朝の空気は澄んでいてうまいな。
ふと浮かんだその考えに、オスカーは微苦笑を浮かべた。
「これじゃあ、あの熱血青春坊やと同じだ」
くっと軽く声を漏らし、辺りをうかがう。どうやら噂の主はまだ見当たらない。
しかし庭園の前のこの街路樹は、彼のお気に入りのジョギングコースだ。
そのうち多分、頬を上気させながら彼は走ってくるのだろう。そしてオスカーを見つけると、元気に挨拶した後に眉をひそめるのだ。
「おはようございます、オスカー様。……あの、もしかしてまた朝帰りですか?」
あいにく、今朝はそんな浮ついた理由ではない。
女王の力が弱まったために暴動が起きかけていた惑星を、ようやく鎮静化させて帰ってきたところなのだ。だがこんなことを僅かでも漏らせば、あの正義漢溢れる少年はオスカーに質問の嵐を浴びせかけてくるのだろう。
「冗談じゃないぜ。朝っぱらからあの坊やのテンションについていけるか」
オスカーにとっては、数日間睡眠時間が2~3時間になってもそう簡単に堪えたりはしない。だが、それでも疲れるのは事実なのだ。今は正直言って、数分でもいいから横になりたい気分だった。
数分後、ランディが白い息を吐きながら庭園の前を横切る時、そこにはもうオスカーの姿はなかった。
おとなしく屋敷に帰ればいくらでも休めるんだが……。
そう思いながらもオスカーは行き先を変えなかった。
飛空都市には公園もあれば店舗もある。ここだけで十分生活していけるだけの広さと施設を完備している。
なにやら曰くのある(そこで願うと思い人が現れるのだそうだ)滝や、小川のせせらぎと美しい湖。
どこも、この時間ならゆっくりと孤独を味わえるだろう。しかしオスカーが一番気に入っているのは、宮殿の裏手の小高い丘だった。
そこから見下ろせる飛空都市の光景は確かに美しかったし、なにより緩やかに続く芝生の絨毯は、どこか故郷の風景を思わせるからだった。
その丘の上に群生する木々の中でも、とりわけ高く古い樹の根元に寝転がって、遠くの空を流れる雲をぼんやりと眺めるのが、オスカーのリフレッシュ法のひとつでもある。
吐きだす息がようやく透明に変わり始め、地平線から覗く朝日の光の暖かさを背中に感じ始めた頃、オスカーはお気に入りの樹の根元に先客がいるのを見つけた。
「……お嬢ちゃん?」
小さなその声は、樹の根元にいる少女には届かなかったらしい。
少女はオスカーに背を向け、太陽に背を向けるようにして立っている。
金色の髪が朝の寒気を含んだ風に緩やかに流され、暁の光を反射してキラキラと輝いている。
オスカーは足音を立てないように速度を上げ、ほとんど走るように丘を登りきった。そして少女に気づかれないよう背後の少し背の低い木の幹に手をついて、少女の背中をじっと見守る。
金色の髪の少女=アンジェリークは、オスカーが背後から丘に登ってきたことにまるで気がつかないらしく、後ろを振り返ろうともしなかった。
僅かに俯いて、両手を胸の高さに掲げてその手のひらに向かって何やら囁いている。
「もう大丈夫だからね。……じっとしてて」
アンジェリークがそう囁いた途端、彼女の廻りにふわんと光のオーラが浮かび上がった。
オスカーは驚き、数歩歩みだしたところで、彼女の腕の辺りからひときわ明るい光が溢れだし、そのあまりの眩しさに思わず目を細めて叫んだ。
「何をしてるんだ、お嬢ちゃん!」
声をかけられたアンジェリークは、遠目にも分かるくらい大きく身体を震わせ、大きな瞳がこぼれ落ちてしまうのではないかと思うくらいに目を見開いて振り返った。
「オスカー様!?」
こちらを向いたアンジェリークの手の平では、小さな鳥のヒナが横たわっていた。
ヒナはふるふると身体を震わせると目を開け、アンジェリークを見上げて小さくピッと啼いた。
「あ、気がついたのね!」
ヒナの声を聞いたアンジェリークは、オスカーからヒナへと視線を移してにっこりと笑う。
「ヒナ……直してたのか?」
「はい。ここに座ってたら木の上からこの子が落っこちてきて。もう、すごく吃驚しちゃいましたよ」
アンジェリークは笑顔を絶やさずに答える。オスカーはようやく得心が言ったらしく、ほうっと軽く溜息をつきながらアンジェリークの側に歩み寄った。
「てっきり女王サクリアを暴走させてるのかと思ったぜ。まぁ、その一種には違いないが」
そう言うとオスカーはアンジェリークの手を取り、彼女の手からヒナをそっと取り上げた。
「オスカー様??」
小首を傾げてきょとんとしているアンジェリークに向かってオスカーは微笑み、そして大樹の枝に手をかけた。
「返してやらなきゃならんだろう? まったく、俺がいなかったらこのヒナをどうやって巣に戻すつもりだったんだ?」
左手にヒナを持っているために、オスカーは右手しか使えなかった。にもかかわらず、苦もなくひょいひょいと樹を上っていく彼を見上げながら、アンジェリークは破顔する。
「これくらいだったら大丈夫だなって。わたし、木登り結構得意なんですよ」
「お嬢ちゃんが?」
「はい。……おかしいですか?」
「……いいや」
言いながらもオスカーはくすくすと軽く笑っている。
やがて小さな小鳥の巣を枝のひとつに見つけた彼は、残っていた他のヒナを怖がらせないように、そっと手の中の小さな生き物を巣に戻した。
「感謝しろよ。次期女王に手当てしてもらえる名誉なんて、俺だって味わえないんだからな」