「ねぇ、アリオス」
「なんだよ?」
「お昼ご飯、って言っても……」
「心配すんな。メシぐらいおごってやる」
「そうじゃなくて――」
「だからなんだよ? それともお前、金の心配しなきゃならないほど喰うのか?」
「そんなわけないでしょ!」
すたすたと歩くアリオスの背中を、アンジェリークはやや速足で追いかけながら軽く頬を膨らませて抗議する。しかしアリオスは楽しそうにくっくっと笑いながら、まるで足を止める気配もないので、アンジェリークは思い切って彼の上着の裾を引っ張った。するとようやくアリオスは足を止め、迷惑そうな表情を浮かべてアンジェリークの方に振り返る。
「……ガキ」
「だってアリオスったら茶化してばっかりで、全然私の話を聞いてくれないんだもん!」
眉を顰めて噛み付いてくる少女を見下ろし、やがてアリオスは軽く溜息を吐くと肩を竦めた。
「わかった、聞いてやるから言ってみろよ。デザートはプリンか? それともいちごパフェがいいのか?」
「違うわよ! そうじゃなくて、アリオス、こんなところに来ちゃっていいの? だってみんなに見られちゃうわよ?」
「大丈夫だろ。あいつら、相変わらず揃いも揃って注意力なさそうだしな」
そんな事か、と言いたげに苦笑すると、アリオスは鬱陶しそうに髪を掻き上げる。
「多分って。もーっ、私には『絶対誰にも喋るな』とか言ったじゃない。あれはなんだったのよ! でも、それよりも心配なことがあるんだってば!」
「まだなんかあるのか?」
「あのね……お金。アリオス、お金持ってるの?」
「持ってねぇ」
キッパリと言い切る青年を見上げ、アンジェリークは硬直した。するとアリオスは固まっているアンジェリークの手を握ると何事もなかったように歩き出す。
「ち、ちょっとっ!」
手を引っ張られてよろめきながら、アンジェリークは慌てて声をあげた。しかしアリオスはお構いなしにすたすたと歩き続けている。
「質問はお終いだ。いいから黙ってついて来いって」
「だ、だって!?」
「俺が大丈夫だって言ったら大丈夫なんだよ」
アリオスの声に段々憤りの気配が含まれてきたのを感じ、アンジェリークはそれきり口を紡ぐ。
ずるいんだから……。そうやってすぐ、訳のわからない理屈で言いくるめるんだもん。
でも、それで納得しちゃう私もやっぱり馬鹿なのかなぁ、とアンジェリークは軽く溜息をついた。
軽くウインクをしながらアリオスは笑い、口をぱくぱくさせているアンジェリークのおでこを軽く突く。
「あんまり見開くと目が零れ落ちちまうぜ。……しっかし、お前ってほんと面白い顔をするよなぁ。脅かし甲斐があるっていうかなんていうか」
「な、な、な、なにしてるの、アリオス!!?」
「何してるって仕事に決まってるだろ。俺はお前と違ってそうそう暇じゃねぇんだよ」
「し……ごと??」
アンジェリークはまだ状況を把握できないのか、まばたきを何度も繰り返しながらアリオスを見上げている。
アリオスは上着を脱いでTシャツを着ていた。腰には白く長い料理人用のエプロンをつけていて、あっけにとられるアンジェリークにはお構いなしに、手にした銀色に光るトレーからナプキンやらフォークをテーブルに綺麗に並べる。そしてトレーをテーブルの端に置くと、素早くエプロンを外してくるくるとまとめる。それをトレーの上にぽんと放り投げると、アンジェリークと向かい合わせにある椅子にとんと腰を下ろした。
「ほら、冷めちまうからさっさと食えよ」
「え……? だ、だって、あの……」
「変なモンは入れてねぇから安心しな。後でデザートも持ってきてやるよ」
「う、うん……」
まるで納得がいかないながら、それでもアンジェリークはこくんと頷くと、並べられたフォークを手に取った。そして皿の上に盛られたパスタの山を崩し、くるくると小さくまとめると口に運んだ。
「……おいしいわ」
「ホントはもう少しガーリックが多いほうが美味いんだけど、お子様にはちょっと辛すぎるからな。だから今回はちょっと抑えめの味付けにしたけど、これもなかなかだろ?」
