「ここにいたの? レイチェルが捜してたよ」
少女は樹の上でごろりと寝転がる少年を見上げる。少年はちらりと少女を一瞥すると、すぐに視線を遠い森に向ける。
「……わかってる」
少女はそんな彼の態度に少し怒ったように腰に手を当てる。
「だったら早く降りてきて、謝りに行ったら? いつも私がとばっちり食うんだから」
少女の怒った顔を見て、少年はクスリと思わず笑う。その態度はさらに少女の怒りに油を注いでしまった。
「もーっ! 何笑ってるのよっ。だいたいあなたはいつだって…」
少年は身体を起こし、少女へと手を差し伸べた。
「上がってこいよ」
「えっ?」
「下ばっかり見てるから、怒りっぽくなるんだよ。ここは気持ちいいからさ、おいでよ」
差し伸べた手を軽く振って、少女を促す。少女はしばらく躊躇うように辺りを見渡していたが、軽く微笑むと少年の手を取った。
「気持ちいいーっ!」
太い木の枝に立ち、幹を軽く掴んで背伸びをする。身体の奥にまで心地よい空気を吸い込もうとして、思いきり深呼吸をした。
辺りにはまだあまり高い木は生えていない。遠くの方に僅かに群生した木々が見える。そこには生き物達がいるのだろう。時々鳥のさえずりや、夜には獣の遠ぼえが聞えてくる。嬉しそうに目を閉じる少女を、少年は座ったまま優しく見上げていた。
「だから言ったろ? 気持ちいいって。登ってよかっただろ?」
「うん」
少女はにこりと微笑み返す。そしてぺたりとしゃがみ込むと、少年の顔をじっと見つめた。
「な、なんだよ」
「うん。あのね、母様の好きだった人ってこういう顔なんだと思って」
「はぁ!?」
いぶかしげに見つめ返す少年から目を逸らし、少女は枝に腰掛け足をぶらぶらさせる。
「さっきね、聞いちゃったの。ううん、聞こえちゃったんだ」
少年はにじり寄ると、少女の隣に腰掛け同じように足を振る。
「母様が言ったの。段々あの人に似てくるわ、あの子、って」
「あの人?」
「うん。でね、聞いたの。母様、あの人って誰?って」
「うん、そしたら?」
少女は、好奇心で瞳を輝かせている少年をちらりと見つめ、顔を寄せるよう人さし指を動かす。そして彼の耳元に唇を寄せて大事な秘密を打ち明けるようにこっそりと囁いた。
「昔、ううん、今もずっと母様が愛している人よ。一番大切な人よって…」
あの人にそっくりになってきたわ、あの子ったら。
そう言うと、母は少女を振り返り優しく微笑む。少女は母の優しい笑顔が大好きだった。天使のような、慈愛に満ちた笑顔。
でもこの時の笑顔の奥に潜んだ僅かな寂しさを、少女は敏感に感じ取ってしまった。
「似ていて当たり前でしょう?ってレイチェルは言ってたけど…。どういうことなんだろ?」
少女は自分の顎に指を当て、上目づかいに空を見上げた。少年はその少女をじっと見つめる。母によく似たその面ざし、仕草を。
「……わかった」
「え、何が?」
少女は少年へと視線を戻す。一つの結論にたどり着いた彼は瞳を輝かせていた。
「その、母様が好きだった人ってさ、きっと僕たちの父様だよ!」
「父様?」
「うん。そしたら納得いくだろ? 僕がその人に似てるってのもさ」
少女もパッと目を輝かせる。しかしふとある考えが浮かんだ。
「でも……それ変よ。だって母様は私達を産んだわけじゃないもん」
「……そっか」
少年は僅かに肩を落とす。少女も、心なしか寂しそうな視線を遠い木々へと向けた。
――あなた達は、この宇宙で最初に誕生した存在なの。
初めてこの宮殿に連れて来られた時、金色の髪をした女性にそう告げられた。
訳がわからず、繋いでいた少女の手をぎゅっと握った。少女も不安げに辺りを見回す。
