「オスカー様?」
「褒め言葉だといっても、言われた本人が気分を害してしまったら、それはもうただの嫌がらせだな。……すまなかった」
目を伏せていたオスカーが頭を垂れた。そのことで、今度は逆にロザリアが慌ててしまう。
いくら自分が女王候補とはいえ、現役の守護聖にこんな些細なことで頭を下げさせてしまった事に今さらながら驚いたからだ。
彼女は急いで立ち上がると、足早にオスカーの隣に回り込んだ。そして両手をぎゅっと胸の前で握りしめ、少し身体を屈めてオスカーの横顔を覗き込む。
「あ、あの、もう結構ですから、どうぞ顔をお上げになって。オスカー様に謝っていただくほどのことではありませんもの」
「でもお嬢ちゃんは、俺の不注意なひと言で不愉快な思いをしたんだろう? ならば俺は謝罪すべきだ。…女性の心を傷つけた罪は重い」
「いいえ。そんな、不愉快な思いなどしていませんわ。かなり……いえ、ほんのちょっと驚いただけで。それにわたくし、傷ついてなどいませんから」
「……じゃあ」
重々しく呟くとオスカーはすっと顔を上げた。だが彼の眉はひそめられたままで、表情は相変わらず険しい。
そして彼はゆっくりと手を伸ばして彼女の手を取り、真摯な瞳を向けてささやいた。
「俺の軽率な言動を許してくれるか? 俺がいま欲しいのは、天に住まう神々からの赦状ではなく、お嬢ちゃんの可愛いらしい唇から紡がれる『許す』というひと言なんだが。それを……与えてくれるか?」
「オスカー様…」
いささか芝居がかって大げさだが、自分を見つめているオスカーの瞳に嘘は微塵も感じられず、ロザリアはやがてゆっくりとうなずいた。
「……そうか、許してくれるんだな」
「……はい。わたくしの方こそ、まるで子供のように騒ぎ立てて申し訳ありませんでした」
「いや。そういうところも可愛いから、俺はいいと思うぜ?」
先ほどまでとはがらりと変わった彼の軽い口調に、ロザリアは怪訝そうに首を傾げた。思わず上目遣いにオスカーを見ると、彼はロザリアの両手を握ったまま、楽しそうに目を細めて笑っていた。
「本当に、疑うことを知らないお嬢ちゃんだ」
「なっ、あ…ああっ」
「しかし俺だから良かったものの、他の男にこうもあっさりと手を握らせるのは考えものだぜ。ほら、こんな風に…」
言うとオスカーは、ロザリアの両手を軽く引っ張った。「きゃっ!」と小さな悲鳴を上げたロザリアは、当然ながらオスカーの腕の中にあっさりと収まってしまった。
お互いの息が掛かるほどの至近距離で、眼を見開いて自分の顔を凝視する少女に、オスカーは薄く微笑みかける。
「掴まえられちまったら、もう逃げ道はないだろう? …さて。どうする、お嬢ちゃん?」
「…き……っ」
「き?」
ロザリアがわなわなと唇を震わせながら呟いた言葉を、オスカーは楽しそうに繰り返す。
途端に、少女は腕をメチャメチャに振り回し、頭と言わず胸と言わずとにかく腕にぶつかったオスカーの身体をがむしゃらにぽかぽかと叩き始めた。
「きゃあ! きゃあっっ! いやああああっっ!!」
「い、いててっ! こら、お嬢ちゃんっ! そんなに暴れるなっっ!」
「いやいやっ! やぁっっ!! 離してえっっ!!」
「わ、わかったからっ! 悪かったよ! 謝るから、おとなしく…うわっ!」
すんでのところでストレートをくらいそうになり、オスカーは慌てて身体を捻った。そして、ようやくオスカーから逃れてこちらに背を向け安堵の溜息をついているロザリアを見つめ、やがてくっくっくと口元を押さえて笑いだした。
「な、なにがおかしいんですかっ!」
はぁはぁと肩で息をし、興奮のあまりゆでダコのように真っ赤になったロザリアは、背後から聞こえる笑い声に柳眉をなおいっそう吊り上げて振り返った。
「……いや、すまない。だが…お嬢ちゃんが…あ、あんまり可愛いんで…つい」
