ワルツの曲目が変わったと同時に、オスカーはロザリアを抱きしめていた腕の力を少し緩めた。
そして彼女を見下ろして自嘲するような笑みを浮かべる。
「夢を見た……君の夢を」
「わたくしの……?」
オスカーの話がわからず、ロザリアは首を傾げた。
自分の夢を見ることと、自分を穢すことの意味の繋がりがわからない。
だからロザリアはひと言だけ問いかけると、黙ってオスカーを見上げて続きを待った。
「君があいつらに殺される夢だ。跳ね起きて夢だとわかった時、オリヴィエが隣にいなくて良かったぜ。いたらあいつの首を絞めてるところだった」
「オスカー……」
笑っていいのか分からず、ロザリアは曖昧な表情を浮かべた。
「それからずっと奴等と戦った。君を取り戻したい一心で、君の無事な姿を確認したくて聖地を目指した。だが…君と再び逢えた時、喜びや安堵よりも先に俺は……自分自身がどんなに汚れているかに気がついたんだ」
呟くとオスカーは、ロザリアからそっと視線を外す。
「俺が……今まで沢山の命を殺めてきたのを知ってるだろう?」
「……ええ」
ロザリアはオスカーの言葉に胸を突かれた。
彼が「強さ」の守護聖であり、武人である以上、彼の廻りには常に「死」と「破壊」がついてくる。
だが、普段はそんな事を気にしたこともなかったし、意識に昇らせることもなかった。それはつまり、彼がそれだけ廻りに対して無意識に気を使い、ロザリアに対しては特に見せないようにしてきたからだ。
返す言葉に詰まるロザリアの様子を見下ろし、オスカーは軽く微笑むと彼女の頬をそっと撫でた。
「今さら隠せるとも思ってなかったが、そんな顔をされると……やはり堪えるな」
「あ、違うわ。そうじゃなくて、わたくし……あの……ごめんなさい」
「いや、いい。君が謝ることじゃないさ。それに、そのことを後悔しているわけじゃない」
ロザリアが顔を上げると、オスカーは自信に満ちた眼差しを彼女に向ける。
「俺が今まで流してきた血は、すべてより良き世界を作るためのものだ。守護聖として当たり前の、いや、女王陛下に仕える騎士として当然のことをしただけで、誰に対してもなんら恥じることではないと思っている」
「だが……」と呟くと、オスカーの瞳から力強い光が消えた。そして、まるで人が変わったかのような切ない目をして、ロザリアを見つめる。
「俺は、初めて憎しみをもって戦った。たとえ僅かな時間とはいえ、君を俺から奪ったあいつらを憎んだ。夢とはいえ、君を手にかけたあいつらを許せなかった。だから俺は、初めて自分の感情に任せて……剣を振るったんだ」
自嘲するような笑みを浮かべながら、オスカーはロザリアの身体からすっと身体を放した。そして、自分の手をじっと見つめる。
「俺は汚れている。守護聖としてのプライドも、騎士としての誇りもなく、ただ一人の女ヘの想いだけで殺戮を繰り返したからな。そうだ、この手は……狂気という血に染められた人殺しの手だ。だから……そんな手で君に触れたくなかった。君を穢してしまいそうで……怖かったんだ」
自分が殺された夢を見たのだとは、確かに縁起でもない。
だがそれは、オスカーが自分ヘ向けてくれている想いが真実であるということを如実に告げている。
それに、こんな彼を見るのは初めてだった。いつも朗らかで自信に溢れ、怖いものなど何もないのだろうと思っていた。
だが彼は「君に触れるのが怖い」という。「穢したくない」からだと……。
やがてロザリアは、観念したような笑みを浮かべた。
もう、逃げられない。いいえ。
逃げ切っていると思っていたけれど、本当は……とうの昔に捕まっていたんだわ。
「……わたくしも見ました。貴方が……貴方が血にまみれている夢を……」
驚いた表情を浮かべるオスカーに告げると、ロザリアは離れてしまった彼の胸に自ら飛び込んだ。
「ロザ……リア?」
ロザリアを見下ろしながら思わず漏れたオスカーの声は、微かに震えていた。
その響きを耳にしながらロザリアは目を伏せてオスカーにすがりつく。
「起きた時、震えが止まらなかった。気がついたら涙が溢れ出てきて……。陛下が、とても心配そうに見下ろしていたから大丈夫だって言ったのだけれど、それからわたくし、眠るのが怖くて……」
その時のことを思い出したのか、意識していないのにロザリアの目頭は熱くなった。
「でもそれは、貴方が戦っているから怖かったんじゃないわ。もしもあの血が貴方の物だったらって……。貴方が死んでしまったらって……。わたくしも怖かったの。貴方を失うのが、何よりも怖かった……」
一度思いを吐き出すと、後は簡単だった。
微かに身体に残るワインの魔力にロザリアは感謝する。
顔を上げてオスカーを見つめ、慈愛の籠った笑みを浮かべた。
「貴方は汚れてなどいないわ。だってほら、貴方の身体はこんなにも温かいんですもの……」
「……ロザリア」
「だから……わたくしを抱きしめて。これは夢なんかじゃなく、現実なのだと証明して欲しいの。貴方のぬくもりや視線の全てが真実なのだと……わたくしに教えて下さい。もう二度と……恐ろしい夢を見なくてすむように」
その言葉を聞いたオスカーは、言葉に詰まったまま彼女を見つめていた。が、やがて深く息を吐きだすと改めて彼女を抱きしめた。
「もう絶対に離しはしない……」
「ええ……独りにしないで」
伝わってくるお互いの鼓動が、とても心地よかった。
やがてオスカーは、ロザリアの頬に右手を添えると撫でるように滑らせて華奢な顎を捕らえた。
そして彼女の顔を覗き込みながら小さく笑う。
「ところで。……俺に何か伝えたかったんじゃないのか?」
「えっ? ……もう言わなくてもいいでしょう?」
ロザリアが照れて顔を背けようとしたが、オスカーはそれを許さなかった。
「いや、聞きたい。君の蕩けそうな甘い声で、ちゃんと告げて欲しい……」
「貴方って……本当に意地悪ね」
ロザリアは小さなため息と同時にオスカーを上目遣いに睨んだ。そして、目の前にある彼の頬にそっとキスをする。
「オスカー……愛してるわ」
ロザリアの含羞んだ小さな囁きに、オスカーは満足そうな笑みを浮かべたかと思うと、彼女の額に自分の額をつけて長い睫毛に縁取られた蒼い瞳を覗き込んだ。
「それじゃあ俺も言うとしようか」
「何をですの?」
「そんなの……決まってるだろう?」
ふっと目を細めて笑うと、オスカーはロザリアの柔らかい唇にキスを落とした。
「夢の中だろうと現実だろうと、君は……俺だけのものだ」