「うん……って……こ、これ、アリオスが作ったのぉ!!??」
「なんだよ、それ。俺が作っちゃ悪いか?」
アリオスがほんの少し眉を顰めるのを見たアンジェリークは、慌ててぶんぶんと首を振ると力いっぱい否定した。
「ううん!! 全然悪くないわっ! た、ただちょっとビックリしただけ」
「俺が料理できるのが意外だった、ってか?」
「……う、うん。ごめんなさい」
アンジェリークはしゅんとうなだれると、心底申し訳なさそうに呟く。
アリオスはそれを黙って見つめていたが、やがてはぁっと溜息をつくとフォークを持ったまま手を軽く振って見せた。
「別に謝られることじゃねぇよ。いいからさっさと食えって。……せっかくお前のために作ったのに、冷めたらまずくなっちまうだろ」
アリオスはこのアルカディアに来てから、たまに町をぶらついていた。その時に町の人の手伝いを気まぐれにやってみたりしていたのだ。
そして、数週間ほど前にこの広場に来た時、この店のオーナーが食材を運ぶのにてこずっていたのを手伝ってやった。その時にオーナーが「数日前にコックが一人やめてしまって厨房が大変だ」とこぼしていたのを聞いて、裏方の手伝いくらいならしてやると答えたのだ。
もちろんその時は、自分が厨房に入るつもりもなかったし、オーナーにしても雑用をしてくれる手が欲しかったから大喜びで承諾したのだ。
「まぁ、基本的に暇だしな。なんかやってれば気も紛れるし」
仕事は週に5日間。変則シフトで休みがあって、アリオスの場合はそれが火と木の曜日だった。
「だから他の日に行っても会えなかったのね」
「そういう事。納得いったか?」
「納得はできたけど。だったらなんでここで働いてるって言ってくれなかったの?」
「言ったらお前、毎日だって来るじゃねぇか」
「い、行かないわよぉ! 毎日はさすがに……」
「でもしょっちゅう来るだろ?」
「う、うう」
冷ややかに自分を見つめるアリオスにそう断言され、アンジェリークは言葉に詰まって赤くなる。
「で、で、いつから厨房に入るようになったの?」
誤魔化すようにそう訊ねると、アリオスは皿の上にフォークを落として軽く天井を見上げた。
「先週……くらいからかな? 賄い当番の時に残り物で適当に作ったら、結構評判が良くてさ。試しに客向けに作ってみろって言われたんだ。でも、まだ俺の場合は人手が足りないときの応援要員って感じだけどな」
だから、と言いながらアリオスは顎をしゃくってみせる。
「俺の手料理が食べられるなんてすっげぇ光栄なことなんだぜ。感謝しろよ」
「そういう言い方されると素直に感謝できないわよ」
アンジェリークはぷっと頬を膨らませたが、すぐに思い直したように微笑むとフォークを掴み直してパスタをすくった。
「でも……おいしいのはホント。だから食べちゃおっと♪」
そして嬉しそうに口に運ぶ。
それを呆れた表情で見つめていたアリオスだったが、やがて軽く吹き出すとテーブルに置かれていたコップを手に取り口に運んだ。
アンジェリークは目の前のパスタとアリオスの顔を交互に見比べ、アリオスに見つからないように小さく笑う。
お料理って作った人の気持ちがこもるのよって、ママに聞いたことがある。見た目は真っ赤ですっごく辛そうなのに、一口食べてみると意外と辛くなくて、それでいてどことなく甘い後味が残って……。
ふふっ……ホント、作った人そっくり。
「あのね、私の宇宙の宮殿にもすっごく大きな厨房があるの。いつもはコックさんが色々作ってくれるんだけど、たまに私もお菓子とか作ってみたいなって思ってるんだ。でも、私、お料理ってちょっと苦手だから……」
「ちょっとじゃねぇだろ?」
「もうっ! すぐそうやって上げ足とるんだから!」
「真実だから、上げ足じゃないぜ」
アンジェリークが脹れて上目遣いに睨んでくるのを余裕で見つめ返し、アリオスはにやりと笑う。
「そんな顔すんなって。全部終わったら作りに行ってやるよ……そのでっかい厨房に」
アリオスの言葉を聞いたアンジェリークは、やがて柔らかく微笑むとこくんとうなずいた。