ヴァイオリンアイコン

その術を僕は知らない

(2)

「前からちょっとぼやっとしてる子だなとは思ってたよ。でも、最近のひなはやっぱり変。大会が終わってほっとしたとか、彼氏が出来て浮かれてるとか、そういうの抜きにしたって、少しぼんやりしすぎてるよ」

「それに、得意な古典のテストでそんなことしてるくらいだし…」と肩を落とす美由紀をちらと見てから、楓は改めてかなでに向き直った。

「ねぇ、ひなちゃん。私も美由紀ちゃんも、あなたが心配なの。頼りにならないかもしれないけど、困っていることや悩みがあるなら、遠慮しないで声をかけて欲しいの。だって私達、友達でしょう?」

「そうだよ! そりゃあ友達になって数ヶ月しか経っていないから信じられないかもだけど、私、ひなと楓ちゃんとはずっと友達でいたいって思ってる。高校にいる間だけじゃなくて、卒業してからもずっと、ずーっとね」

「楓ちゃん…美由紀ちゃん……」

それぞれの名を呟くと、かなではつんとする鼻を軽く押さえてうつむいた。

「…ごめんね、心配させちゃって」

「あーもう、謝らないでよぅ。泣かせるつもりじゃなくて、悩んでること話して欲しいだけなんだから」

美由紀に二の腕を軽く叩かれたかなではすんっと鼻を鳴らし、顔を上げて精一杯の笑顔を浮かべた。

「うん……ありがとう。私、至誠館に転校してきてよかった。二人と友達になれて、本当によかったよ」

「ひなちゃん…」

かなでにつられて楓が涙ぐみそうになったが、それを止めたのは美由紀の小刻みな拍手の音だった。

「はいはーい、そういう話はおしまいっ! で、悩みがあるんでしょ? 聞いてあげるから、なんでもこのわたくしに話してみたまえよ、小日向かなでくん?」

言いながらかなでの肩を小突く美由紀に楓はまばたきを繰り返し、かなでは身体をよろめかせて思わず椅子の背もたれに寄りかかった。

「な、悩みって…そんな話すほどのことじゃ…」

「話すほどのことかどうかは、聞いてから判断するからさ、まずは話しちゃいなさいって!」

「……それじゃあ、ひなちゃんは話すっていう選択肢しかないわよ」

「そうだねー。でも楓ちゃんだって聞きたいでしょ?」

「え? そ、それは……まぁ…」

「聞きたいけれど……」と語尾を濁しながら楓がつぶやくと、美由紀は何度もうなずき、かなでに視線を向けた。

「だから話しちゃいなよ、ひな。解決できるかどうかはともかく、閊えてることを吐き出すと、それでけっこう楽になったりするし。私に出来ることなら全力で協力するからさ」

そう言って不意に真面目な表情を浮かべる美由紀に、かなでははっとしたように息を飲んだ。

やがて視線を落とした顔を上げると、かなでは美由紀と楓を交互に見てから意を決したように口を開いた。

「あのね……悩みっていうか、私が思い込んでるだけかもなんだけど……火積くんのこと、なんだ」

かなでは口にしてから、改めて目の前の親友達の様子を伺ったが、驚いているかと思いきや、二人とも「ああ……やっぱり」とでも言いたげにやけに落ちついているというか、納得したようにうなずいていた。

「え、と……二人とも、吃驚しないの?」

「え? あ、うん……まぁ、大体そんなとこかなって」

「ひなちゃんが、他に悩むようなことってなさそうだし……」

「そ、そっか……」

「二人とも、すごいね」と照れくさそうに微笑んだかなでだったが、それきり口を閉じそうになったので、美由紀は慌てて先を促した。

「で、火積がなにかしたの? まさかひなに悪さしようとしたとか?」

「し、しないよ! 火積くん、優しいもん!」

「それじゃあ、付き合う前と態度が豹変したとか」

「ないってば。前と全然変わらない……あ、でもちょっと変わったかも」

「え?」と二人が思わず身を乗り出すと、かなではへらりと笑って頬を赤らめた。

「前よりも笑うようになったかな。あとね、手を繋ぎたいって言うと、ちゃんと繋いでくれるようになったの」

「あーうん……そういう報告はいいや」

興味がなさそうに手を振る美由紀に、かなでは「えー、聞きたいって言ったのそっちなのに!」と抗議の声を上げたが、今度は珍しく楓が眼鏡を指でくいと上げながら身を乗り出した。

「その話はあとで聞くわね。それで火積くんについて、なにを不安に思っているの?」

問うてくる楓の眼鏡の奥の瞳が、きらりと光ったような気がしたかなでは一瞬息を詰めたが、すぐに肩を落とすとゆっくり息を吐いた。

「う……ん。全国大会が終わってから、吹奏楽部に対しての風当たりって少し優しくなったでしょう? それはすごく嬉しいし良いことなんだけど……」

その後もかなでは言いにくそうに口をつぐんだり、持って回った言い方をして誤摩化そうとしたりと、どうにも要領を得なかった。しかし、それを楓が上手く誘導尋問をしてどうにか結論を引き出し、美由紀が尊敬の眼差しで楓を見た頃には、すでに昼休みは僅かしか残っていなかった。

「あーあ、こんなことならお弁当食べながら話せばよかった~」とぼやく美由紀にかなでが「ごめんね、私の所為で……」としきりに謝るのを視界に捉えながら、楓は「いまは早くお昼食べちゃいましょ。話の続きはそれから!」と、まるで母親のように二人をせき立てた。

放課後、再テストを受けるかなでを送り出した美由紀は「それじゃ、私も部活に…」行くね、と続けて歩き出そうとしたのだが、後ろから思いの他強い力で腕をつかまれてたたらを踏んだ。

「な、なに?」

肩越しに振り返ると、楓がやけに険しい表情で美由紀の身体越しに正面を睨んでいた。その気迫に美由紀は一瞬ひるんだが、そのまま楓に腕を引っ張られたので慌てて身体の向きを変えて歩き出した。

「な、なに? どしたの?」

すると楓は眼鏡のレンズを光らせながら美由紀を見上げ、重々しく口を開いた。

「美由紀ちゃん、部活の前にやることがあるでしょう。友情の証として一言抗議しに行かなくちゃ」

「え、だ、誰に?」

「決まっているわ。2組の火積くんよ」

「ああ……って!え、ええっ!? ち、ちょっとかえ、楓ちゃんっ!?」

普段はおとなしくて運動も得意ではない楓だったが、この時だけはテニス部内で自慢の俊足の持ち主である美由紀が驚くほど足が速かった。なによりあの火積に抗議をするなどと、割と気が強いことで通っている美由紀ですら思いもよらなかったことを実行しようとしている楓に、やがて美由紀は抵抗することを放棄した。

「はぁ……ひなにしろ楓ちゃんにしろ、普段怒らない人のほうがよほど怖いって、いま実感した……」