「お下がりなさい、無礼者」
凛とした態度でそう言い放つと、ロザリアは目の前の男を睨みつけた。
「わたくしに命じられるのはこの世にただ一人。敬愛し崇拝する陛下、ただお一人」
後ろ手に縛られ、周りを屈強な男達に取り囲まれてなお、ロザリアは怯まなかった。
すると、黙って彼女を見つめていた壇上の黒衣の男が、くっと皮肉げな笑いを漏らした。
「どこまでも気丈な補佐官だな。我も気の強い女は嫌いではないが……素直なほうが女は長生きできるぞ」
「礼儀もわきまえぬ侵略者に素直に従うようでは、補佐官など務まらないわ」
鋭い視線を向けられても、彼女は一歩も引かなかった。むしろ微かに嘲笑するような笑みを受かべ、じわじわと壇上に近づきつつあった。
「これ以上の問答は無用よ。わたくしはたとえ何があっても喋りはしない。さぁ、殺すのなら殺しなさい」
壇上の男は、しばらく無言だった。が、やがて小さく溜息をつくとすっくと立ち上がる。
「女王に忠誠を誓うその態度は称賛に値するな。よかろう、その態度に敬意を表して、お前の望みをかなえてやろう」
言うや、男は側に従えた従卒から剣を受け取ると、鞘を素早く抜き取って壇上を降り、自分を睨みつけている美貌の補佐官を袈裟懸に斬った。
辺りに血飛沫が弾けて飛ぶ。斬られたロザリアは、苦悶の表情を浮かべることなくゆっくりと膝からその場に崩れ落ちた。
倒れた彼女の体から、鮮やかな紅が流れ出し、床を真っ赤に染めていく。
男はそれを黙って見下ろしていたが、不意に顔を上げると側に立っていた兵士に向かって抑揚のない声で命じる。
「この女の首を城に掲げてさらし者にしろ。我の力を見せつけると同時に、穴に潜った土竜共をおびき寄せられるやもしれぬ」
「はっ!」
兵士はひと言発して敬礼すると、床に頽れていたロザリアの髪を無造作に掴んで首を持ち上げた。
そしてすっかり血の気のなくなった白いうなじに向けて、構えた剣を一気に落とした。
「っっ!!」
声にならぬ悲鳴を上げて、オスカーは跳ね起きた。
辺りをきょろきょろと見回し、肩で何度も息をつく。心臓が爆発しそうな勢いで鼓動を打っているのがわかる。
全身は、まるで水を被ったかのように汗でしっとりと濡れていた。ふと、右手をあげてみれば、その手は小刻みに震えていた。
その手をしばらく見つめ、やがてオスカーは苦い笑いを浮かべた。
「……なんて夢だ」
「オリヴィエの奴、後で覚えておけよ」と、ここにはいない同僚に悪態をついて、ようやくオスカーは少し落ち着きを取り戻した。
だが、このまま横になれば、また嫌な夢を見るかもしれない。
そう思ったオスカーは音を立てないようにそっと立ち上がり、周りで寝転がる子供たちを踏まないように器用によけながら、テントを抜け出した。
たき火の前まで行くと、見張りをしていたヴィクトールが振り返り、怪訝そうな表情を浮かべる。
「オスカー様。たしか、あなたの番は明日のはずでは?」
「いや、ちょっと夜風に当たりたくなってな。ここ、座ってもいいか?」
「あ、もちろんです。どうぞ」
言うとヴィクトールは抱えていた銃を地面に置き、火にかけていた鍋に手を伸ばした。
「コーヒーはいかがですか? 味は、お世辞にも美味いとは言えませんが、眠気覚ましにはなりますよ」
「ああ、すまない。いただこう」
軽く頷くオスカーに、ヴィクトールは手早く注いだコーヒーの入ったカップを手渡した。
湯気の立つコーヒーの表面を見つめ、軽く一口すすり込む。そしてほうっと溜息をつくオスカーを黙って見つめ、ヴィクトールは穏やかな笑みを浮かべた。
「……やはり、お気になりますか?」
「ああ。あんただってそうじゃないのか?」
「それは無論です」
答えると、ヴィクトールは、枯れ枝をぱきんと折って火の中に投げ入れる。
「ですが、私と守護聖様方とでは、聖地や陛下との係わりや繋がりは異なりますから。我々が感じている以上の焦燥感を、オスカー様はおもちなのではないかと」
「焦燥感……か」
呟くと、オスカーは自嘲気味に微笑んだ。
何もできずに捕らわれた自分。いくら陛下や補佐官が人質にとられているかもしれない、と思ったからといって、ああもやすやすと敵の手に落ちてしまった我が身のふがいなさ。
そして、自由を取り戻したにも係わらず、今もって大切な人の安否すら確かめられない憤ろしさ。
これがランディやゼフェル辺りだったら、前後の事など考えずに突っ走れたかもしれない。
