ココニイルコト

(3)

「……もう寝たか」

声を殺し涙を見られないように寝返りをうつように壁を向く。するとカティスはゆっくりと扉を閉め、足音を立てないようにベットに近づいてきた。そしてマルセルの身体を布団越しに軽く叩き、ベッドの端にゆっくりと腰を降ろした。

「眠っているなら、それでいい。なぁマルセル……無理して背伸びしなくていいんだぞ」

カティスの言葉に、マルセルの身体が小さく震えた。それに気がつかないふりをしたまま、カティスはマルセルの金色の髪をやさしく梳いた。

「誰もが、いつか必ず大人になる。いや、ならなけりゃいけない。望もうと望まざると関係なく、否応なしにな。だから……今は子供の自分を思いきり満喫しておきなさい」

「……」

「寂しいの、不安なのも当たり前だ。お前はまだ子供なんだから。家族が恋しいのなら、思いきり泣けばいい。泣いて泣いてすっきりしたら、明日はまた笑える。そうやって少しずつ、人は成長していくものだ」

いつしか肩を震わせている幼い後継者を優しく見つめながら、カティスは微笑んだ。

「急がなくていいんだ、マルセル。おまえはおまえらしく、自分のペースで……少しずつ大人になっていきなさい」

「カ…ッティス様…ぁ」

「なんだ起きていたのか?」

くしゃくしゃになった顔を上げたマルセルに、カティスは呆れたように肩をすくめて微笑んでみせた。そしてしゃくりあげる後輩の頭をくしゃりと撫でて言葉を続けた。

「どうやらわかっていないようだな、マルセル。お前、今、本当にひとりだと思っているのか?」

「えっ…?」

「誰もお前を見ていない、孤独な存在だと?」

「……だって、僕」

「眼を閉じてみろ。そうすれば心の眼は、何かを映してくれるはずだ」

言われてマルセルはそっと瞳を閉じてみた。ただの暗闇……だと思ったところに、ぼんやりと何かが見えてきた。

俺のこと、本当の兄さんだと思ってくれていいよ。なにかあったら、いつでも相談にのるからさ!

くったくない笑顔で語りかけてくる、風の守護聖。

とろとろしてんなよ。ったく、ほら、すっ転ぶぞ!

面倒臭そうに、それでもつまずく自分を支えてくれる、鋼の守護聖。

あー、ここの生活には慣れましたか? 私も、初めて聖地に来た時には……あ、いえ、ずいぶん前の話ですけど。そうですねぇ、あれはたしか…

いつの間にかあらぬ方向に話が進んでしまうけれど、人の善い地の守護聖。

マルセルが眼を開けてみると、そこには穏やかに自分を見つめる緑の守護聖、カティスがいた。

「カティス様……」

「いいかい、マルセル。一人でやるのと、独りになるのは違うんだぞ。おまえは一人で何でもやれる子だ。だが、独りじゃない。その事を忘れるな」

もう涙を隠そうともしないマルセルに、カティスは続けた。

「おまえには俺たちがいる。いつだって側にいて、おまえを独りになんかさせやしない……それに」

軽くウィンクをしたカティスは、マルセルの肩越しにベッドサイドを覗き込んだ。

「この雛だって、おまえの側にいるんだぞ。それはすなわちこいつにも家族が……おまえという新しい家族が出来たってことだ」

チュピがカティスの声に応えるように、籠の中で小さく羽を震わせて「チュピ!」と鳴いた。その瞬間、何かがマルセルのなかで堰を切ったように溢れ出した。

カティスの温かく大きな手のぬくもりを背中に感じながら、マルセルは聖地にきて初めて大声をあげて哭いた。

 

「本当に、起こさなくていいんですか?」

「こんな幸せそうに眠っているのにか? 可哀想で俺にはできんよ」

いたずらっ子のように微笑む元緑の守護聖を、少し呆れながらルヴァは見た。

確かに、現緑の守護聖は幸せそうに眠っていた。楽しい夢を観ているのであろうその顔は、まさに天使そのものに見えた。

「心配するな、ルヴァ。なんだかこいつとはまた会えるような気がするんだ」

「その時は、ぜひ私もご一緒したいですね」

「そうだな……それまでマルセルの事を、よろしく頼む。……なんだか、おまえには頼みごとばかりだな」

「あなたに頼まれるとは光栄ですよ。私にできる限りの事はすると約束しましょう」

ルヴァのいつになく力強い物言いに満足そうに頷くと、カティスはくるりと踵を返して部屋を出ていった。

「しっかりやるんだぞ……若き緑の守護聖さま」

 

「ねえ、ゼフェル。こんな所で休んでていいの? 今日は初めての定期審査の日なんだよ。また、ジュリアス様に怒られるよ」

「っるせーな! 行きたきゃ、おめー一人で行けよ。うっとうしーな!!」

「もう、ゼフェルったら!」

「まだこんな所でグズグズしてるのか?早く起きろ、ゼフェル!」

「また、てめぇかよ。権威大好きの風の守護聖さまよぉ」

「なんだと! もういっぺん言ってみろ!」

「もう、いいかげんにして! 3人とも遅刻しちゃうよ!」

今にも取っ組み合いを始めそうな2人の少年を睨みながら、マルセルは大声で怒鳴った。

その日の午後、ルヴァはマルセルを見かけた。小鳥と戯れるように森の湖の方へと向かっている。

「おや、楽しそうですね、マルセル。なにかいいことがあったんですか?」

「あ、ルヴァ様。今フェリシアとエリューシオンの様子を観てきたんです。そうしたら、この間アンジェリークに頼まれて贈った僕の力が大陸に伝わって、とても綺麗な麦畑ができていたんです。きらきら金色に光って、まるで……カティス様の髪の色みたいだなって思ったら、なんだか嬉しくなっちゃって」

興奮のせいか、頬を赤く染めて嬉しそうに話す歳若い同僚を微笑ましく思いながら、地の守護聖は答えた。

「そうですか……ふふっ、あなたの言った通り、また会えたんですね」

「えっ、何ですか?」

「いいえ、なんでもありませんよ。……独り言です」

「……誰かの役にたてるって、素敵な事ですね。僕みたいな子供でも、女王候補の二人や大陸のみんなに協力できるって素晴らしい事ですよね」

「自分が未熟だと分かって初めて、人間は成長するんですよ。そのことに気がついたあなたは、もう大人への第一歩を踏み出したということでしょう。ふぅ……ゼフェルにも見習ってほしいですよ」

肩をすくめるルヴァの様子に笑ったマルセルは、空に目を向けると右手をすっと上げた。

「ルヴァ様、僕もう行きますね。森の湖に聖地の樹にそっくりな大木を見つけたので、ランディやゼフェルと登ってみることにしたんです」

「そうですか。くれぐれも気をつけてくださいね」

「はい。おいで、チュピ!」

走っていくマルセルの後ろ姿を見送って、ルヴァは天をあおいだ。そこには、雲一つない青空が広がっている。

「見えていますか、カティス……あなたの後継者は、一歩一歩階段を昇っていますよ。あせらず、自分のペースで……ね」

澄み渡る空は何も答えなかった。

おわり