街の広場はにぎわっていた。
宇宙の理から切り離された空間。そこに突然現れたこの大地の一体どこにこれだけの人間がいたのだろう、とオスカーは辺りにを見回して軽く微笑んだ。
すると肩の上で抗議の声が上がる。
「オスカーっ!」
「ん? どうした?」
「ど、どうしたじゃありませんわ! 早く降ろして下さい!」
「逃げないか?」
「どうしてわたくしが逃げなければなりませんの!? いいから早く降ろしなさいっ!!」
「……仰せの通りに」
オスカーはロザリアの剣幕に苦笑で答えると、彼女の身体を肩から滑り落とすようにしてゆっくりと地面に降ろした。
「……」
ロザリアはほっと溜息をつくと、次いでオスカーを睨みあげ自分の腰に触れたままの彼の手をパシっと払いのける。
「やれやれ。乱暴なお姫様だ」
肩を竦めて苦笑いを浮かべるオスカー。
「こんな誘拐まがいな目に合わされて、怒らない方がいたらぜひ教えていただきたいわ」
すっかり肩から落ちてしまったショールをかけ直しながらロザリアも嘯く。
「おかしいな。他の女性は俺にこんな風に攫われたいと言ってくれるんだが」
「だったら、そうおっしゃって下さる方を攫えばよろしいでしょう?」
わたくしはごめんだわ、と小声で呟いて顔を背けるロザリアの腕を掴むと彼女を引き寄せ、オスカーは自分を睨む蒼い瞳のすぐ側に唇を寄せて囁く。
「それは無理な提案だぜ。なにせ、俺は君以外の女性をかっさらう気なんか起きないんだからな」
ロザリアの顔に触れるか触れないかの距離を保ち、オスカーは唇を彼女の輪郭をなぞるようにして移動させる。
あと僅かで艶やかな唇に到達する、と言うところで不意にきゅっと鼻を摘まれた。
「調子に乗らないの」
ロザリアの指を外し、溜息と同時にオスカーは言葉を吐き出した。
「……冷たいお姫様だ」
「みんな楽しそうね。お祭りだ、遊びだと浮かれている場合ではないと思っていたけれど……」
ようやく怒りが収まったのか、中央で月の光を反射しながら吹き上がる噴水を眺めながら、ロザリアは軽く微笑む。
もう夜もかなり更けたのに、広場を歩き回る人は一向に減る気配を見せない。むしろ人数が増えているように思えた。
今夜は夜想祭。
アルカディアに訪れた特別な夜。
人々はそれを知っている。だから誰も帰ろうとはしないのだ。
毎年行われる、アルカディアの冬の夜に最初に現れるオーロラに、一年の感謝と次の年の豊穰を祈る祭り。それが本来の夜想祭だった。
しかし、今年は違う。
今までの空間から切り離された無の世界に入り込んでしまったこの大陸に、オーロラが現れるはずはなかった。
だから女王は考えたのだ。
自分の力で、この無の広がる空にオーロラを描き出すことは出来ないだろうかと。
危機が間近に迫っているこの時に、なにも女王が力を削るようなことをする必要はない、とロザリアは最後まで言い続けた。
しかし当の本人、女王であり親友でもあるアンジェリークは、そんなロザリアの心配を全部吹き飛ばしてしまいそうな笑顔を浮かべて答えたのだ。
「こんな時だからこそよ。みんなが明日に希望を持てるように、未来を夢見る気持ちをなくさないように」
そしてアンジェリークは、そう宣言してから一週間後に、本当にオーロラを作ってしまったのだ。
「寒くないか?」
言いながらオスカーは肩当てを外し、マントを肩から降ろすと包み込むような形でロザリアの身体に羽織らせる。
掛けられたオスカーのマントの暖かさに、ロザリアは思わずほっと安堵の息を漏らした。
「……ありがとう」
そして二人は歩き出した。
目の前を子供がはしゃいで横切って行く。右の方に顔を向けると、暖かいココアやミルクを売る屋台や、小さなアクセサリーを並べた出店からほの明るい光が漏れていた。
日の光こそなかったが、喧騒は昼間とさして変わらないように思えた。ただ昼間と少し違うのは、あちこちでやたらにカップルを見かけることだ。
冬の夜を彩る幻想的なオーロラ。それを好きな人と見ることが出来る。いかにも恋人同士が喜びそうなシュチュエーションだ。
あのカップルも、こちらで微笑みあっている二人も、きっとそんな魅惑的な夜を待ち望んでいたのだろう。
端から見ると、自分とオスカーもその一組に見えてしまうのだろうか、とロザリアは思った。そう考えると、なんだか気恥ずかしさを感じる。
「……夜想祭の夜の空に浮かぶオーロラを一緒に見た恋人達には、幸福が訪れるんだそうだ」
「え?」
オスカーも辺りを見ながら同じことを考えていたのか、ロザリアの肩に廻した手に軽く力を込めながら言う。
「アルカディアに昔から伝わる言い伝えらしいぜ」
「だから……なの?」
「ん?」
ロザリアのくぐもった答えに、オスカーは軽く首を傾げて彼女を見下ろした。
「だからわたくしを……連れてきたの? 一緒に……その……」
彼女らしくなく語尾をうやむやにする言い方に、オスカーは僅かに眉を上げ、すぐに唇の端に笑みを浮かべた。
「当然さ。俺と一緒にオーロラを見るレディは、君の他に誰もいないだろう?」