「んもぉ! まだおっしゃいますのっ!!」
心底頭に来たロザリアは、そこがどこであるとか、相手が誰であるかなどをすっかり忘れたらしい。持てる感情全てを大爆発させたような大声で、目の前で笑い続ける青年を怒鳴りつけた。
「オスカー様のいじわる! いいかげんにしてっっ!!」
「……そう。お二人とも、いい加減にして頂きたいですわね」
不意に、ロザリアの怒声とは対照的な冷ややかで落ち着いた女性の声が辺りに響く。
オスカーは笑いを治めて顔を上げ、ロザリアは眉をひそめたまま、怪訝そうに振り返る。そこには図書館の書司である知的な女性が腕を組んで立っており、目の前の騒がしい二人をゆっくりと交互に見比べていた。
「随分と仲がよろしいようで大変結構なのですが、ロザリアさん、オスカー様、ここがどこかをご存じですか?」
指摘され、二人は同時に言葉に詰まる。ちらちらと辺りを伺うと、いつのまにか先程と同じように、好奇の視線があちこちから注がれているではないか。
ようやく状況を把握した二人に対し、女性書司はにっこりと微笑みかけ、穏やかではあるが有無を言わさぬ口調でこう告げた。
「おわかりいただけましたら、続きはどこかお二人だけになれる場所でお願いいたしますね」
「オスカー様の所為ですわっ!」
「まぁ、否定はしないが。だが、お嬢ちゃんが騒いだ所為でもあるんだぜ?」
「んまぁ、失礼な。オスカー様があんな汚らわしいことをなさらなければ、わたくしは騒いだりいたしませんっ!」
「汚らわしいはないだろう。愛しあう男女がお互いを抱きしめあう行為のどこが汚らわしいんだ」
「論点が違いますっ! 大体、わたくしとオスカー様は愛しあってなどいませんっっ!」
「つれないお嬢ちゃんだ。俺はこんなに君を想っているっていうのに」
「オスカー様っ!」
「怒ってばかりいないで、周りを見てみろよ。そうだ、今度は夜にでも来てみるか? 月明かりの下のクリスマスイルミネーションと、愛らしいお嬢ちゃん。……きっと今以上に甘いムードに浸れるぜ」
「もうっ! 誤魔化さないでくださいっ!」
図書館を追い出されてむしゃくしゃしているロザリアは、隣で飄々としているオスカーの態度に、更に怒りのボルテージを上げていった。
爽やかな日差しの降り注ぐ庭園を肩を怒らせて歩き、時々立ち止まっては、自分よりも遥かに高い位置にあるオスカーの顔を見上げて怒鳴りつけ、再びくるりと振り返って歩き出す。
そんな行動を何度も繰り返している二人の様子を、クリスマス仕様に飾り付けられたカフェテラスの一角からアンジェリークとオリヴィエ、リュミエールとルヴァの四人は、それぞれに飲み物を飲みながらじーっと観察していた。
「……なんかさぁ。ロザリアって、オスカーの前だとすごく元気だよね」
「あ、オリヴィエ様もそう思いますか? やっぱりそうですよね?」
「元気というか……ただオスカーが彼女を怒らせているだけのような気がしませんか?」
「そうですねぇ。ロザリアは、私の前だといつも真面目な顔とか笑顔なんですけど、ああいう表情もするんですねぇ」
「そりゃ、あの子だって人の子だし、怒るときだってあるさ。けど、ああも毎回怒らせる男も珍しいと思うよ」
「そうなんです。私もたまにロザリアに怒られるんですけど、でもあんなに激怒してるとこは見れないですよぉ。やっぱりすごいですよねー、オスカー様って」
「あの、アンジェリーク。そこは感心するところではないと思うのですが……」
「まぁまぁ。喧嘩するほど仲がいいとも言いますから、もう少し暖かい眼で見守ってあげましょう。ね?」
「なんて言ってさ。のーんびり見守ってたら、それこそ取り返しのつかない事になりそうな気もするけどね……」
オリヴィエはそうぼやくと、言葉の意味を計りかねて怪訝そうに首を傾げる三人を無視し、ゆっくりとティーカップを口に運んだ。