正面に座って、微笑む栗色の髪の女性をきっと睨む。その女性は彼の視線を受け止め、黙って立ち上がるとゆっくりとこちらに歩いてくる。そして少女を庇うように立つ少年の前で立ち止まり、手を差し伸べてきた。ビクリと身体を震わせ、言い知れぬ恐怖に思わず目をつぶる彼を、あたたかい腕が優しく包み込む。
「怖がらないで。大丈夫よ、私が守ってあげるから。あなた達は私の大切な子供なのだから…」
耳元で優しく囁くその声に、彼は体中の力がゆっくりと抜けるのがわかった。
『いつかどこかでこの声を聞いたことがある。』
そう思った。心地よい安心感が彼を包む。
恐る恐る彼女の腕をつかむ。彼女は少年に微笑みかけ、少女の額にキスをする。そして二人の手を取り、彼女は告げた。
「今日から私があなた達のお母さんよ。……行きましょう、私の子供達」
あの日から数年が経った。二人は言葉を覚え、自分達の立場や母の事も教えられた。
母は女王だった。この生まれてまもない宇宙において、唯一無二の存在。
この宇宙に生きとし生けるもの全てを生みだしたのも、女王である彼女だった。
だから彼らが彼女の子供である事は間違いではなかった。血の繋がりはなかったが、三人は実の親子以上に深いところで繋がっている。
少年は寂しさを振り払うように軽く頭を振る。そして少女の顔を覗き込みいたずらっぽく笑う。
「あのさ……逢いたいと思わない? その人に」
少女は驚いて少年を見返した。彼は立ち上がり幹に寄り掛かると、頭の後ろで腕を組む。
「ここにはいないんだろうなぁ、多分。だとしたら、さ。きっとあっちにいるんだよ、母様の故郷の宇宙に」
そう言うと、少女に微笑みかける。
「二人で探しに行こうよ。で、連れてこよう、その母様の恋人を」
「む、無理よ、そんなの! 出来る訳ないじゃない!!」
「なんでだよー。逢いたいっていってたじゃん、君だって」
「言ったけど……」
俯く少女の前にしゃがみ、その手をとって握りしめる。
「行こうよ。母様が言ってただろ? 僕らはこの宇宙で最初に生まれた王子と王女だって。この宇宙で一番偉いんだから、きっとなんだって出来るさ。それに……その人を連れてきたら、母様はきっと喜ぶ」
「もう、あんな悲しい顔しなくなると思う?」
優しいけれど、どこか寂しげな微笑み。少女は母の見せたあの笑顔を思いだして、胸がちくりと痛んだ。
すると少年は大きくうなずいた。
「うん。きっと笑ってくれるよ。よくやったって誉めてくれるさ」
「そう……そうよね。でも、今すぐはダメよ。まずはレイチェルに……」
「謝れ、っていうんだろ? わかったよ」
少年はやれやれと頭を掻く。
この世界を飛びだして、冒険にでようという勇気と行動力を持つこの少年が、補佐官であるレイチェルに勉強をさぼって怒られる様子を想像して、少女は思わず噴き出した。
「何、笑ってんだよ?」
「ううん、別に」
少女は急に表情を引き締めると、いつもレイチェルがするように少年の頭を軽く小突く。
「それと、もっといろいろ勉強しなきゃね。向こうの宇宙の事とか。実行はだいぶ先になるのかなぁ」
「えっ! 何だよ、それ!! いいじゃん、今すぐだって!!」
「ダーメ」
「……ちぇっ」
拗ねてそっぽを向く少年の手を軽く握り返し、少女は笑う。
やがて少年は彼女の手を放すと、木の枝から飛び降りた。そして樹の下に立ち、少女に飛び降りるよう合図を送った。
「ちゃんと受け止めてよ」
「大丈夫だって。僕を信じろよ」
少女は枝から手を離す。少年は彼女を確かに受け止めた、が重みに堪え兼ねて尻餅をついた。
「痛ったーい! もう、レヴィアスったら!」
「っってぇ…エリスが重いからだろ!?」
「なんですってー!」
エリスは拳を振り上げる。が、ボロボロの自分とお尻をさする少年の様子があまりに可笑しくて大声で笑いだした。レヴィアスも自分の情けない格好が可笑しくて、つられて笑いだす。
二人の笑い声が、新宇宙の聖地にいつまでも響いていた。