなでは顔を上げると、目を見張る火積を潤んだ瞳で見つめながら、半分涙声になって叫んだ。

「だって火積くん、かっこいいんだもん! しばらくトラブルを避けたいからって、街に出る時は前髪下ろすことが多くなったでしょ。その時、周りの女の子が、すごくキラキラした目で火積くんを見てるんだよ! すごくかっこいいって言いながら!」

「お、落ち着け」

かなでの叫びに眼を白黒させながら火積は彼女をなだめようとしたが、一度口にしたことではずみがついたらしいかなでは、ひくっと肩を震わせて息をつめ、ぽろぽろと涙を零しながら顔をくしゃくしゃにした。

「皆に火積くんが認められるのは嬉しいけどぉ……ほ、火積くんは私の彼氏だもん……皆が火積くんに優しくしてくれるのは嬉しい、でもっ…他の女の子が側に来るのはやだぁ……だってっ…私の火積くんなんだも、ん…」

「小日向……」

しきりにしゃくり上げるかなでに、火積はどう対応したらいいのかわからずに固まってしまった。しかしすぐに深く息を吐きだすと、かなでの背に片腕を廻して強く引き寄せた。

「ったく……くだらねぇ心配すんな。あんたがいてくれるってのに、他の奴なんか目に入るわけがねぇよ」

あやすようにしばらくかなでの背を叩いていると、ようやく落ちついたらしいかなでが真っ赤な目と顔を上げて火積を見上げた。

「……顔、すげぇことになっちまったな」

思わず苦笑いをすると、かなではまぶたを伏せて「ごめんなさい…」と小さくつぶやいた。

「なんか……すごく恥ずかしい。でも、言ったらすこしすっきりしたかも」

「……そうか」

微かに微笑む火積につられるように、、かなでも彼を見上げて小さく笑った。すると火積はかなでの額に手を伸ばして前髪をそっと払うと、額に唇を押し当てた。

「! ほ、火積、くんっ!?」

声を裏返させるかなでに、火積もはっと我に返ったのか、見る見るうちに顔を真っ赤に染めると居たたまれずに視線をさっと背けた。

「うわあっ! わ、悪い! あ、あんたの顔をじっと見てたら、そのっ…む、無意識にしちまったっていうか…っ! ほんとすまねぇっ!」

「あ……謝ることじゃないけど…っ。む、無意識じゃし、仕方がないし…う、うんっ!」

しばらく互いに背中を向けていたが、気がつけば辺りはすっかり暗くなっていた。やがて先に火積が咳払いをして立ち上がり、躊躇った後でかなでの方へ手を差し出した。

「火積くん……」

「帰ろう、小日向。その……手、繋いでくれるか?」

「……うん」

うなずいたかなではふうわりと笑い、火積の手を取って立ち上がった。川辺の風がそろそろ冷たく感じられる季節だったが、繋いだ互いの手は、あの夏の日差しよりも温かく優しかった。

おわり