だがオスカーは、なまじ軍人としての教育を受けているだけに、一時の感情で個人行動に走ることの愚かさや、ひいては仲間全員の危険度を高めてしまうということが理解できてしまっている。
それがオスカー個人の感情と対立し、その結果が夢として現れたのだろう。しかも、それが寄りにもよって彼女の夢だとは。これでは、自分の素直な気持ちを改めて突きつけられたようで、ただ苦笑するしかなかった。
「オスカー様?」
いきなり黙り込んだオスカーに向かって、ヴィクトールは怪訝そうに問い掛けた。
するとオスカーは、はっと気がついて顔を上げ、ばつが悪そうな笑みを浮かべる。
「ああ、すまない。すこしぼうっとしてしまったらしい」
「お疲れなのでしょう。もう、お休みになられたらいかがです? ここは俺が見張っていますから」
「ああ、じゃあそうさせてもらうか」
オスカーははずみをつけて立ち上がると、大きく伸びをした。そして手の中で温くなったコーヒーを一気に飲み干し、空になったカップをヴィクトールに差し出した。
「美味かったぜ、ヴィクトール」
「そう……でしたか」
ヴィクトールはくすっと小さく笑うと、オスカーからカップを受け取った。そして、不意になにか思い出したのか、オスカーを見上げた。
「あ、オスカー様。忘れていたことがありました」
「なんだ?」
「伝言を預かっていました……ロザリア様から」
「なに?」
今まで肩の力が抜けたような表情を浮かべていたオスカーが『ロザリア』という名を聞いた途端、その目に強い光が宿った。オスカーはその場にしゃがむと、真っ正面からヴィクトールを睨むようにして見つめる。
「何故今まで言わなかった!?」
「申し訳ありません。ゴタゴタが続いて失念していました」
「ああ、もういい! で、彼女はなんと? 俺に何を伝えてくれと言ったんだ?」
興奮気味に問いただしてくるオスカーの様子に、ヴィクトールはつい口元に浮かんでくる笑みを堪えるのに苦労した。
この人が一番心配しているのは、実は聖地でも陛下でもないのだ。
普段はポーカーフェイスを気取っているくせに、本当のこの人は、こんなにも素直に感情を顔に出すただの青年なのだ。
「ヴィクトール! 早く言え!」
ヴィクトールが黙り込んでしまったのを見て、オスカーは焦れたのか、つい大声を出してしまった。そこでヴィクトールは、慌てて笑いを引っ込めた。
「あ、はい、申し訳ありません」
「だから謝るのはもういい! で、彼女はなんと?」
「『待っています』……ただ、それだけを伝えて欲しいと」
「……それだけか?」
「ええ。ただ、オスカー様と再びお会いできたら、お話したいことがあるのだとおっしゃっていました」
「何か心当りはおありですか?」と問い掛けてくるヴィクトールに「ああ、まぁな」と言葉を濁しながら、オスカーは軽く咳払いをした。
聖殿が強襲されたあの日、あの時何事もなければ、オスカーは仕事を早々に切り上げ、ロザリアの執務室を訪ねるつもりだった。
いつも「仕事がありますから」とはぐらかして、なかなか自分と二人きりの時間を作ってくれないロザリアの態度に業を煮やしたオスカーは、あの日こそ首に縄を付けてでもロザリアを自分の屋敷に招待するつもりだった(それは招待ではなくら致だと、口さがないオリヴィエ辺りなら言うだろうが)
ロザリアに対してのオスカーは、普段の彼らしからぬ慎重さで行動していた。 からかったりはしたけれど、やたらに口説いたり、それこそ無理やり何かしたりなどは絶対にしなかった。
それだけオスカーが本気だということなのだろうが、ロザリアにはそれが伝わっているのかどうか、いつもするりとかわされ、逃げられてばかりいた。
だから、はっきりさせたかった。好きなのか、嫌いなのか。
望みはあるのか、ないのか。
オスカーとしては、今のじれったい関係を続けることに、もう限界を感じていたのだ。
だが、彼女は「待っている」と言っていたのか。それは…………希望を持っていいってことか?
しばらく考え込んでいたオスカーだったが、やがてモヤモヤを吹っ切るように首を振ってすっくと立ち上がった。そしてヴィクトールを見下ろしたときには、いつもと同じ不遜で不敵な笑みを浮かべるオスカーがそこにいた。
「ヴィクトール。おとぎ話のハッピーエンドの定番を知っているか?」
「お、おとぎ話ですか?」
「ああ」
軽く笑うとオスカーは夜空を見上げ、煌めく星々を見ながら目を細める。
「王子様が虜の姫君を悪魔の手から救い出し、そして二人は結ばれる……ってやつだ」