「火積先輩、ため息を付くと幸せが逃げていきますよ」
「……はっ。だから悪魔が来やがったのか」
「ひどっ! 可愛い後輩を悪魔呼ばわりですかぁ!」
叫ぶ新の首根っこを掴んで押さえつけた火積は「ぐえっ!」と奇妙な声を漏らす後輩の耳元で、声を殺して凄んだ。
「でけぇ声出すんじゃねぇ。寝てる客がいるんだぞ」
「ううっ……ご、ごめんなさぁい」
ようやく声のトーンを落とした新を解放した火積は、また窓の外へ目線を移してため息をついた。
「わかったら、さっさとてめぇの席に戻っておとなしく寝ろ」
「寝ますよ。寝ますけどぉ、一つ気になったことがあって確認したいんですよねー」
ひそひそ声ではあるが楽しそうな新の言葉に、火積は嫌な予感を感じて振り返った。
「……んだよ?」
「火積先輩、かなでちゃんからお弁当を別にもらってたじゃないですか。あれ、ずるいなぁって思って」
新をまじまじと見ながら火積は何も言わず、ただ面倒くさそうに目を細めた。すると新はむっとしたように口を尖らせて火積に詰め寄った。
「あ。いま『それがどうした。あいつは俺の彼女なんだから、特別扱いされて当然だ』とか思ったでしょ」
「……悪いかよ」
「あー、認めた! うわ、ムッカツク!」
また声が大きくなる新を「うるせぇぞ、水嶋」と低い声で牽制した火積は、後輩から視線を逸らして追い払うように右手を振った。
「騒ぐなっつてんのがわかんねぇなら、また身体に叩き込んでやろうか?」
「えーっ! ぼーりょく反対っ!」
「だったら黙って戻れ。んで、さっさと寝ちまえ」
「はいはい。黙るしちゃんと寝ますよ。疑問が解決したら……っ!」
肩をすくめてため息を漏らす新の態度に、火積はつい油断した。するとそれを見逃さなかった新は目を光らせ、素早く火積の身体の上にのし掛かるようにして腕を伸ばしたかと思うと、窓際の小さなテーブルに乗せていたかなで特製弁当の包みをひょいっと持ち上げた。
「お宝、げーっと!!」
「なっ! てめ水嶋ぁ! なにしやがるっ!?」
鬼の形相で新の肩を掴んだ火積は、身体を丸めて弁当を隠そうとする後輩の腕を背後から掴んでぐいぐい引っ張った。
「ふざけんじゃねぇぞ……てめぇの分も、ちゃんともらってきただろうが……っ!」
「だって火積先輩だけ別扱いなんだもん。中身が気になるじゃないですかぁっ!」
「中身なんざ同じに決まってるっ……わかったら、さっさと離せこの野郎っ!」
「同じだったら、何も隠すことないでしょ!」
「隠してなんかいねぇっ!」
「じゃあ、明日食べるときに中身見せてくれます?」
「誰がてめぇなんぞに見せるかっ!」
「Oh meu Deus! この意地の悪い先輩をどうにかしてください……じゃあ、やっぱりいま見るしかっ!」
「みっ、水嶋てめぇっ!!」
弁当の入ったタッパーを包む水玉模様のナプキンを解きにかかる新を必死の形相で押さえつけた火積は、新の手首をつかんで軽くひねった。 そして「いっ、痛たたっっっ!!」と悲鳴を上げた新の手から包みを奪い返すと、自分の背と椅子の隙間に押し込んで大きくため息をついた。
そのまま険しい顔をして、隣で手首をさする新を睨んで怒鳴りつけようとしたところで、視界に見慣れた笑顔が飛び込んできて息を飲んだ。
「や……ぎさわっ、ぶちょう」
火積が漏らして固まると新も顔を上げ、火積の乱暴狼藉をここぞとばかりに訴えようと口を開きかけたのだが、八木沢の顔を見た途端、火積と同じように固まった。
「火積、水嶋」
「「……は、は、いっ」」
「ここがどこで、いま何時か……二人とも、わかっているかい?」
穏やかな八木沢の問いかけだったが、火積と新は背中を嫌な汗が伝うのを感じながらこくこくとうなずいた。 すると八木沢はまたふんわりと微笑みつつ、ゆっくりと口を開いた。
「わかっているならよろしい……早く寝なさい」
そう言って目を細めた八木沢は、二人に背を向けて自分の席へ戻っていった。 その背を見送った火積と新は、八木沢が席に座ったのを確かめてから、同時にため息をついた。
「……こりゃあ、明日の朝練は免除ナシだな」
「もーっ! 火積先輩の所為ですからねっ!」
「なに? そもそも、てめぇがくだらねぇちょっかい出してきたからだろうが」
危うく大声を出しそうになった火積は慌てて口元を押さえると、目をすがめて新の背中をどんっと足で蹴飛ばした。
「これ以上騒いだら、部長の仏の顔が消えちまう。さっさとてめぇの席に戻れ!」
「うわっ! もーっ、火積先輩さいってーっ!」
ぶつぶつ言いながらも、さすがに新も八木沢の逆鱗は恐ろしいらしい。すごすごと伊織の隣の席に戻ると、やがておとなしく身体を丸めて眠りについたようだ。 それを確認した火積は改めてため息をつくと、少しだけめくったカーテンを戻そうと身体を動かして、腰にある異物感に気がついてちらっと後ろを振り返った。
新から取り返した包みを手にし、火積はくすぐったそうに頬をゆるめた。 かなでは至誠館の全員分のおにぎりや卵焼きなどを作ってくれたのだが、そのうちの火積の分だけを、こうして別に分けて渡してくれたのだ。
『中身、ちょっとだけ火積くん仕様にしておいたから』
別れ際、照れたように笑ったかなでの表情を思い浮かべてついゆるむ口元を引き締めた火積は、新の所為でほどけかけたナプキンを縛り直すために、タッパーを取り出した。 そしてちらっと半透明のタッパーに視線を落としたのだが、透けた中身を目にした火積は、その途端かあっと顔を赤らめて思わず呻いた。
半透明のタッパーの中身は、おにぎりが3つに卵焼きと炒めたウィンナー。ごく普通のお弁当である。だが透けて見えるおにぎりの表面には、丁寧に海苔を細長く切った海苔文字が貼りついていた。
最初のひとつは「大」
二個目は「好」
そして最後のひとつには「き」
しばらく固まっていた火積だったが、無言のままナプキンを掴んでタッパーをぎゅうぎゅうと縛り上げた。そして窓際の小さなテーブルにそれを置いてから、改めて頭を抱えて肩を落とした。
「朝メシ、一人で食わねぇと……」
ぽつりと零した火積の口から、どことなく幸せそうなため息が続けて漏れた。