Blue star

(1)

「こちらがロザリアで、これがアンジェリークの分です」

私はジュリアスに書類を手渡しました。

王立研究院のパスハから渡された大陸の育成状況のデータ。

最初はロザリアの圧勝でしたが、最近のアンジェリークの目覚ましい成長ぶりはこのデータからも伺えますね。女王候補としての自覚もついてきたようで、側にいると時々はっとさせられる事がありますよ。

「うむ。使いを頼んでしまってすまなかったな、ルヴァ。どういう訳かオスカーの姿が朝から見当たらないのでな」

「いいえ~。私はいつも暇ですから」

……実は私、知っているんです。今日は土の曜日。執務はお休みですから、昨夜のうちにこっそり飛空都市から抜け出すオスカーをね、見てしまったんですよ。

だから、多分まだ就寝中だと思いますよ。でも、言わないほうがいいですね。あなたの為にも、オスカーの為にも。

「それじゃ、下がらせてもらいますね。読みかけの本の整理がまだ残ってるんですよ」

「そうか。……あ、まて、ルヴァ!」

「はい?」

私が扉の取っ手を握ったまま振り返ると、ジュリアスは立ち上がって咳払いをひとつ。

「あ、いや。大したことではないのだがな。ルヴァ、そなた仕事は済んでいるのか?」

「はぁ。ですから今言ったように本の整理を……」

私がそう答えると、ジュリアスはじれったそうにため息をつき、僅かに視線をそらしました。

「そうではない。執務は済んでいるのか、という事だ」

「ああ。それでしたら心配には及びませんよ~。昨日の内にね、片づけてしまいました。 最近は私もね、仕事が速くなったんですよ。自分で言うのも変ですけどね。そうそうゼフェルにも言われたんですよ。『女王試験が始まってから、前より多少は行動が速くなったんじゃないか。』って、ね。あの子が私を誉めてくれるなんてねぇ。感動してしまいましたよ。それから……」

私の話を遮るようにジュリアスはまた咳払いをしました。また、喋りすぎてしまったみたいですねぇ。

「わかった。執務は終わっているのだな。……よかろう」

ジュリアスはそう言うと改めて座り直し、私の顔を見上げていつもの良く響く低い声でこう告げました。

「ルヴァ。今日の午後だけは湖での自由行動を許可する。散歩なり釣りなり自由にするがよい」

 

「どういう事なんでしょうねぇ……」

私は釣り竿を肩に掛けて歩きながら首をひねりました。

いつもは釣り竿を持っているだけで怒りだすジュリアスが、なぜ今日は良いと言ったんでしょう?

しかも今日の午後だけとは……さっぱりわかりません。

でも、まあせっかく許してくれたんですから、今日は楽しませていただくことにしましょうか。

「おや、クラヴィス。こんにちは、お散歩ですか?」

ひとしきり考え込んでふと前を見ると、穏やかな日差しの中にクラヴィスの長身な姿が見えてきたので、私は軽く声をかけました。

「……ルヴァか。ちょうど捜していたところだ。……湖に行くころだと思ったので、な」

「ええ、そうなんですよ。でも、どうしてあなたがそれを知ってるんですか、クラヴィス?」

クラヴィスは私の疑問など意に介してはいない様でした。懐から彼の宝物である水晶球を取り出し(よく懐に入りましたねぇ)私の目の前に突きつけました。何事かと一瞬ひるむ私の前で水晶球は暖かい光をたたえ始めました。

「……意外な出来事が待ち受けている。しかし勇気をもって立ち向かえば、必ず道は開ける。とでている……」

「はぁ?」

私が思わず聞き返すと、クラヴィスは水晶球を下ろし再び懐にしまいました。 (それにしてもどこに隠しているんでしょうねぇ)

そして、いつもと同じ意味あり気な微笑みを微かに浮かべポツリとひと言。

「ラッキーカラーはブルー。……フッ、私が言いたい事はこれだけだ。……では、な」

 

「いったい二人ともどうしてしまったんでしょうねぇ。まさか……何か悪い病気でも流行っているのでは……だとしたら、あの二人の一番近くにいるオスカーとリュミエールにも何か異変が!?」

私が本気で心配し始めると、その心配のもとの片割れであるオスカーがこちらに歩いて来るじゃないですか。しかも私を見つけると、なんとにこにこしながらこっちへ向かってくるじゃないですか!

ああ、やはり私の知らない所で何かが動き始めているのではっ!

立ちくらみを起こしかける私の前でオスカーは立ち止まり、何やら小さなノートを取り出して私にウインクしてきました。

「よう、ルヴァ。ちょうどあんたの屋敷に行こうと思ってたんだ。……顔色が悪いようだが大丈夫か? あ、いや、あんたにこれをやろうと思ってな。俺からのささやかなプレゼントだ」

ポン、と手渡されたその小さなノートの表紙にはオスカーらしいおおらかな字でこう書かれていました。

『いざという時の為の殺し文句 ~恋愛上級者編~』

二の句が告げずに黙り込んでしまった私の肩を、オスカーはぽんぽんと叩いて微笑みました。(この笑顔で何人の女性を騙したんでしょうねぇ……)

「いきなり上級者編はどうかとも思ったが。まあ、こういう事は最初が肝心だからな。こちらのペースに相手を巻き込んでしまえれば後はこっちのものだ。それに俺には初心者編は書けそうにない。まったく、心はいつも愛を求めて震えているひな鳥のようなんだがな」

それじゃ、がんばれよ、と理解できない励ましを残して、オスカーは立ち去ってしまいました。

私は、釣り竿が肩からずり落ちて地面に落ちた事にもしばらく気付きませんでしたよ。