昼間の日差しの暖かさがまるで嘘のようだ、と思いつつ、腕を軽く擦ってみる。
窓の外は闇。
窓ガラスがうっすらと曇っているのは、外気と部屋の温度に差がある所為だろう。
しんしんと冷え込むのも道理だ。月があんなに美しく見えるのは、外の空気が冷たい証拠である。
「……冬、ですものね」
昔は知っていた季節。
いつの頃からか、その季節を感じない事に慣れてきてしまっていた。
ロザリアは微かに苦笑を浮かべると、椅子にかけて置いた黒いレースのショールを軽くはおり、部屋の片隅にしつらえた小さなテ?ブルに向かう。
コポコポと音を立ててカップにコーヒーを注ぎ入れていると、彼女の背後で自動扉が空気を吐き出すような音を小さく立てた。
しかしロザリアは振り返らなかった。
いつもなら入れない砂糖を、小さなスプーンですくってカップに2杯。さらさらと溶ける砂糖と立ち上る湯気に視線を落としたまま、部屋に入ってきたであろう人物に声をかける。
「ご苦労様、エルンスト。資料はそちらの机の上に置いて頂けるかしら。……ところで、貴方もコーヒーはどう?」
「……頂こうか」
予想もしていなかった返事に驚いたロザリアは、素早く顔をあげて振り返った。しかしすぐに軽く眉を寄せて困ったように微笑む。
「わざわざ迎えに来て下さったの?」
自動扉は開いたまま。
その脇の壁に軽く寄りかかり、胸の前で腕を組んで黙って立っていたオスカーは、ロザリアの苦笑に軽いウインクを返した。
「うちのお姫様は、仕事に夢中になると時間を忘れちまうからな。さ、宵っぱりのお姫様。君の騎士にぜひ夜道の警護を命じてくれないか?」
「まだ日が落ちたばかりだわ」
「もう日は落ちた、だろ?」
オスカーは腕組みを解くと、ロザリアの方へゆっくりと歩み寄る。
ロザリアはオスカーに背を向けてコーヒーメーカーを手に取ると、伏せてあったカップをテーブルにそっと乗せて焦げ茶色の液体を中に注ぎ込んだ。
それをソーサーに乗せて持ち上げた途端、脇から伸ばされた大きな手が彼女の手からカップだけを取り上げてしまう。
「味は期待なさらないでね」
「君がいれてくれた時点で最高級品に変わったよ」
そう言ってロザリアをじっと見下ろしたまま、オスカーはカップを口に運んだ。が、次の瞬間、ほんの少しだけ眉を顰める。
「……なんだこれは?」
「だから言ったでしょう?」
ロザリアはくすっと軽く笑うと、テーブルに置いてあった自分のカップを持ち上げて中身を咽喉に流し込んだ。
今の彼女にとって、コーヒーの味はどうでも良かったのだ。ただ、この身体の疲れをとり、鈍く痛む頭をすっきりさせられるのならば。
オスカーは、まずいコーヒーを表情ひとつ変えずにゆっくりと飲むロザリアを、黙ってじっと見下ろしていた。
彼女は、こんなに色が白かっただろうか……?
確かに元々透き通るような美しい肌をしていたが、今こうして研究院の青白い蛍光灯の下で見ると、闇の中に溶けて消えてしまうのではないかと思えるくらい儚げに見える。
オスカーは半分以上中身の残ったカップを少し乱暴にテーブルに置くと、カップを両手で抱えるようにして口元に運んでいるロザリアの頬に、いきなりすっと右手を伸ばした。
「オ、オスカーっっ!!!?」
ロザリアが驚いて軽く身を引く。しかし後ろのテーブルが邪魔をしていて、それ以上下がることが出来ない。
「鏡を見なかったのか? ……ひどい顔色だ」
ロザリアの頬を労るようにそっと撫で、真っ直ぐに彼女の目を覗き込んでいるオスカーの蒼い瞳がすっと細められた。
これは彼が怒っているときに見せる表情。
「……少し疲れているだけですわ。それに、疲れているのはわたくしだけじゃありません。研究員たちも、陛下も頑張っているんですもの」
ロザリアはきまり悪そうに視線を逸らしてぽつりと答える。
憎まれ口やからかいの言葉には真っ向から向かっていけるが、こんな風に静かなすごみを見せるオスカーにはやっぱりかなわない。
「少しだって? お嬢ちゃん、俺を見くびらないで欲しいな」
久しぶりに呼ばれるその響きに、ロザリアは目をしばたたせる。
「いつも君だけを見ている俺の目は誤魔化せないぜ。ロザリア、一人で何でも背負い込もうとするな。何のために俺達がいると思ってるんだ?」
「それは……陛下をお守りして、宇宙を……っ!?」
言いかけたロザリアの唇に、オスカーは掠めるようなキスを贈る。そして驚くロザリアを見下ろして薄く笑った。
「俺の使命はそれだけじゃないぜ。麗しの補佐官殿を命がけで守るっていう、最重要任務も抱えてる」
「もうっ……」
ロザリアはまるで子供のたわいない悪戯を見てしまったように、困ったような照れ臭いような笑みを浮かべた。
すると突然、オスカーが軽く膝を曲げてロザリアの前に屈み込んだかと思うと、彼女の腰に腕を回して、華奢なその身体をひょいっと右肩に抱え上げてしまった。
「きゃあ!!」
ロザリアは突然視界に入って来たオスカーの背中に驚き、慌てて上体を起こすと、身体を無理に捻ってオスカーの頭を見下ろしながら小さな抗議の声をあげた。
「な、何をなさるのっ!?」
「今日はもう仕事は終わりだ」
「そんな勝手なことをおっしゃらないでちょうだいっ! まだあの資料が……」
「明日にすれば良いさ。生憎と、こんなまずいコーヒーと資料の山にいつまでも補佐官殿を独占させとくほど、俺の心は広くないんでね」
そう嘯くと、オスカーは壁についている電灯のスイッチを落とし、部屋を後にする。
ロザリアの抗議の拳を背中に感じながら……。