するとそれまで黙って皆のやりとりを聞いていた響也の兄の如月律が、悠人と新が視界から消えるのを待っていたかのように、改めて八木沢に向き直ると小さく頭を下げた。
「八木沢、それなら先に言ってくれ。知らなかったとはいえ、帰る仕度もあるだろうに、こんな時間まで付き合わせて悪かった」
律の態度に驚いたらしい八木沢はほんの少し目を見張ると、ついで少しだけ照れたように顔を赤らめた。
「いえ、如月くんが謝ることではありませんよ。僕らのほうが最後まで、君たちの演奏を聞きたいと思っただけですから」
八木沢の言葉に同意するように、それまで黙っていた狩野航と伊織浩平がそれぞれにうなずく。
「やっぱこういう楽しいイベントをさ、俺達だけ参加しないつーのはないだろ。な?」
「は、はい。それに帰り支度なら、お昼のうちに済ませたし、もう駅のロッカーに荷物も置いてきてますし……」
「……なるほど」
伊織の言葉が終るか終らないかというタイミングで、東金は楽しげに目を細めた。
「全国制覇の祝いのパーティーで、星奏が主役になると見越していたからこその夜行バスのチケット。そういうことか、ユキ?」
東金の言葉に八木沢は柔らかい笑みを浮かべると、ゆっくりとうなずいてから律を見つめた。
「千秋の言う通り、僕らは好敵手として星奏の皆さんのお祝いがしたかったのです。もし皆さんが勝てなかったら、最終の新幹線で帰るつもりでしたから。そういう意味でも、チケットが無駄にならずにすんでよかったと思っていますよ」
「そうか…」
八木沢の言葉に律は安堵したのか、口元に微かな笑みを浮かべた。 そんな様子を遠目で黙って観察していたかなでは不意に顔を上げると、隣にいる火積司郎の上着の袖をきゅっと握りしめた。
「……小日向?」
火積がつぶやいて視線を彼女の方へ下げると、かなでは彼から視線を外してうつむき小さく唇を動かした。
「もう、帰っちゃうんだ」
「……ああ」
うなずく火積の気配に、かなではゆっくりとため息をついた。
「……もっと早く、言ってくれたらよかったのに」
「すまねぇ。ただ演奏前のあんたに、余計なこと考えさせたくなかったからよ」
ぼそりとつぶやく火積の声に反応して、かなでは彼の上着を握る手に力を込めた。
夏が終れば、彼は仙台に帰る。 それは当然わかっていたことだし、仕方がないことだと覚悟もしていた。
けれどそれが、まさかこんな突然突きつけられるとは予想もしていなかったので、かなではうつむいたまま、しばらく顔を上げられなかった。
「……すまねぇ」
かなでが顔を上げないので、火積は仕方なくもう一度ぼそりとつぶやいた。するとかなではほんの僅か視線を上げ、火積を一瞬恨めしげに見上げてから手を離すと、ぱしぱしと自分の頬を両手で軽く叩いた。
「こ、小日向?」
ぎょっとしたように声を上ずらせる火積を見上げ、今度は軽く笑んだかなでは、そのまま彼を残してすたすたと歩き出した。 その華奢な背を唖然と見送った火積は、すぐに我に返ると彼女の後を追って足を速める。そして律の前に到着したかなでに追いつくと、その背に手を伸ばそうとしたところで、彼女の言葉に動きを止めた。
「律くん。私、もう寮に帰ってもいいかな?」
火積が驚いたように目を見張るのとは対照的に、律は僅かに眉をひそめると、ゆっくりとかなでの方へ身体ごと向き直った。
「どうした? 具合が悪いなら、会場の隅の椅子に座っていてもいいが…」
「ううん、大丈夫。ただ、帰ってやらなくちゃいけないことを思いだしたの」
「なんだよ、かなで。そんなの明日にすればいいだろ。せっかくのパーティーなんだぜ?」
歩みよってきた響也が眉をひそめて言うと、かなでは困ったような笑みを浮かべて小首をかしげた。
「でも明日じゃ、間に合わないから」
かなでの返答に、響也はなにかぴんときたらしい。ちらっと彼女の後ろにいる火積に疎ましげな視線を向けてから、ゆっくりため息をついて頭をかいた。
「……仕方ねぇな。いいぜ、帰れよ」
言ってから「しかしだな…」と眉をひそめる律の肩を軽く叩き、響也は苦笑を浮かべた。
「いいじゃん、別に。かなでだけがパーティーの主役じゃねぇだろ? オレらがその分、楽しめばいいんだって」
すると響也をフォローするように、榊が律の前にフルーツをいくつか乗せた小皿をすっと差し出した。
「そういうことだよ、律。夢をかなえた高校生活最後の夏休みなんだから、俺達こそ楽しむべきだろう?」
言って律の腕を取った榊は、かなでにちらっと視線を向けて「行っておいで」と口だけ動かして告げると、軽くウィンクしてみせた。
榊の様子にかなでは面食らったようにまばたきを繰り返したが、ちらりと彼の背後でまだ戯れあっている悠人と新を視界に捉えて小さく笑った。そして、改めて榊のほうに顔を向けると、ぺこりと頭を下げた。