広場を出て空を見上げると、そこには淡い光を放つ神秘的なカーテンが広がっていた。じっと見つめていると吸い込まれてしまいそうなオーロラの美しさに、ロザリアはうっとりと呟く。
「……やっぱりあの子はすごいわ」
思わず漏れたロザリアの言葉に、オスカーは苦笑を浮かべる。
「まったく君は……どんな時でも陛下の事で頭がいっぱいなんだな。せめて今夜くらい、その半分でも俺に向けてくれる気はないのかい?」
そう言って透き通るようなブルーの瞳を向けられると、さすがにロザリアもバツが悪くなったのか微かに頬を赤らめた。
「だって、こうして貴方とオーロラを見れるのは、あの子が頑張ってくれたおかげですもの。あの子がこんな機会を作ってくれなかったら、わたくしは今もまだ研究院で資料の山に埋もれていただろうし、貴方だって……」
そこまで言った途端、オスカーの瞳が驚きで揺れたのがわかった。
「ち、ちょっと待ってくれ! ロザリア、いま何と言った?」
「え? ですから、夜想祭でなかったら、まだ二人とも仕事をしていただろうって……」
ロザリアが訳がわからずに同じ言葉を繰り返すのを聞いたオスカーは、明らかにショックを受けたような表情を浮かべ、やがて溜息をつくと軽く首を振りながら右手で額を押さえた。
「……まいったな。道理でやけに怒ると思ったぜ。……しかし、まさか忘れられてるとは思わなかったな」
ロザリアの肩に廻されていたオスカーの腕が外された。
何かまずいことを言ったのだろうか、とロザリアは怪訝な表情を浮かべてオスカーを見つめる。しかし、いつまでも彼が残念そうな表情を変えないでいる事に、ふと不安を感じて問いかけてみた。
「あの、オスカー。わたくし……何かいけない事を言ってしまったかしら……?」
「……ああ」
ぽつりと呟くと、やがてオスカーは肩を竦めて溜息をついた。
「今日は……俺の誕生日だ」
「……あっ!!」
オスカーの答えにロザリアは驚きの声を漏らした。
どんなに年月が経ったとしても、お互いの誕生日には、初めて想いを通じ合った頃のような気持ちでデートをしたい。
そう言ったのはロザリアの方だった。
いつもの気丈な彼女とは違って、俯きがちにぽつりと漏らす少女の初々しい様子は、いまもオスカーの脳裏に焼き付いている。
そして実際、その約束は今まで守られ続けていたのだ。……このアルカディアに来るまでは。
……お互いに忙しかったのだから仕方がないのかもしれない。
しかも彼女は女王補佐官だ。アルカディアが虚無の空間で、今もこうして原形を保っているのは、ひとえに女王陛下の力のおかげだ。
それはつまり、女王を支える補佐官の尽力でもある。そんな状況で仕事に追われていたのでは、人の誕生日なんか覚えていられかったとしてもおかしくないし、責められるものではない。
オスカーはそう考えを切り替えると、軽く頭を振って自分を諌める。そして申し訳なさそうに俯いているロザリアに微笑みかけた。
「まぁ……事態が事態だし、こんな時に誕生日だの祝いだのを忘れていたって仕方がないさ」
しかしオスカーの慰めの言葉は、逆にロザリアの生真面目な性質を刺激してしまったようで、彼女は顔をあげると、まるでオスカーを責めるような剣幕で言い放つ。
「だってわたくし、自分から言い出したのよ!? ……ごめんなさい。わたくし……わたくし、貴方になんて謝ったらいいの? 本当に、本当にごめんなさい、オスカー。貴方の誕生日を忘れていたなんて、あんまりひどい仕打ちだわ! わたくしったら……最低よ。最低の女だわ!」
「いや、なにもそこまで……(^^;)」
「いいえ! だって、貴方の誕生日は年に一度しかないのよ? その大切な日を、例え忙しさに振り回されていたとはいえすっかり忘れていたなんて! お祝いの言葉も、プレゼントも、何も用意できなかったなんて……。いいえ、言葉やプレゼントはこの際、重要な問題ではないわ。忘れていた、というその気持ちの方が問題なのだわ!」
いつの間にか、すっかりオスカーの存在を忘れて自己分析を始めてしまったロザリアをぼう然と見ていたオスカーは、やがてニヤリと笑うと、ロザリアをふわりと抱き上げてすたすたと歩き始めた。
「オ、オスカー!?」
「分析はお終いだぜ、お姫様。安心しろ、夜はまだ始まったばかりだ」
「え?」
ロザリアが困惑の瞬きを繰り返すその瞼に、オスカーはすっと唇を寄せる。
「プレゼントをもらってもいいか?」
鼻の先にオスカーの唇の感触を感じ、くすぐったさに首を竦めながらロザリアは声を漏らした。
「ち、ちょっと、オスカーっ! だから、わたくし、何も用意していないのよ!?」
腕を突っぱねてオスカーを離そうとするが、そんな事で動じる男ではない。
ロザリアの白い頬に撫でるようなキスを繰り返し、次に抗議を続ける彼女の唇をあっさりと塞いでしまう。
やがて顔を離すと、上気した顔で潤んだ蒼い瞳を向けてくる美貌の補佐官に、意味深な笑みを返しながら炎の守護聖は呟いた。
「いいや、ここにあるだろう? いまここに。……俺の腕の中にな」
本当の夜想祭は、始まったばかり。