ヴァイオリンアイコン

Time Limit

(1)

「今夜9時頃、電話する」

一行だけのメールに、小日向かなでは小さく笑う。

最初から直接電話をしてきても問題ないし、実際今まで彼からの電話を取り損なったことはない。かなでが声を聞きたくて携帯を握りしめて悶々としていると、まるで見計らっていたかのように絶妙のタイミングで連絡が来るからだ。

けれど律儀な彼は、彼女の時間を独占することを未だに申し訳なく思ってでもいるのか、少し長電話になりそうだと思うと、必ずこうして予告メールを送ってくる。 もっと気楽に「ただ、声が聞きたかった」というだけで急に連絡してくれても…いや、むしろその方が、かなでからしたら飛び上がるほど嬉しいのだが、それを照れ屋で生真面目な彼に望むのは無理だろう。

それでも、やっぱり彼と話せると思うと嬉しくて、かなでは自然に浮かんでしまう笑みを唇を噛み締めて誤摩化しながら、同じように「はい。待ってます」と一行だけ打ち込んで送信ボタンを押し、携帯の蓋を閉じると広げた弁当の横にそっと戻した。

「仙台のコワモテくん?」

ぱくりと卵焼きのひとかけらを口に含んだ友人の谷奈央の問いに、かなではむうっと頬を膨らませて口を開いた。

「火積くんは怖くないもん。とっても優しいって、いつも言ってるでしょ!」

「はいはい、そうでした。いつもいつもごちそうさま」

肩をすくめてポニーテールを揺らしながら嘆息する奈央をまだ恨めしそうに見ているかなでの横顔に、同じく友人である村上夏希は、箸を持った手を止めくすくすと笑った。

「奈央、お弁当残ってるのに、もうお腹いっぱいなの?」

「気持ち的にね。でも物理的には全然足りてない!」

言ってにっと口元に笑みを浮かべた奈央は、改めて箸を握り直して残りの弁当に突撃した。そんな彼女の前でまだどことなく不機嫌そうに眉をひそめているかなでに視線を移すと、夏希は微笑を浮かべたまま首を小さく傾げた。

「小日向さん。彼から嬉しいお知らせ?」

「嬉しいっていうか……夜、電話するって」

少し機嫌を直したらしいかなでのほんのり赤い顔を見ながら、夏希は少しだけ目を見開いた。

「それだけ? 後で電話するっていう予告メール?」

「うん。火積くん、いつもくれるの。夜、急に電話すると悪いからって」

「へぇ……真面目なんだねぇ」

いつのまにかこちらを見ていた奈央が、今度は感心したような溜息をついた。するとかなでは嬉しそうに微笑み、こくりと小さくうなずいた。

「そういうとこ、すごく気を使ってくれるんだ。菩提樹寮にいた時もね、夜になって外に行かなきゃいけない時はついて来てくれたの。ほら、私ってドジでしょ? だからどこかで転ぶんじゃないかって、心配してくれたみたい」

言って照れたように笑うかなでを見ながら、夏希と奈央は『それはたぶんドジだからじゃなくて、好きな女の子だからほっとけなかったんだと思う…』と同じことを同時に胸の内で呟きながら、顔を見合わせ曖昧な笑みを浮かべ合った。

 

午後の授業を終え菩提樹寮に戻ったかなでは、いつになく気忙しく動き回っていた。いつもはのんびりと摂る食事もさっさとすませ、デザートを食べながらぼんやりと過ごすことが多いラウンジにも寄らず真っ直ぐ部屋に戻ると、またすぐ食堂でカップアイスを頬張る、幼なじみの如月響也の横を小走りで通り抜けた。

「かなで、お前の分も冷蔵庫に入れといたからな」

「ありがとう。お風呂の後でもらうね」

「いいけど。あんま遅くに食うと太るぞ」

「じゃあ、明日食べるよ」

響也のイヤミにも振り返らず、パタパタと足音を立てて浴室に向かうかなでの背を見送った響也は、木のスプーンを口にくわえた。

「なんだ、あいつ。今日はやけに行動が速いな」

「……電話が来るそうだ」

言いながら響也の前の椅子を引いたのは、もう一人の女性寮生である支倉仁亜だ。彼女は目を細めて口元に笑みを浮かべながら椅子に腰掛け、怪訝そうな目線を向ける響也をちらっと見た。

「電話? かなでん家からか?」

「いいや」

軽く首を振って響也の言葉を否定した仁亜は、テーブルの上に左肘を乗せると頬杖をついた。そしてそのまま意味ありげな笑みだけを浮かべて口をつぐんだので、響也は怪訝そうに眉をひそめた。

「なんだよ。自分から話を振ったくせに、肝心なとこはだんまりかよ」

「ふふっ……君も、意外と鈍いな」

言ってくすりと笑う仁亜の横顔を一瞥した響也だったが、そこでようやくぴんときたのだろう。「……ああ、そういうことか」と小さく呟くと肩を落とし、銜えていた木のスプーンを右手に持ち直してバニラアイスにサクリと刺した。

「面白くない、という顔をしているぞ」

「そんなわけあるか」

仁亜の言葉をあっさり切り捨てた響也だったが、彼の顔には複雑そうな色がありありと浮んでいた。だがそれはどちらかというと、可愛い妹を心配する兄貴のそれに似ていたので、仁亜は楽しそうに目を細めただけで追求はせずに立ち上がった。

「さて……それでは我が盟友が遠慮したアイス、代わりにいただくとしようか」

「おい、オレの所為にされるからやめろよ」

驚いたように響也が言うと、仁亜はしたり顔でまた笑った。

「心配ない。きっと今夜の電話で、そんな些細なことは全部忘れてしまうさ」