「最近、あなたの悪い噂を聞きませんね」
さらりと言い切るリュミエールを見上げ、オスカーは軽く笑った。
「どういう意味だ? 俺はいつだって、真面目で仕事熱心だぞ」
彼の言葉に、リュミエールは苦笑いを浮かべながら渡された書類に目を通す。
「それは存じています。わたくしが言いたいのは、仕事のことではなくプライベートですよ。あまり芳しくない噂を聞かなくなったと」
つぶやいた後、書類から目を転じ、机の上で頬杖を付いて自分を見上げているオスカーに向かってにこりと笑ってみせた。
「以前でしたら,カフェに行っても庭園に行っても、色々な女性があなたのことを話しているのを耳にしましたから」
「お前、そんな事をわざわざ聞き出してるのか?」
呆れたように眉をひそめて見上げると、リュミエールも同じように少しだけ眉をひそめた。
「そんなことをするはずがないでしょう。聞きたくなくても聞こえてきたのですよ」
「それは悪かったな。まぁ、良い男に噂はつきものだから仕方がない。俺が相手にしなくても、向こうが放っておいてくれないんでね」
「では、噂がなくなったということは、あなたの人気が落ちたということなのかもしれませんね」
リュミエールが平然と発した言葉に、オスカーは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。が、言ったリュミエールの方は悪びれた風もなく、再び受け取った書類のチェックを始める。
「……お前とは、やっぱりわかりあえない気がするぜ」
オスカーは憮然とした表情でつぶやくと、「何かおっしゃいましたか?」と小さく首を傾げるリュミエールに手を振って誤魔化し、椅子から立ち上がって背後の窓に向かった。
「――興味がなくなった」
突然のオスカーの言葉に、リュミエールは顔を上げた。
「いま、なんと?」
するとオスカーは改めてリュミエールの方に向き直り、窓枠に背中を預けて腕を組む。
「つまらなくなったって言ったんだ。その場限りのゲームみたいな駆け引きには飽きたんだよ」
「あなたが? まさか」
さも意外だとばかりにぽつりと漏らしたリュミエールの言葉に、オスカーもまた苦々しそうに笑う。
「つくづく失礼な奴だ、と言いたいところだが。――正直、自分でも驚いてる。まさかこの俺が、ってな」
「オスカー……」
言葉に詰まり、ただ優しく見つめてくるリュミエールに、オスカーは小さく首を振って答えた。
「そんな哀れむような目で見るなよ、リュミエール。俺が変わったからって、この世の終わりが来るわけでもないだろう? お前に迷惑かけるわけでもないしな」
「そ、それはそうですけれど……」
オスカーの顔をじっと見つめていたリュミエールにも、ここにきてようやくわかった。
あれだけ浮き名を流した彼が最近はぱったりと夜の遊びをやめ、女性関係をすべて精算した理由。
しかしリュミエールは何も言わず、軽く頭を下げると扉の方へゆっくりと歩き出した。けれど扉を開ける一歩手前で立ち止まり、改めて室内へ向き直り目を細めてつぶやいた。
「オスカー。ひとつ、伺ってもいいですか?」
「ん?」
「あなたはいま――幸せですか?」
リュミエールの問いかけに、オスカーはしばらく無言だった。やがて彼は小さく笑うと、凭れていた窓枠から身体を起こして窓の外の青空を見上げた。
「ああ、幸せさ。――最高にな」
「オスカー?」
小さく呼ぶその声に、オスカーは木の影からすっと姿を現した。そして目の前に佇む女性に向かって恭しく頭を垂れた。
「これは陛下、このような場所に足を運んで下さるとは光栄です」
「あなたが呼び出したのでしょう。なにか急な用事でも?」
それだったら女官を通せばいいものを、と小さくつぶやきながらこちらに歩いてくる女性に対し、オスカーは微笑んでみせた。
「貴女のその麗しきお姿に焦がれて。恋に狂った哀れな男に、他にどんな用事がありましょう?」
「ふざけないで。こんな時間に庭園に呼びだすなんて、屋敷の者が怪しみますわ」
月明かりを背後にしているので、彼女の表情はうかがいしれない。が、呆れたように秀麗な眉をひそめていることは簡単に想像できる。
「お忘れですの? あなたにお会いする日はきちんと決めたはずです」
「そうだったかな」
ほんの少し不機嫌そうなトーンを含んだ言葉が彼女の口から漏れたと同時に、オスカーはすっと腕を伸ばして彼女の手首を掴んで自分の方へ引き寄せた。
「だが、君はこうして来てくれた――だろう?」
そうして、ようやく表情が見えるようになった女王を見下ろして小さく笑う。
「認めろよ。君も俺に会いたくてたまらなかったと。日の曜日まで待ってなどいられなかったと」
「……なんて自惚れが強いの、あなたって人は」
「そして最高に良い男、だ」
彼女の返事など待たず、貪るように唇を奪う。
さすがに息苦しくなったのか、腕の中のロザリアが小さく身じろいだのを合図にようやく彼は唇を開放し、頬を染めて息を荒げているロザリアを目を細めて見つめた。
「ああ、そうだ。用事ならあった」
「え?」
ロザリアの戸惑うようなつぶやきを聞いたオスカーはくすっと笑うと、彼女の手の平に自分の手を重ねて指を絡ませた。そして驚く彼女の耳もとに唇を寄せて囁く。
「我が最愛なる女王陛下へお願いがございます。忠実なる貴女の下僕に――どうか一夜の夢を」
「なっ!?」
ロザリアの頬が先程以上に赤く染まるのを視線の端に捉えて、楽しそうな笑みを浮かべたオスカーは、すっと彼女の耳朶に舌を這わせた。
「やっ! 人がっ、人が来たらっ!」
ビクッと身体を震わせ、ロザリアは視線を伏せてささやいた。だがオスカーは彼女の抗議など無視し、そのままロザリアの身体を東屋の隅の柱に押し付けた。
「――大丈夫だ。誰も来やしない」
肩から指先までを執拗に撫で回すオスカーの手の動きに、ロザリアは思わず漏れそうになる吐息を堪えながらなおも抗議を続けた。
「け、警備の者がいます! ここにだって来るでしょうっ! 見られたらっ、どうなさるのっ!」
「別に見られても構わないが?」
「オスカーッ!!」
思わず叫ぶと、ロザリアは信じられない力でオスカーの身体を押し返した。と、興を削がれた彼は一瞬不貞腐れたように眉をひそめたが、すぐに表情を崩すと再び彼女の手を取って、その指先に唇を寄せた。
「なるほど、陛下のご心配もごもっとも。――確かに配慮が足りなかったかもしれませんな」
ようやくわかったのかとホッと胸を撫で下ろしたロザリアだったが、次いで彼の口から飛びだした言葉に再び大きく目を見開いた。
「ならば、私めをこれよりお屋敷にご招待くださいませんか? さすればこのオスカー、今宵は誰に邪魔させることなく、陛下に誠心誠意ご奉仕するとお約束いたしますが」
「で、出来るわけがないでしょう!」
ロザリアならばそう言うだろうと確信していたらしく、大げさなため息をついてはいるものの、オスカーの表情はやけに楽しそうなままだ。
「これはつれないお言葉。貴女への想いに身を焦がしている男に、せめて一時の安らぎも与えて下さらないとは」
「あなたへ安らぎを与えて下さるお方でしたら、探せばいくらでも見つかりますわ」
「他の誰かの慰めなど、今の私にはただ空しいだけ。私が欲しいのは――陛下、貴女なのですから」